第16話

──私が不自由なく身体を動かして日常生活を送れるようになる頃には、国内の全ての人達のみならず、アルストリネ王国全土でも、皇女ペルセポニアによる神の御業が行なわれたと言う話が知れ渡っていた。私が二か月の長きにわたり巫女の力でもって眠りを繰り返していた事も事実を裏づける要因となった。


そこまで騒がれる事になって、事実を知る一部の人達からそっとしておいてもらえていた私も、まことしやかに言い交わされる噂話を知らないままではいられなくなっていた。


お兄様達は「ペルセポニアは悪事を働いた訳ではないんだよ、むしろ数えきれない程の人達を病苦から救ったんだ。堂々としておいで」と宥めて下さったし、私自身行動を起こした事に悔いはない。が、過剰にもてはやされる事には居心地の悪いような、言葉に表せない不安定な気持ちを味わった。


そして間を置かずにアルストリネ王国から国賓の一団が訪れた。そのうちの一人である伯爵家の子息が私を見て、「まさしく月のように現れて治癒して下さった姫君でございます」と言う。どうやら私が治癒して回った中に彼もいたらしい。


アルストリネ王国には貴重な鉱脈がいくつもある。要件は、そのうちの一つを、アルストリネ王国の国王陛下から私へと、感謝として贈らせて欲しいとの事だった。


私は大使として訪れた隣国の王太子様と初めて相対した。国王陛下は戦時中ゆえに国から離れられないとの事だった。王太子様は今年で16歳になるという少年で、黒髪に青い瞳の涼やかな容貌をしていた。


私自身も国内の令嬢達による噂ではかねがね聞いていた。16歳の若さで剣術に優れ、マスターとも言われているそうだ。


想像では筋骨隆々の逞しい方だと思っていたけれど、目の前にいる王太子様は、身体こそ無駄なく引き締まっているものの、ひと目見ただけではそうと分からない。ただ、年齢以上に落ち着いた瞳の眼光が、戦いに身を置いた経験からか、隙なく鋭いようにも見える。


その王太子様から贈り物について伝えられ、「見返りは求めていません」と固辞したものの、「どうしてもこの感謝をお伝えしたいのです」とまで言われて、お父様からも、「これを機にドロティアを叩くつもりだから、国益になるものは受け取っておくように」と勧められて、断りきれず丁重にお礼を言って頂戴しておく事にした。


そしてお父様に「イリョス帝国も戦になるのですか」と訊ねると、お父様は「いずれ避けられなかった事だ。アルストリネ王国を制圧すれば我が国にも攻めて来るだろう。ドロティアは土壌が痩せていて実りが少ないから、我が国の豊かさは武力をもっても欲しいはずだ。同盟国にも応援を要請しているところだが、色良い返事をもらえている。ドロティアも長きにわたり、力なき民まで動員して戦い続けて限界も近い。この機を逃さず一気に落とすつもりだ」と答えた。


アンフォルトお兄様も、「あの国は侵略で国土を拡げてきた国だ。国内には制圧された国の民からの反発や不満も多いからね。独裁国家だから表立って逆らえなくとも、それが士気にも繋がって今回の戦が長引いているのだろう。ドロティアとは今こそ戦わなければ、イリョス帝国も無事では済まないだろうし、逆に言えば今しかないんだ」と説明して下さった。


私は、「ならば私の治癒はまた役に立ちますね」と申し出た。王太子様が刹那すがるような眼差しになる。お父様は「ペルセポニア、お前の働きは素晴らしかったが、戦争となると流行病とはわけが違う、戦地は危険すぎる」と反対した。


だけど私も引き下がれない。「お父様、覚えておいででしょう。私は眠りの夢の中で治癒できます。生身の肉体は皇城で眠っているので安全です」と返した。助けられる生命をむざむざと見捨てる事など出来ない。


すると、お父様はひと欠片の切なさを滲ませながら私を見つめて語りかけてきた。


「ペルセポニア、お前には国の命運を握らせるような重圧をかけずに、家族のかけがえない娘として不自由なく伸び伸びと成長し幸せになって欲しかったが……いつの間にか民を思う皇女として立派に育っていたのだな」


「皆さんから与えられたものは与える事でお返しする。そうすれば幸せは拓けると神様から教わっていました。今、その機会が訪れたのです」


「けれどペルセポニア、お前はまだ10歳の守られるべき子供だという事を忘れてはいけないよ」


噛んで含めるように言い聞かせてくるお父様のお気持ちも、今の私になら分かる。だから、素直に頷いた。


「はい、お父様」


「分かってくれているのならば良いんだ。──さて……王太子には長旅の疲れもあるだろう。客室を用意させて頂いたので湯浴みをして休んで欲しい。晩餐では、しっかり食事をとって英気を養ってくれるだろうか」


「もったいなきお言葉、心より感謝致します」


それを潮に謁見は終わった。王太子様達は侍従に案内されて、それぞれの客室へと向かう。立ち去る前、私に何かを伝えたそうに意味深な瞳で見つめてきたけれど、それの意味するものは分からなかった。


お兄様達が王太子様とアルストリネ王国の素晴らしい特産物や産業について語り合う晩餐は、王太子様の強ばっていた心を少しでも解したようだった。


王太子様は、無意味な事は一切話さないけれど、時おり年相応の表情を見せる。しかし、母国は戦時中だ。剣術のマスターとして戦地に赴く為にも、明日には帰国するとの事だった。


晩餐を終えて自室に戻る。侍女の世話を受けて湯浴みと着替えを済ませ、アスランとバルコニーに出て夜風にあたった。南に位置するこの国は冬になっても温暖でさほど冷えない。それでも長い時間は外にいられず、しばし煌びやかな星空を見上げてから室内に戻る事にした。──すると、不意にアスランが私の寝間着の裾を咥えて引いてきて、どこかへ導こうとするような動きを見せる。


寝間着で部屋を出るだなんてはしたないとは分かっていたものの、アスランの珍しい行動に、ここはアスランに任せようと考えた。


こっそり自室を抜け出して、城内を歩く。すると、王太子様が私のようにバルコニーか庭園か、どこかで夜風にあたっていたのだろうか、どことなく儚げにピロティで佇んでいるのが見えた。


憂いをたたえた様子を見て妙に胸が痛んだが、まさか皇女でありながら寝間着姿で声をかけるわけにもいかない。内心で葛藤し焦れていると、アスランが駆け出して王太子様の元に行ってしまった。


王太子様は普通では考えられない白銀の狐の姿にとても驚いていたけれど、物陰から見ていた私に気づき、「皇女殿下が飼われておいでの狐でございましたか」と言って礼儀正しくお辞儀をした。


私も、「お見苦しい姿で申し訳ありません。この子の導きに従って出てきてしまいました」とお詫びを口にすると、王太子様は「いいえ、帰国する前に今一度お会いしたいと思っておりました」と言って表情をやわらげた。


そして、「私の母国を救って下さり、ありがとうございました。どうか──ささやかですが、こちらを受け取って頂けますか」と言って上着の左胸あたりからブローチを外し、私に差し出した。


「私の母国で採掘される黄金に王国の象徴である宝石をあしらった品です。皇女殿下には、どうぞ末永く友好関係が続きますように」


王太子様はそう話してくれたが、身に着けていた程大切な物を受け取っていいものか戸惑っていると、王太子様が「明朝には、ここを去らねばなりません。お会いする事も難しくなる事でしょう。此度の──感謝と記念と、救国の姫君にお目通りが叶った証としてお受け取りくださいましたら、この上なき喜びです」と続けた。


そこまで言われると断れず、私はお礼を言って受け取った。


そのブローチひとつが、後に私の人生に大きな影響を与える事になるとは、その時の私には知るよしもなかった。


「夜風にあまりあたっていてはお風邪を召しますね。お部屋までお送り致します」


「住み慣れたお城ですから大丈夫ですわ」


「いえ、お送りさせて下さい」


王太子様は私の細い肩に自らの上着をかけて下さり、自室までの長くはない道のりを、ゆっくりと歩いて送り届けてくれた。


「では、──またいつかお会い出来ることをお祈りしております」


そして、王太子様はその一言を残して立ち去った。


自室のベッドに戻り、頂いたブローチを手にして角度を変えながら眺める。


はめられている澄んだ真紅の宝石が、月明かりに輝いた。外は頼りない三日月だというのに。


不思議に思いながら様々に角度を変えて見直してみたけれど、宝石が再び輝きを放つ事はなかった。


私は諦めてブローチをベッドのサイドテーブルにそっと置いて、眠る為に目を閉じた。


そして──明朝早くに王太子様は帰国の途につき、私が目を覚ました頃には既にいなかった。私はそれを知らされて、どこか寂しいような名残惜しいような気持ちを抱いて、夜のうちに頂戴したブローチを見つめた。


それから間もなく、私達の国は本格的に戦いの準備を始めたのだった。

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