第14話

冥府に行くと、影のような従者達が忙しく立ち働いていた。


そのうちのひとりの従者が私を見つけて、しわがれた声をかけてきてくれた。


「癒えぬ傷を負って天国で震えていた魂か、今宵必ず訪れる事とハデス様が仰せであった事よ。あの小さくもか弱き魂がよくぞここまで輝かしくなったことだの。ハデス様もお会いになれば喜ばれよう。ほら、私について来るといい」といざない、生気を感じられないのに弾んでいると分かる不思議な口調で話しながら案内してくれた。


「はい、ハデス様の従者様」


黄色い蝋燭に照らされた、初めて見る地下の回廊を歩き、ハデス様のお待ちでいらっしゃる天国まで連れて行かれる。


ほの暗かった回廊の向こうから明るい陽射しが見えたかと思うと、次に足を踏み出したら、そこはもう天国のお花畑だった。


「ハデス様。ペルセポニアをお連れ致しました」


直前までお仕事をなさっていたのか、冥府の審判に召される正装姿のハデス様が光の玉──天国の魂達に懐かれながら、こちらを振り向く。


ハデス様は佇まいこそ静かだけれど、優しい笑みを向けて下さった。今なら分かる、ハデス様とペルセポネー様が、どれだけ慈悲深く天国の魂達を見守って下さっているのか。だからこそ、私もまた──。


「ハデス様。私は8歳の誕生日を迎える事が出来ました。皆に愛されているからです。大切に守られて生きてこられました。ハデス様とペルセポネー様から頂いた祝福は無駄にしません。ありがとうございます」


緊張したものの、精一杯の言葉でお礼を言った。神様には嘘も偽りも通用しない。私は心からの気持ちを言葉にした。


「ペルセポニア、そなたは過去世でこそ7歳の幼さで無惨な死を迎えたものだったが、今生で幸せに満ちた8歳の誕生日を迎えられた事、喜ばしく思う。これからは与えられた愛情や慈しみを惜しみなく他者へも与えて生きるのだぞ。人というものは、そうしてこそ本当の幸福に歩み寄れるものだ」


「はい、ハデス様。私はたくさん幸せをもらってきました。だからこそ、こんなに幸せな毎日を、特別な誕生日をもらえました。ありがとうの気持ちを忘れないで、皆にお返しします」


皆から愛されて大切にされる事は、あたたかい毛布にくるまるようなぬくもりがある。けれど、くるまれているだけでは駄目だとも分かる。私も、これからの人生で何かを返してゆきたい。


「それでいい。そなたは魂の傷を乗り越えて、心根の良い子に育ったな。今は魂も翳りなく輝いて見違えるようだ。本来ならば春はペルセポネーも冥府から離れているのだが、今宵はお前の特別な日を祝ってやりたいと冥府を訪れてくれる事になっているから、会って元気な姿を見せてやるといい」


「はい、ペルセポネー様にもお礼をお伝えしたいです」


元気よく答えると、ハデス様が天国の向こうに「ペルセポネー、あの娘が訪れたぞ」と声をかけた。すると、空中からペルセポネー様がふわりと現れた。私を見るなり、満面の笑みになって下さる。


「ペルセポニア、よく来たわ。まあ、本当に私と生き写しのようになってきたわね。子供の成長は楽しみなものだこと。その様子だと、良き日を迎えられたようね?」


「はい、ペルセポネー様。天国にいた時に、私を大切にして下さって、ありがとうございました。私がハデス様とペルセポネー様から受けた祝福は、とてもすごい力を持っているそうなのです。私は皆の役に立てるようになれたら、もっと嬉しくなれると思います」


「まっすぐな魂だこと。可愛いわね。ペルセポニア、あなたはこれから、たくさんの人に必要とされるわ。今の美しい魂で力を蓄えて、ハデス様の言うように生きてゆきなさいね」


「はい!」


頷くと、ペルセポネー様が「あなたの鞠の如き弾む声が淀まぬように」と仰って額にくちづけて下さった。続いてハデス様も「ペルセポネーに生き写しの姿を授かった生命の、健やかなる成長を」と仰って、ペルセポネー様と同様に額にくちづけて下さる。


「あなたの幸せそうな姿を見られて良かったわ。──さ、人の世にお戻りなさい。今宵は早めに休まなければならないのでしょう?」


「あっ……明日はお祝いのパレードをして下さるそうなのです」


「パーティーのみならずパレードまでとは、今生での愛されぶりは凄まじいものだ。どれだけ愛されているかを知り、その幸せを感じ取って、今生での生き方を大切にすれば過去世での不遇もいつかは報われるだろう。ペルセポニア、今のそなたならば私達がそなたに望む人生を全う出来ると信じているぞ」


「はい、ハデス様。何だか頑張れそうな気がします」


難しい事はまだ分からないけれど、ハデス様とペルセポネー様の仰せになった事は、何が言いたいのかなら分かる気がする。


「では、ね。また会いましょう」


私は生きる。生き直すのだ。新たな人生で、愛を知った私ならば──どんな時もまっすぐ生きれば、それを諦めなければ、捨てられて食い殺された過去の絶望──そう、あれは絶望というものなのだろう──を繰り返しはしない。


私はハデス様とペルセポネー様に見送られ、一歩踏み出すと目の前に突如現れた鏡の中へと吸い込まれるように入り込み、そして自室に戻っていった。狐のアスランが私の足許にすり寄り、しきりに匂いを確かめて小さく鳴いた。


「アスラン、大丈夫よ。あなたを連れて行けなくて、ごめんなさい。ほら、ベッドに行きましょう春でも夜は寒いもの、床にいたら風邪をひくわ」


アスランの頭を撫でてやると、ようやく落ち着いたらしい。一緒にベッドに横たわり、私達は体温と掛布のぬくもりに眠りへといざなわれていった。


──そうして迎えた翌朝、朝餐を済ませるとパレードの為の着替えが待っていた。


「これは、花嫁さんが着るドレスみたいだけれど……」


「いえ、皇女殿下を最もお美しく輝かせる装いでございます」


華やかな白い絹のドレスには銀糸で刺繍が施され、それに繊細なごく淡いペイルブルーの糸で編んだレースのストールを合わせて前を金細工のブローチで留める。ブローチの宝石はブルーダイヤモンドらしい。


白いドレスに青い宝石のブローチならば、あの妖魔のティアラも映えるだろう。私は「妖魔からもらった宝石のティアラも着けたいわ」とお願いしたところ、侍女達にはリズアンネの力により、ピンクに色を変えた宝石をあしらった昨日のティアラについては記憶がないらしく、「もちろんですわ、どれだけ皇女殿下の美しい髪色を引き立てる事でしょう」と賛同してくれた。


その他にも、サイドを編み込みした髪には同じくブルーダイヤモンドをつけたピンを所々にあしらい、こんなに贅沢をしていいのかと戸惑う程に着飾られた。


お兄様達は、誰が私を馬車までエスコートするかを言い合っていたようだ。結局ここはアンフォルトお兄様が務める事になった。


お父様の待つ馬車へとアンフォルトお兄様の手を取って歩いてゆくと、馬車に乗り込もうとした私を、お父様が軽々と抱き上げて隣に座らせる。お父様もお兄様達に譲ってばかりいるつもりはないらしい。


「兄上、今回は譲りますが、ペルセポニアのエスコートは来年から順番に持ち回りですよ」


オージスお兄様が言うと、アンフォルトお兄様は笑って「ナイトベルツの頃にはペルセポニアの婚約者が務めるかもしれないよ」とお兄様達の間で火花が散りそうな事を言ったけれど、お兄様達は「大丈夫です。婚約者ごときにペルセポニアを奪わせません」と返してのけた。


お兄様達からの愛情は本当に嬉しいけれど、それはそれで問題も感じないではない。だけど、今日のパレードは国をあげてのお祭りのようなものだ。


私は気を取り直して「お兄様達がエスコートして下さるのでしたら、毎年の誕生日が楽しみです」と笑顔でお兄様達をそれぞれに見つめた。


お兄様達は、それだけで喜び、「僕達に任せて。どのような人とペルセポニアが結ばれようとも、一番君に近しいのは僕達家族なのだから」と胸を張った。


そして都を進むパレードでは、沿道にぎっしりと人が集まっていた。今はもう歓声も意味の違いが分かり、怖くない。


左右も前後も、天井まで全てガラス張りになっている馬車は、絵本で読んだお姫様が乗ったものを思わせる。


「綺麗な馬車ですね」


とりあえず、伝説級の金属のものでなくて良かったと私は安堵した。


「この馬車ならば、美しく成長したペルセポニアの姿を皆が見られるだろう?」


お父様が言うには、ガラスはとても頑丈な物で、弾丸だろうと槍だろうと弾く特別なガラスの馬車らしい。


ガラスと言えばお城の繊細なガラス細工ばかり見てきた私からすれば、魔法みたいなガラスだ。やはりお父様の考え方は、8歳の誕生日を迎えて一つ大人に近づいたといえど、どこか不穏で過保護なままだ。


けれど、ここまで気遣ってくれる程に愛してもらえているのは過去世ではありえなかった事だ。私は感謝して馬車に乗り込んだ。


パレードが始まると、国民の皆が一斉に弾丸や槍の代わりに花をまいて迎えてくれた。ヒヒイロカネの馬車と違い、群衆の声もよく聞こえてくる。


「皇女殿下万歳!──夕べは振る舞われたサーロインステーキを3ポンド食べました、精がついて子作り四回戦まで頑張れました!」


「皇女殿下のお美しさを分けて貰えました!──鶏肉と野菜にクリームもたっぷりのスープを食べたら、今朝は旦那から、お前綺麗になったなと言われました!」


「皇女殿下のお蔭で久しぶりに酒を呑めたと思ったら、どんな高価な酒なのか、昨夜は泥酔したのに二日酔いしてません!」


「パーティーでのご馳走を食べられました、しかも国王陛下は新しく作りたてのお料理を振る舞って下さいました、今でも口の中が幸せな味です!」


「生まれて初めて紅茶を飲みました、あの芳醇で花のような香りが鼻を抜けて後味は爽やかな味わい、砂糖までつけて貰えて加えたら更に美味しく甘露でした!」


「皇女殿下……何て愛らしいお姿……まさしく女神様の降臨です!──化粧水は何をお使いでしょうか、ペリエですか、アセロラですか!」


……大人達の言葉は、よく分からないけれど、どうやら私を歓迎してくれているらしい。


お父様も「子供が聞くには問題のある発言もあるな」と、苦笑いなされておいでではあるけれど、国民が喜んで沸いている姿を見られるのは嬉しいようだ。


私に向かって「ペルセポニア、お前は神々だけでなく国民からも祝福されているようだよ」と笑いかけて下さった。


そしてパレードは賑やかに進み、最後に農村から訪れたらしい人が叫んだ。


「皇女殿下が3歳になられて以降、毎年豊作です、その分税金を持ってかれやしないか心配してましたが増税はありません!」


魔導師からは豊穣の力があると言われたし、今の豊かさがペルセポネー様からの祝福によるものだと気づいてはいても、3歳の時からというのが疑問でお父様を見やる。


お父様は、ぽつりと「……ペルセポニアが皇家の紋章を見て、ひどく怯え泣いたので、白銀の獅子に変えた辺りか」と呟かれた。


私の記憶には残っていないものの、むしろそれほど幼い頃からペルセポネー様の祝福は活きていたのかと驚く。


そして皇家の伝統ある紋章でありながら──周りからの批判も免れなかっただろうに──ただ怯える私だけの為に紋章を変えて下さったお父様への感謝と共にパレードの終わりを迎えたのだった。

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