百合の気配はもうしない

 その日は夢を見なかった。

 私の肩からじんわりと滲む温もりが、布団の代わりとなって私の不安な心を静めてくれる。また明日、また明日。その言葉が私を深い眠りの中へ誘う。

 朝、目を覚ました私は天井をボーっと眺めていた。寝起きのせいで頭がうまく働かない。頭を働かすため、ベッドからのそりのそりと這い出て、洗面所へと向かう。

 水で顔を洗っても頭が働かない。いや、働かないんじゃない。考えることを止めているんだ。

 私は鏡に映るびしょ濡れの顔をにらみつける。よく張り付く髪の毛が鬱陶しい、顔を隠すような髪型をしているのが悪いんだけど。

 思い出すんだ。あ、やっぱダメ。顔が熱くなってきた。私は顔を拭いてから再び部屋へ戻る。

 なんとか記憶に蓋をしたけど部屋のドアを閉めると同時に記憶の蓋が外れる。非常にまずい。

「――――――――――っっっ」

 布団で頭を包んで激しく頭を布団に打ち付ける。

 頭がクラクラしてきてやっと打ち付けるのを止める。だけどどこまで抵抗しても、そんなの関係ないという風に記憶が次々溢れ出る。昨日のこと、神乃しんだいさんのこと、私のやったこと言ったこと。それらすべてが濁流のように私へ押し寄せる。学校に行きたくない、逃げたい、死んでしまいたい。

 そんな私の頭の中で、神乃さんの桜色に艶めく唇が「また明日」と動く。

 恥ずかしさで熱くなった顔と、違うもので熱くなった身体を冷ますように、私は布団から抜け出す。服をパタパタして冷えた空気を送り込み、急いで学校へ行く準備を始める。


 いつもより早く学校に着いた私は、教室から少し離れた場所で動けずにいた。

 早く来すぎた。それはもうとんでもなく。他のクラス教室は空いていない。だけど私のクラスは開いていた。いったい誰だろう。もしかして神乃さんかな? 昨日あれだけのことがあった後で会うのはとても気まずい。あの時は雰囲気に流されたというか、あれが私の本心なのか、どちらにせよまともな私ではなかったはず。本心ならまともかな?

 教室のドアを開けるだけ、神乃さんじゃなければそれそれで別にいいし、神乃さんなら……どうなっちゃうんだろう。

 頑張って足を動かして教室の前にやって来た私は、意を決して教室のドアを開く。

「あら、おはよう。花灯かとうさん」

 窓側から二列目のあたしの席。それの一つ左隣の席に座る小柄で可愛らしい神乃しんだいさんは、その見た目とは反する大人びた口調で優美に微笑む。

「あ、お、おはよう」

 私は教室に入ると、教室の中を隠すように急いでドアを閉める。

 非常にまずい、神乃さんと二人きりだ、神乃さんの顔が見れない。

「大丈夫?」

 動けない私を気遣ってくれたのか、神乃さんがそう言ってくれる。その言葉に私はハッとする。そうだ、神乃さんはなんだ、どんな私でも受け入れてくれる人、私の心の醜い真っ黒なところを知っても離れない大丈夫な人。

 私はじんわりと熱くくなった肩に手を乗せて、自分の席へと向かう。机に鞄を置いて、私は隣の席に座る神乃さんに目線を合わせる。

「ふふっ、今は誰もいないわよ」

 神乃さんが挑戦的な笑みを浮かべながら私の頬に手を添える。少しひんやりとした手が火照った私の頬を冷ましてくれる。

「うん……」

 だけど私の頭は冷えるどころか沸き立つ。私の思考全てが沸騰してなにも考えれなくなる。

 神乃さんが立ち上がって、私を軽く押す。自分でも驚くほど簡単に体勢を崩してしまう。驚いて神乃さんの腕を掴んで、中腰でいたから丁度椅子に着地する。

 互いの息がかかるほどの距離。邪魔する者は誰もいない。

 私たち以外誰もいない朝の教室で私達は――。

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百合の気配 春 坂餅 @sayosvk

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