第9話

翌朝の目覚めは軽やかだった。窓から見える木々の緑と朝日の調和が物珍しくて綺麗だ。


私はベッドから抜け出して窓を開ける。芳しい新鮮な空気に触れて深呼吸した。


そうしていると侍女がやって来て、朝の世話をしてくれた。着替えて朝餐に向かう。途中でウィルフレッドお兄様と顔を合わせ、ウィルフレッドお兄様が「今日は森を散策しよう。約束の珍しい薬草を教えるよ」と誘ってくれた。


私は「楽しみです、ここはたくさんの植物が生えていますね。皇城のお庭では見た事のないものばかりです」と答えて食堂へ行くと、既に皆が揃っていて、お父様が「おはよう、よく眠れたかな?」と、にこやかに挨拶してくれる。


「はい、気持ちよく眠れました」


「それならば良かった。慣れない環境で落ち着かないのでは、せっかくの旅行も楽しめないからね」


お父様は柔らかく微笑んで、ウィルフレッドお兄様と私も朝餐の場に迎え入れられる。和気あいあいと皆で食事を済ませて、ウィルフレッドお兄様と私は、護衛の騎士達を伴い森へ向かった。


お兄様は森に自生する草木を見て、皇城の図書室にある図鑑と同じ薬草だと感動している。そして興奮気味に薬効を説明してくれた。


「この薬草は体内の毒素を排出するんだよ。こちらは熱冷ましに良いんだ。──ペルセポニア、その植物には気をつけて。蛾が卵を産みつけるんだけれど、卵にも幼虫にも、そしてサナギや成虫にまで毒があるんだ」


「卵でさえ毒があるのですか?

生まれつき毒を持つだなんて 」


「この国ではあまり見ない植物だけどね。国によっては珍しくもないもので、赤くて綺麗な花が咲くんだ。卵は葉の裏に産みつけられるよ」


「何だか怖いです、お兄様」


「近づかなければ大丈夫だよ。──ああ、あの植物からは化粧品が作られるんだ。一般的な白粉よりも安全な、肌に優しいものが出来るよ」


「まあ、いつか私もお化粧に使う日が来るのでしょうか」


「ペルセポニアに白粉は当分必要ないけれど、大人になったらね。でも、せっかくの白い肌に化粧してしまうのも、少しもったいないかな」


そんなことを歩きながら話していると、不意に少しだけひらけた場所に出た。


何か白いものが地面にある。


それが横たわっている子狐だと分かり、恐る恐る近寄って見ると、後ろ足が白い毛並みを赤く染めていて、怪我をしていると気づいた。


慌てて触れると身体はあたたかい。腹部が微かに上下しているのが見て取れて、まだ生きていると分かった。


「ウィルフレッドお兄様、私この子を助けてあげたいです」


すると、お兄様は「自然界の生き物は自然のままにするべきだけれど、か弱い生き物を見捨てるのは悔いが残るね」と言い、「とりあえず連れて帰ろう。怪我を治療してあげないと。身体も冷えてはいけないから、あたためてあげよう」と、許してくれた。


私はストールを外して子狐をくるみ、抗う力もないそれを抱いてウィルフレッドお兄様と別荘へと戻った。


間もなく昼餐の時間になり、せっかくの家族団欒の場だけれど、子狐を放っておくのが心配で仕方ない。私は自室で頂くと言って子狐に付き添う事にした。


子狐の呼吸は弱々しくて、今にも止まりそうだ。傷は手当てしてもらえたけれど、いつからあの場所で倒れていたのか、衰弱が激しい。白い毛並みはところどころ土に汚れて、何かに抵抗したようにも見えた。柔らかく食べやすいように用意したエサにもミルクにも全く反応してくれない。


嫌だ、死なないで、助けたい。──切にそう願い、「狐さん、頑張って」と話しかけていると、戦地で兵士達を癒した時と同じような力の感覚が湧き出てくるのを感じた。


その力の流れに促されるようにして、左手で後ろ足の傷に触れて、右手で子狐の身体を撫でる。


──すると、みるみるうちに汚れて弱っていた子狐の呼吸が力強くなり、身体がぴくりと動いたかと思うと目を開けて、身じろぎした後にすくっと立ち上がった。


眠りの夢の中でもないのに癒せるだなんて、初めての事だ。そして、小狐は驚いている私の事をじっと見つめてきた。目と目が合って、子狐の瞳の色は私と同じ色だと初めて知った。白い毛並みといい、瞳の色といい、こんなに珍しい狐がいるだなんて不思議だったけれど、子狐がゆっくりと足を運んで私にすり寄ってくれた瞬間、喜びに目頭が熱くなった。


良かったと繰り返し呟き、子狐を抱き包む。野生の生き物なのか分からない程に暴れもせず懐いているみたいにおとなしく抱かれてくれている。それが愛おしさを増した。


急ぎ昼餐を済ませた家族が部屋を訪れる。そしてしっかり立っている子狐の変わりように驚き、何の奇跡だろうと言い交わす。


「私にも分かりませんが、この狐さんは普通の狐さんではないみたいです。こんな毛の色の狐さんも、私と同じ色の瞳の狐さんも、見た事がありません」


お父様が「確かに珍しいね。私自身も、このような不思議な狐は初めて見た。──傷は癒えているのだし、この子狐が嫌がらないなら洗ってあげよう。湯を用意させねばな」と提案してくれた。


皆で優しく汚れを落としてお湯で身体を流してあげると、子狐は美しい純白の毛並みになった。密色の瞳は取り戻した生命力に輝き、差し出したエサもゆったりと食べ始める。一緒に添えたミルクもお皿が綺麗になるくらい良く舐めた。


それを見ていると情が湧いてくる。お父様とお母様に、「この子を連れて帰りたいです」と願い出た。


両親はウィルフレッドお兄様と同様に迷った様子を見せたものの、子狐があまりにも私に安心して抱かれている姿を見て、「この子は野生では生きられないかもしれない、野性味を感じない」と言い、結局許してくれた。


私は喜んで「では、この狐さんの名前を考えてあげなければなりませんね。どのような名前が良いでしょう」とはしゃいだ。


そうして、家族と皆で意見を交わして、子狐の名前は何が良いか候補をあげてゆく。


結局、子狐は雄だったので、強く育つように願いを籠めて、獅子を意味するアスランと決めた。ちょうど皇家の紋章も白銀の獅子だ。迎え入れるには、ぴったりの名前に思えた。


私が、「これから私達が新しい家族になるよ、よろしくね、アスラン」──そう語りかけて身体を撫でると、アスランは首を伸ばして私の頬をぺろりと舐めた。私に応えて挨拶してくれているみたいで嬉しかった。


そして、アスランを助けられた喜びで晴れ晴れしい気持ちになりながら、今度は家族揃って晩餐をとった。アスランには新しいエサとミルクを置いておいてあげたところ、自室に戻った時には綺麗にたいらげてくれていた。


その様子を見て安心しながら、近くの温泉から引いてきているというお風呂に入り、寝間着に着替える。


アスランを抱いて、「一緒に寝ましょうか」と話しかけて、ベッドに入った。アスランは掛布にこそ潜らないものの、私の傍らで丸くなって体温を感じるほど寄り添って寝そべっている。それはアスランとの心の距離みたいだ。夏だけれど、ぬくもりは心地よく不快さは感じない。むしろ安堵して眠りについた。


夜も更けて、安らかな眠りに就いていた私は、どうしてか眩しい事に気づいた。


何が眩しいのかと目を覚ますと、なんとアスランが光りを放ちながら、まだ幼さを残す人へと姿を変えたのだ。


男の子になったアスランは、仰天して言葉も出ない私に向かって、声にならない言葉で穏やかに語りかけてくる。声としては聞こえていないのに、とても澄んでいる。


「僕は聖獣なのだけれど、戦いで傷つき倒れていた、そこを助けてくれてありがとう」──そうアスランは言った。


「戦い?──あなたは何と戦っていたの?」


そう躊躇いながら問いかけると、アスランは「君はまだ知らなくていい、知るには君はまだ幼いから」と教えてはくれなかった。


そして、「僕が聖獣だという事は、しばらく秘密にしておいて欲しい」とも告げた。「成長して力をつけるまで、ただの狐として傍に居させて欲しい」とアスランは話した。


信じられないような光景に、夢か現かとアスランを凝視している私に、彼は「これを夢だと思ってくれてもいい、でも忘れないで」と願い出た。「僕は君のアスランでいるから」と。


その様は真摯で邪気もない。むしろとても美しかった。辛うじて私が「分かったわ」と頷くと、アスランは私の手の甲に唇を落としてから、光の中で子狐の姿に戻った。


同時に眩しさも消えてゆく。闇が戻り、私は何かに吸い込まれるように、再び眠りに落ちた。


そして朝になり、目を覚ますと傍らには子狐のアスランが寝ていた。


私が手を伸ばして頭を撫でると、その手の甲が刹那光って元に戻った。神がかったような光を目の当たりにして、昨夜にアスランが見せた姿は本当に現実だったのだと悟った。


不可思議な事だけれど、アスランには私に対する害意などない。私はアスランが言った通りに、森で出逢った子狐として接しようと思い定めて、安らかに眠るアスランをベッドに残して立ち上がった。


──今日は家族で舟遊びをする約束だった。天気は穏やかで風も凪いでいる。絶好の日よりだった。


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