第11話

──その眠りの夢の中で、湖に現れた妖魔が出てきた。妖魔はどこか悲しそうに「たとえ結ばれぬ仲だと分かってはいても」と切り出した。


「小さな姫君。私は、あなたについている護衛の騎士に数年前から恋をしていたの。当時の彼は皇家の別荘を守る任についていたわ」


「……私の護衛騎士に?」


「ええ。そうして、彼が水辺に来る度に人間の姿に変化して思いを重ね合わせていたの。……けれど」


妖魔が声を震わせる。切なそうな顔は、今にも泣き出しそうだ。


「彼は姫君の専属護衛になると同時に、ここを訪れなくなってしまったわ……。悲しくて逢いたくて、いっそ姫君さえいなくなれば彼が戻って来てくれると考え……だから船を襲ったのよ」


「……それは、下手をすれば彼までもが生命を落としていたかもしれないのではないかしら。あの時、船は転覆するかと思ったくらいだったわ」


「今思えばその通りだわ。……逢いたい、彼を取り戻したい、ただその気持ちを抑えきれなかった事を、激情のままに動いた事を、詫びる為に姫君の眠りに現れる力を使ったの。──相対した聖獣は私に言ったわ、それをしても無駄な事だと。そして、彼は心変わりして離れた訳ではないのだからと」


「アスランが、あの時……?」


「ええ。私は船を襲った時、確かに見たわ。彼が私を見つめる眼差しを……複雑に絡み合う様々な感情が見えて、そこには私に向けた事のない感情も見えたわ。恐れ、悲しみ、後悔。私はそれを見て絶望を味わった。大勢の人間達を、そして彼をも危険にさらして、得られるものは何ひとつないのだと知った。──なのに、聖獣は私を救う言葉で諭してくれた。信じて待ちなさい、と。焦がれた再会を衝動で穢すなとも」


妖魔の瞳が揺れ動く。私は言葉を探し選びながら、妖魔の心を見つめるようにして自分の考えを口にした。


「……正直、私には恋する気持ちはまだ分からないけれど……でも、結局あなたは一人の犠牲も出さなかったわ。それがアスランのお蔭だとしても。その結果は、彼に何かを伝えられたのではないかしら」


「姫君、あなたは許してくれるの?──彼が護るあなたを、危険な目に遭わせたわ」


「でも、アスランだけでなく皆が私を護ってくれたわ。私は怪我もしていないし、何より誰も死なずに済んだのよ。あなたが悔やんでくれているのに許さない理由はないわ。──それに、アスランはきっと、私よりもずっと賢くて色々経験した存在よ。そのアスランが信じろと言ったのなら、あなたは再びここを訪れた彼を信じてはどうかしら。訪れた理由が任務だとしても──あなただけが逢いたいと焦がれていただなんて考えてしまっては、良い事は何もないでしょう」


アスランはこの地にいた聖獣だ。そのアスランが言うのならば、妖魔は私の護衛騎士と重ねてきていた想いを信じるべきだと思えた。


「姫君……ありがとう。私は彼を奪ったあなたを憎んだけれど、あなたに会えて良かった。私に取り返しのつかない過ちを犯させなかった、あの聖獣にも感謝しているわ。本当に、ありがとう」


妖魔の姿が霞に包まれて見えなくなってゆく。目の前に佇んでいた妖魔の最後に見えた表情は、憎しみを手放して、代わりに何かを大切にしていると見えた。


「……あ……」


──消えゆく妖魔が微笑んだような気がした夢から醒めて、私はいつの間にか部屋のベッドに寝かされていた事に気づいた。


呼び鈴を鳴らすと、すぐに侍女がやってきて、「皇女殿下がよくお休みのご様子だったので、陛下が抱いて運んで下さったのでございます」と聞かされた。


「嫌だわ、どうしましょう。お父様のお手を煩わせて面倒な事をさせてしまったわ……」と言うと、侍女は笑いながら、「むしろ姫君を独占出来て、お幸せそうでございましたわ。皇子殿下方など皆様羨ましがっておいででしたもの」とフォローしてくれた。外出先で寝てしまうなんて、はしたないし恥ずかしい事をしてしまったとも思うものの、それを責めるつもりは周りの皆には毛頭ないらしい。


それから、侍女は「昼餐には遅いですが、軽いものでもお召し上がりください」と勧めてくれた。


言われてみると、少しお腹がすいている。


「私が釣ったお魚は、アスランがもう食べてくれたかしら」と問うと、侍女は「アスラン様でしたら、皇女殿下のお目覚めをお待ちになって食べずにおりますわ」と教えてくれた。それでは、きっとお腹をすかせているだろう。


私は急いで起きて、「アスランと一緒に頂くわ」と答えた。


すぐに晩餐に響かない程度の軽食が運ばれてくる。アスランが足許に擦り寄ってきて、私はアスランの耳許で「妖魔を説得してくれてありがとう」と囁きかけ、それから「さ、アスラン。一緒に頂きましょう」と声をかけた。


私が軽食に手をつけると、アスランも出され直したお魚のお皿に口をつける。焼いて身をほぐしたお魚を、アスランはとても美味しそうに食べてくれた。


アスランと一緒に食べ終えて、なごやかにすごしていると、ドアがノックされる。応対に出た侍女が私の護衛騎士の訪れを告げた。


妖魔と逢瀬を重ねていた騎士だ。騎士は妖魔が私に危害を加えようとした事を謝罪して、「私めを護衛から外して下さい」と願い出た。


詳しく聞くと、皇城での勤めから離れて妖魔と添い遂げたいと言う。その為に、妖魔と出逢ってから許嫁とも婚約破棄していたらしい。


やはり、アスランの言う通りだったのだ。私はすぐに「彼女はあなたを信じて待っているわ。船を襲った事も、悪い事をしたと悔やんでいるの。彼女の元へ行ってあげて」と離職を許したものの、「でも、決定権はお父様にあるから、お父様にもきちんとお願いするようにね」とも言った。


騎士はしきりに感謝しながら、妖魔には自分との間になした子供もいるのですと話した。


「ならば尚さら、お父様にすぐお願いに行くべきだわ」と勧めて、騎士は私にしきりと感謝しながら退室して行った。


その騎士の離職は、私が許していることもあり、お父様にも惜しまれながら許された。


* * *


夜の帳が降りた頃、騎士は湖に赴き、「セイレーン、僕だよ」と呼びかけた。すると間を置かずに妖魔が現れて、人の姿に変わる。


「逢いたかったわ……愛しいあなた。姫君達の乗る船を襲って、本当にごめんなさい」


「僕こそ、君を独りにして悪かった。離れている間、ほんのひと時でも忘れた事はなかった……必ず戻って来ると伝えてさえいれば、君の心を荒れ狂わせる事もなくて済んでいたんだと悔やんだよ」


「……あなた……」


妖魔が抱いていた子供を足許に放し、その子供が騎士に、「会いたかった、お父さん」と、じゃれつくのを騎士は愛おしげに見下ろして頭を撫で、そして妖魔に、皇城の任から離れた事を告げた。


騎士は「これからはずっと共に生きよう、愛している」と告白した。


妖魔は真珠の涙をこぼしながら騎士に抱きつき、二人は固く抱き合った。


くちづけを交わしながら、騎士が「今まで聞けなかった君の本当の名前を教えてくれないか」と訊ねる。


「なぜ本当の名前が別にあると知っているの?」


「セイレーンは海の魔物だよ。湖には出る訳がないだろう?──それに君は魔物ではなく、僕の愛する女性なんだ」


それを聞いた妖魔は、「アイリアスよ……」と涙声で告げた。


騎士も「僕の名前はフォルドだ」と返し、名を交わした事は二人が添い遂げる為の契りとなった。魂が繋がり、もうなんぴとにも二人を引き裂けない。


強い絆で結ばれた二人と子供は、湖の中へと消えて行った。


* * *


それからは森に行っても船に乗っても、私は安心して少しも怖くなかった。


お父様やお母様にお兄様達が見ていて下さるし、アスランも傍にいてくれる。私の過去世や神様との事を知っても変わらずに愛してくれる家族のあたたかみに私は満たされていた。


そして皇城へと帰る日が訪れ、私は最後に湖へ行った。護衛騎士やお兄様達には、少し離れた所で待っていて欲しいとお願いし、水底にいるであろう妖魔と騎士にそっと声をかけた。


すると、二人が寄り添いながら現れて、妖魔が私に「せめてもの償いとお礼に。小さく尊い姫君」と言って湖の色をした宝石をくれたのだった。


私の手のひらにちょうど収まる大きさの宝石は、青く澄んでいるけれど、アクアマリンともブルーダイヤモンドとも違う煌めきを見せている。私は妖魔のその気持ちを素直に受け取った。


「ありがとう。──どうか、幸せに」


心からの一言を贈る。二人は希望に満ちた様子で力強く頷く事で応えてくれた。


そして別れ、私達一家は帰路についた。帰りの馬車では、お父様とお母様が一緒だった。


私が妖魔からもらった宝石を両親に見せて経緯を話すと、お父様は「この石には不思議な力が宿っているように見えるね。皇城に戻り次第、専門の者に詳しく調べさせてから、この石を中心にしたペルセポニアの為のティアラを作らせよう」と仰って下さった。


道みちでは沿道で民が明るく声を上げて万歳したり手を振ってくれた。


行きの時は半ばお忍びだったけれど、帰りでは皆に知れ渡っていたらしい。誰が撒くのか花びらも舞い、賑やかで華やかだった。


祝福されながら皇城へと帰り、久しぶりの自室のベッドに横たわると、私は着替えも忘れて寝てしまった。旅の疲れもあったのだろう。


でも、心地よい疲れで心は軽く明るく、身体も重くは感じなかった。

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