第15話
夢のような幸せに包まれた8歳の誕生日も過ぎて、私はいつもの生活に戻った。
皇女としての勉強とマナーのレッスンを受ける日々。けれど、豊穣の力も治癒の力もお父様や他の家族達から強いて求められる事は一度としてなかった。
皆が、当たり前のように末っ子として生まれた皇女として接してくれる。
それは、相変わらず真綿にくるまれるような日々だった。
しかし、私が10歳になった年の秋に国を揺るがす事態が起きたのだ。
私はその事実を、ウィルフレッドお兄様から知った。
最初はアルストリネ王国からの避難民だった。アルストリネ王国は長らくドロティアから侵攻を受けている。必死に抵抗を続けていたが、戦いの相手である侵攻国の者から兵士が伝染病をうつされたのだという。
そこから病は広がり、長く苦しんで疲弊していた国民に病をどうにかする力はなく、伝染病はアルストリネ王国中に広まったそうだ。
それは発熱と嘔吐に全身の発疹を伴う病だそうで、栄養状態の良い健康な人ならば半月ほどで快方に向かうが、後遺症として身体の神経を傷めたり倦怠感が強く残ったりするらしい。
侵略に抗い続けてきて、何もかもが不足しているアルストリネ王国の国民には、あまりにも酷な伝染病だった。
そして、その病は戦禍から逃れてきた難民にも患っている人がいた。感染力は衛生に気をつけていれば爆発的な脅威ではないらしいが、その発見が遅れてしまった。何しろ、我が国では例のない病だったのだから、対処法をつきとめる前に国境近くの村で罹患者が増えてしまったのだ。
お父様は都を封鎖して、ウィルフレッドお兄様を病の為の薬草の調合をする医師団へと加わらせ、アンフォルトお兄様とは連日会議を共にさせた。
家族全員が揃う食卓がなくなり、何かが起きていると疑問に感じていた私は、お父様への報告の為に皇城へ戻っていたウィルフレッドお兄様に問いただして、直接聞き出したのだった。
流行り病──隣国の人々はどれほど苦しんだ事だろう。そして私が守られている国の人達も苦しんでいる。
私はそこで自身の治癒の力を思い出し、今こそ使うべき力だと確信した。その為には、お兄様達やお父様からの理解と協力が必要だ。
私はウィルフレッドお兄様に、病後の回復に良い薬草の調合と、お腹に優しい食料の調達を「お願い」した。
そしてアンフォルトお兄様には、私が赴いて治癒を行なう許可が得られるように、私と一緒にお父様へ掛け合ってもらえるように「お願い」をした。
それらの「お願い」は、またたく間にお兄様達全員にもお父様やお母様にも、アンフォルトお兄様によって伝わった。
お兄様達は危険だと渋ったものの、私の意思は強かった。最後には折れて、「お願い」を聞いてくれた。
お父様は、まず国境近くにある病の広まった所まで行くのにも、治癒に奔走するのにも日数がかかる事を難点に挙げて反対した。
しかも私はアルストリネ王国の人達までも助けたいと願ったのだ。お父様からは、「戦禍の地に幼い姫が行くなど許容出来るものではないし、姫を護衛する人員も少なからず必要になってしまう、それは他国間の戦争に介入するのかと判断されかねない危険な行為なんだ」と反対された。
私はかつて、眠りの夢の中で戦地の兵士を癒した事を挙げて、「眠りの夢の中から皆を治癒すればいいのです」と訴えた。それならば、移動距離も他国間の戦争も問題にならない。
お父様は、「それでも万が一私が罹患でもしたら」と心配してくれたけれど、「私は家族や国民の皆から、与えられてばかりで生きるのではなく、皇家の人間としての務めを果たしたいのです」と主張した。
そして、粘り強く説得とお願いを繰り返して、ようやく許しを得た私は、治癒して回るほど眠るにはどうすればいいかをお父様に相談した。眠りの夢の中での治癒を繰り返すには、リズアンネの力を借りたいところだが、あいにくリズアンネはここしばらく姿を現していない。どこに行ってしまったのか分からないけれど、その疑問はすぐに解けた。
お父様は、それならば聖堂に術を使える巫女がいるので、彼女を皇城へ招こうと仰った。彼女は──ハデス様により、私の助けになるようにと、いつの間にか肉体を与えられていた、あのリズアンネだったのだ。歳の頃は10代半ばの少女で、抜きん出た力を持つ巫女だと前もって知らされていた。
リズアンネと言えば、元より巫女の魂であり、既に私の知己だ。
会ってみると、リズアンネは「このような時にこそ役立てるよう、ハデス様から恩恵を得られる事が出来たのでしょう」と答えてくれた。ハデス様は、リズアンネがより一層私の力になれるように、リズアンネを生命が尽きた瞬間の聖職者の肉体に宿らせて下さったらしい。
しかし彼女に事情を話して眠りのお願いをすると、お父様達と同様に私の身を案じてくれて、食事の時間には必ず目を覚ますことと一日一度は身体を動かして歩くことを条件に承諾してくれた。そして、涙ぐんで再会を喜んでくれた。
「お会いしたくございました、皇女殿下」
リズアンネは私を皇女殿下と呼ぶようになっていた。おそらくは、肉体の立場によるのだろう。それについては気にしない事にする。
「私もよ、久しぶりね。いつも一緒にいたのに、急に姿を見せなくなったから、何かあったのかと心配していたわ」
「申し訳ございません、皇女殿下。魂が新しい身体に馴染むのにも時間がかかりましたし、一介の巫女でしかない私が謁見を望む事も致しかねておりました。ですけれど、全てはハデス様による計らいでしたのでございましょう」
「本当に助かるわ、ありがとう。ハデス様にも感謝しなければならないわ。──リズアンネ、これからは私の傍で生身の巫女として仕えてくれないかしら。私には、あなたが必要だわ」
「もったいないお言葉ですわ、皇女殿下。私は皇女殿下のお為になるのでしたら、この身の全てを捧げたく思います」
私達は手を取り合い、リズアンネは巫女として正しく、私は国の皇女として正しく、その為に力を使おうと話して約束した。
そして、私はお父様に「リズアンネを一時的にでも、私の側仕えにして下さいませんか。これからの私には彼女が必要なのです」とお願いして、お父様も「ペルセポニアには普通の人ならざる力がある。能力のある巫女が支えになるのならばペルセポニアの右腕にもなってくれるだろう」と快諾して下さった。
それらを受けた私は冥府にも行って、ハデス様に「夢の中で効率よく治癒して回れるように助けてください」と頼んだ。
すると、ハデス様から「ならば、そなたに付き従う狐の聖獣の背に乗って飛べるよう──アスランと言ったか、その聖獣に力を授けよう」と言ってもらえた。アスランに与える力をもってすれば、魂の姿をした私を運ぶ事は遥か遠い地でも一瞬で済むらしく、私に魂の移動による負担がかからないそうだ。それならば治癒して回るにも困難はない。私はハデス様に「ありがとうございます、これで多くの人達を救えます」と、心から感謝した。
ハデス様は、その私を見て「痛みと恐怖の記憶に震えるばかりだった魂が、よくぞ他者の為を思い行動しようと努められる人間に育ってくれた」と、喜ばしく思って下さっている様子で、「今こそ私が与えた力を振るうといい」と後押しして下さるのもありがたかった。
私は「必ずやご期待に応えます」と誓って冥府を後にし、リズアンネにハデス様とのやり取りを話した。彼女は、「聖獣様が手助けして下さるのでしたら、この上なく頼もしいですわ」と声を弾ませてから、「皇女殿下が成そうとしておいでの事には、味方も力になる存在も多くございます。どうぞ心置きなくやり遂げて下さいませ」と真剣な面持ちで告げた。
「ええ、リズアンネ。私は独りではないわ。皆が見守ってくれるし、助けてもくれる。もう可愛がられるだけの皇女ではなく、与えて頂いた祝福の力を、国の為にも苦しんでいる人達の為にも全力で使うわ」
──そして準備は整い、私は家族全員に見守られながら眠りにつく事になった。
「お父様、お母様、お兄様達。行ってまいります」
そう微笑んだ私の手を、皆が代わる代わる握りしめて励ましてくれた。リズアンネが私の額に手をあてると、私はすっと眠りに落ちていった。
まずは近隣の町や村からだった。国の対策は届いているらしく、衛生面に問題はない。だが、それでも絶え間なく繰り返される患者達の嘔吐で病室は饐えた臭いがたちこめていた。
私は戦地の兵士を治癒した時を思い出し、その時のように力を使って病室の患者達皆を空間ごと治癒した。
いくつかある病室全てで同じように治癒を行ない、病院に入りきれずにいる人達も回って治癒を行なう。病室からも病院の外からも、純粋に喜ぶ人達の歓声が聞こえた。
そこで一旦目を覚ました。重い瞼を開くと、お母様やお兄様達が見守ってくれている。アンフォルトお兄様にウィルフレッドお兄様、そしてお父様は、私だけに負担はかけさせまいと、病後の回復に必要な物資をまとめて、各地へ送る準備に奔走して下さっていた。
私は、はやる気持ちを抑えながら食事をとり、リズアンネに支えてもらいながら皇城の庭園を散歩して、お茶を飲んで一息ついてから自室に戻ってまた眠った。
それを繰り返していくと、患者達の横たわる場所の衛生状態が段々と劣悪になってゆくのが見て取れた。おそらくは、役人の手が回らない国外れの地方やアルストリネ王国だろう。
患者達の容態も明らかに悪い。使う力の必要量が大きくなり、私は何度も起きて休み、また眠った。幸いにも、その頃には近隣の町村にはお父様達が手配させた物資が行き渡っていた。
国中で、あるいはアルストリネ王国で──幼い女神が現れたと噂されるようになった事を、私はまだ知らない。
ただ私は、必死に治癒を続けた。
そうして二か月をかけて治癒を済ませると、パレード等で私の姿を知る者の口から、皇女殿下ペルセポニア様が女神様のように現れて疫病を退けたと話が広まっていると知らされたのは、後になってからの話だ。
お父様達は、私を気遣い、せめて今はゆっくり休ませたいと考えられて、私には何も知らせずに務めを終えた私を労い、皇城で心身の疲れを癒して元気が戻るまで守り通して下さっていた。
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