第17話

イリョス帝国には、豊作が続いている間に輸出のみならず支援も行なって築いた友好国が多くある。長い歴史で信頼関係を築いた同盟国もまた然りだ。そのイリョス帝国が戦う姿勢を見せている事は、ドロティアはもちろん周辺国をも揺るがした。


同盟国が確約してくれた兵力、友好国が送ると申し出てくれた最新鋭の武器──それらはドロティアにとって今最も不足しつつあるものだった。


明らかに、こちらに分がある。


けれど、本当に戦争になれば──傷ついた人を治癒する事は出来ても、野戦病院まで運べずに倒れている兵士や、その場で生命を落とした兵士を蘇らせる力は私にもない。救えない人も、必ず出てしまうのが現実なのだ。


それに、たとえ眠りの夢の中で赴くにせよ、戦場にまで入ることはお父様から許されなかった。まだ幼い子供が目の当たりにして良い光景ではない、と。


私自身も、いざとなればと思いはしていたものの、やはり戦場への恐怖心はある。人が人を殺すことが当たり前の場所だなんて、今生では家族から大切にされて生きてきた私からすれば、たった一つしか持たない生命を人間が断ち切り合う恐ろしさに心を翳らせるなという方が無理だ。


お父様や補佐にあたっているアンフォルトお兄様と要職の人達は各国と忙しくやり取りして、いよいよ準備が整おうとした時に──ドロティアから使者が訪れた。


国境の敷地に待たせた使者から渡された書簡には、国王の押印もある。それを、目を眇めて読んだお父様は苦々しいお気持ちを隠そうともせずにアンフォルトお兄様にも読ませた。


「……我々は貴国との戦を望んではいない、また、我々からの請願を受け入れて頂けるならばアルストリネ王国への侵攻もただちに中止し永久的にアルストリネ王国の安全を保障する……請願、ですか」


「ああ。……皇女殿下による国民全てへの治癒を望むとある。ペルセポニアへかかる負担を考慮されていない。侵攻と略奪を繰り返してきた軍事国家ゆえ、信憑性にも疑問がある。……しかし、ペルセポニアの意見も聞くべきではあろうな。──宰相、ペルセポニアに護衛をつけて執務室に。……此度訪れた使者の乗る馬には白旗がくくりつけられていたそうだが……それにしても厚かましく出たものだ」


「──少なくとも、侵略して取り込んだ各国に元のような独立を認めさせるべきではありませんか?──そして二度と侵略行為はしないと誓約させるべきかと」


「それが出来るならば戦争にはならないだろうな。我が国が動き出す事もなかったはずだ」


「そもそもが、父上が送った諜報部隊の報告によれば、続く天候不良による不作で飢饉が広がっていたものを、何の施策もせず重い納税の義務を負わせて……国内での反発が各地で起こっていた中、国庫の厳しい状況を打破しようと、西の隣国にある鉱脈からの外貨獲得を目論んで起こした侵攻ですからね……」


「ああ、極めて短絡的な侵略行為だ。その浅慮は許されざるものだろう」


「はい。──さらに侵攻の間にも度重なった増税が追い討ちをかけて、国民は座して飢え死ぬのを待つか、逃げて捕らえられ殺される末路を選ぶかの二択を強いられているのですから、国民にとっては窮鼠になっての反発でもあり……そこに流行り病が重なり、飢饉に喘ぐ貧村の国民に、まともな食事が出来る食料も、流行り病に耐えうる健康状態が備わっているはずもなく……」


「その通りだ。どのみちドロティアは滅びへと向かっている。私達は引導を渡すのみの戦になろうものだが、ドロティアには己の実態さえ理解出来ていないようだ」


「愚かな……」


お父様とアンフォルトお兄様の間に一拍の沈黙が降りる。そこで、護衛騎士とリズアンネに付き添われた私が執務室に着いた。政に関する話は、まだ私には難しい。それを、お父様が噛み砕いて分かりやすく説明して下さった。


「──ペルセポニア、お前には断る権利がある。よく考えて欲しい」


「私なりに考えたのですが……ドロティアには病に苦しむ国民が多くいるのですか?」


「それもまた、自らが撒いた種にすぎないんだ。お前の優しさと幼さにつけ込んで送ってきた使者だと思ってもいい」


「はい、……でも、お父様。私が治癒を行なえば、アルストリネ王国はもう攻められないで済むようになるのですよね?──それから、話し合いによっては戦わずして、ドロティアが取り込んだ国々の解放と独立を認めさせる事も、二度とこんな戦争を起こさないように約束させる事も出来るかもしれないのでしょうか?」


「どうやら、ペルセポニアは戦には消極的らしい。──無理もない事だ」


「戦は人がたくさん死んでしまいます。傷ついた人を私が治癒できても、傷を負って治癒されるまでは痛みます。ですけれど、お父様達が考えられた末の決断が戦だという事も理解はしています」


すると、アンフォルトお兄様が身をかがめて私と目線を合わせて頭を撫でて下さった。


「ペルセポニア、君の言いたい事も気持ちもよく分かるよ。戦争なんて、本来ならば国で守るべき国民が真っ先に犠牲になるからね、しなければ済むのなら一番だ。問題はドロティアにどう理解させるかだろうね。今の自国の状態と立場に将来的なありようを、だ」


「それについて、私の知恵と知識が及ばない事も分かっております。私は幼さからか戦は怖いものと思い、病に苦しむ人は単純に助けたいと思ってしまいますが……ドロティアが、こちらからの要求を全て受け入れるのであれば……それが実現するのでしたら、何よりなのですけれど」


「そうだな、ペルセポニア。問題はまさにそこだ。……さて、どうしたものか。私とて好きこのんで戦を起こそうと考えたわけではないが、何しろドロティアは独裁者である皇帝の行ないが悪すぎる」


「お父様。だからこそ戦をする決断に至りましたお考えも、分からない事はないのです」


多くの人達の生命をやり取りする事には、私は結論を出せない。お父様達とて、生命の重さは承知の上だと分かっているからこそ。


自分の感情と把握している現状とのすり合わせにも戸惑っていると、アンフォルトお兄様が口を開いた。


「……何か、突破口になるような……ドロティアの皇帝を生命もろとも脅かすような事が起きれば、あるいは……等とも愚考致します、父上」


「お兄様、それは……例えばですけれど……皇帝が流行り病で自らも苦しんでみるとか……」


それならば、冥府に行ってハデス様とペルセポネー様に相談してみれば、あるいは何とかなるかもしれない。神様にお願いして良い事なのかは不安もあるけれど。


お父様達は、さすが共に過ごしてきた家族だ。すぐに私の考えを察したらしい。口を揃えて異を唱えた。


「それはいけない、ペルセポニア。眠りの夢の中とはいえ、魂が赴いているのに近い状態なのだろう?」


「ペルセポニア、君は病に苦しむ皇帝を治癒する事で条件を飲ませやすくするつもりだろうけれど、危険すぎる。皇帝が何らかの方法で君の意識を拘束すれば、それはそのまま我が国の最大の弱点になるんだ。そこを弁えないといけないよ」


「はい……すみません」


けれど、話はどうにもまとまらない。戦うしかないと決断した大人達に対して、子供の思考と語彙では遠く及ばない。


「いっそ皇帝が一般の兵士達と同じ扱いを受ければいいのにと思ってしまいます。ありえない事だと分かってはおりますけれど……そうしたら、皇帝もただの人でしょう?──国の事を決める以外は無力な」


「……ペルセポニアの言いたい事は分かるよ。難しい事を考えさせすぎたね。──父上、ペルセポニアを休ませても?」


「ああ、それがいい。念の為、護衛の騎士は信頼のおける者を、常に部屋の前に控えさせておきなさい。それから、城の外へは昼間の庭園といえども、当分は無闇に出ないように。いいね?」


「……はい。リズアンネは傍にいてもらっていても?」


「それは無論構わないよ。話し相手にもいいだろう」


結局、互いの考えは交錯する事なく──私は自分の色々な力の足りなさを痛感しながら護られつつ自室に戻るしかなかった。


助からない生命が出るのは、それは嫌だ。自国民や同盟国から来てくれた兵士の生命であれば、なおさら。それにドロティアの兵士でも、戦いたくないのに強いられている人もいるはずだ。


だけど、その考えが安直なせいで伝わらないのも事実だ。しかも、私はドロティアの兵達がアルストリネ王国で国民に対して略奪や無惨な暴行までしている事も知らされていなかった。それゆえに、心のありようが甘くなっていたのも真実なのだ。


「皇女殿下、お気持ちをやわらげるハーブティーをご用意致しましょう」


「ありがとう……」


リズアンネが気を遣って手配してくれる。使われるハーブはリズアンネが栽培と調合まで手がけたものだった。


一口含み、あたたかさと優しい香味に息をつく。ハーブ本来の甘みと酸味が複雑に組み合わさって調和を成していた。


「皇帝が……自分で自分の過ちに気づけたらいいのに……」


我が身を自分が苦しめた人達に置き換えて、自身を顧みる事がもし可能なら。それは、どんなにか。


「皇女殿下……あまり思いつめませんように」


「ええ……」


──結局、ドロティアからの使者は「貴国には信用に足る何らの根拠もない」と、手ぶらで帰らせられた。そうしている間にもアルストリネ王国は変わらずにドロティアから侵攻を受け続けていた事も要因としてある。


それにより、ドロティアとの戦は避けようがなくなった。


私は、相手の譲歩に見せかけた罠で弱腰になっていた自分を、初心にかえって奮い立たせるしかなかった。一度芽生えた戦への忌避感を心に抱えたまま。


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