第8話
旅行の日まで、お父様は執務室や会議の場で仕事に励まれた。
私はお父様を気遣い、「お父様、少し休憩しませんか」とお茶を運んだりして喜ばれた。それによってお父様はすっかり張り切ってしまい、更にお仕事に打ち込んでしまったが、お蔭で一段落ついた。
それでもいくつかのお仕事は持ち込むし、家臣からの伝達はあり対応する必要があるものの、普段のお父様の日々を思えば、ずいぶんとゆったりした時間が取れる事になった。
そして旅行の当日を迎える。真っ白な毛並みが艶やかで立派な体躯の馬が繋がれた四頭立ての馬車は、装飾も塗装も壮麗だ。お父様は「ペルセポニアが乗り物酔いをしたら大変だからね、ヘリオスのようには急がせないよ」と馬車に見惚れる私の頭を撫でて下さる。
「父上、ペルセポニアの馬車には誰が同乗するのですか」とアンフォルトお兄様が切り出すと、すかさずカエサルお兄様が「僕が一緒に乗りたいです」と言って、他のお兄様達も「初めてのペルセポニアの旅行です、こんなにも貴重な体験、僕も逃したくはありません」と主張した。
そんなふうに、馬車には誰が私と一緒に乗るか少し揉めたが、結局お兄様達の中で一番お忙しいアンフォルトお兄様と一緒に乗ることになった。
第一皇子であり皇太子でもあるアンフォルトお兄様は、既に後継者として政についてお父様とも話し合う。お父様も頼りにしているので、学業の傍ら執政にも取り組み、お忙しいので、普段なかなか長い時間を共には過ごせない。
「弟達には悪いけれど、ペルセポニアと共に馬車を使えるのは、僕が兄弟の中では初めてだ。──お姫様、お手をどうぞ」
そう言って恭しく手を差し出して下さるアンフォルトお兄様の手を取り、面映ゆい気持ちで馬車に乗り込む。全員がそれぞれの馬車に乗り終えると、全ての馬車がゆったりと走り出した。
アンフォルトお兄様は嬉しそうにして、私が退屈しないように、けれど疲れないように気遣ってお話ししてくれた。乗り物酔いに効くというお茶まで用意して下さっている。レモングラスを配合したお茶は、心地よい香りと味わいが美味しかった。
それから、お茶を頂いている私の、避暑地に合わせた淡くて優しい新緑色の軽やかなドレスが良く似合っていて可愛いと褒めてもくれた。
アンフォルトお兄様は「ペルセポニアの愛らしさに、湖の妖精に仲間だと思われてしまいそうなのが心配だよ」と話す。
「大袈裟です、お兄様」
「ペルセポニアは自分の美しさを自覚してないね。──けれど僕達が守るから湖には連れ去らさはしないよ」とアンフォルトお兄様は笑った。そういえば私はペルセポネー様から瓜二つの容姿を賜っているのだ。まだ子供だから可愛いで済むけれど、大人になったら周りはどう見るだろうとも、ふと考えた。
ペルセポネー様はまさに女神様と言うにふさわしい美しさだ。そのお姿と同じようになる未来は、どれだけ世を騒がせるか人間の私には想像もつかない。
そうこう考えたりアンフォルトお兄様とお話ししているうちにも、馬車は軽快に進む。途中の休憩では、馬車から降りるとウィルフレッドお兄様が避暑地の森には薬草がたくさん自生していると教えて下さった。
ウィルフレッドお兄様は近ごろ医術に更なる興味を持たれていて、医務官等も招いて積極的に学んでおられる。「オージス兄上の危機には役に立てなかったから、これからは懸命に学んで皇家と臣民の為になるように努めるんだ」と夢を語って下さった。未来への夢をもって努力するウィルフレッドお兄様の瞳は輝いていて、私にも眩しく映る。
そして森に行ったら、薬草について実際に見ながら教えて下さるとの事だった。
健やかに生まれ育った私には、薬草は普段あまり馴染みがなく珍しい。「楽しみです」と言うと、ウィルフレッドお兄様は「実は僕も初めて見るだろう薬草もあるから、一緒に勉強がてら見て回ろう」と約束して下さった。
皇宮の薬草園には多くの薬草が栽培されているが、ウィルフレッドお兄様は既に全てについて学んだそうだった。それでも世の中には薬草園に無い珍しい薬草も多くあるらしい。私も学んでおけば、誰かの役に立てるかもしれない。世の中には様々な病や怪我を抱えて苦しむ人がいる。そんな人達の力になれたらと思わずにはいられない。この気持ちは、ウィルフレッドお兄様の夢にも通じるものがあるのだろうか。だとしたら希望をいだける自分が嬉しかった。
オージスお兄様とカエサルお兄様のお二人は幼い頃から特に親しく、避暑地では一緒に湖で舟遊びをして遊んだ事もあるらしい。お兄様達から、「湖では皆で船に乗ろう」と誘って頂けた。
ナイトベルツお兄様は私とあまり歳が離れていなくて、避暑地は私同様初めてだそうだ。「僕も船に乗って良いんですか」と訊いて、お父様から「もちろんだとも」と請け負ってもらえて楽しみだと年齢相応の少年らしさを見せてはしゃいでいる。
そして貸し切りのレストランで食卓を囲んだ。
見慣れない料理と食材。
聞けば、食材は全てがこの辺りの名産だと言う。魚も澄んだ美しい湖で育ったもので、臭みを感じさせない優しい味わいの、口どけの良いふわふわの白身が美味しかった。
私が「こんなに美味しいお魚は初めてです」と舌鼓を打ちながら言うと、両親も喜んでくれて、「私達の新婚旅行でも食べたんだよ」と教えて下さった。私は、「ならば尚さら好きになりました」と言った。
お父様とお母様は、それを聞いて相好を崩し「ペルセポニアは心持ちのあたたかな子に育ったものだ」と喜んだ。
私は「それも、お父様とお母様にお兄様達が私を大切にして下さったお蔭です。嫌なものや怖いものに触れていたら、人間は歪んでしまいますでしょう?」と返して、すると「ペルセポニアはこの幼さで実に賢さをも備えている」と更に喜んで、家族全員から返す言葉も思い浮かばなくなるほど褒めそやされた。
それは、いつも以上にあたたかい食卓だった。そして幸せだなと思った。不遇だった前世の私に、分けてあげたいと思った。
それから再び馬車に乗り、馬車は軽快に進んだ。アンフォルトお兄様だけが私を独り占めするのはずるいと、今度はナイトベルツお兄様が同乗している。
馬車は自然が豊かな道に入ってゆく。私が、「豊かな自然は楽しみですけれど、森には狼が出そうで少し怖いです」と言うと、ナイトベルツお兄様は身を乗り出して私をそっと抱きしめ、「ペルセポニアは狼が苦手だったね。だけど、森は手入れされているから大丈夫だよ。もし万が一何か出ても、護衛の騎士達と何より僕達がペルセポニアを守るから安心して」と優しく約束してくれた。
そして夕刻、馬車は予定通りに避暑地の別荘に到着した。皇城の壮麗さとは違う、自然に馴染みながら構えられた別荘は、それでも快適に過ごせそうに整えられている。
私は侍女の世話を受けて寝支度を整え、いつもと違うベッドに潜って肌触りも違うシーツの、お日様の香りを思いきり吸い込んだ。爽やかで優しくて、そして心地よい香りだった。
眠りについた私は、天国で一人震えていた魂の頃の夢を見た。夢の中で、私は私の魂をそっと手に取り撫でていた。大丈夫よと語りかけて、また撫でて、魂の震えがやむまで慰撫していた。幸せになれるから、もう虐げられはしなくなるからと。
そしてペルセポネー様も同じように、かつての魂だった私をこんなふうに愛おしんで下さっていたのかもしれないと思った。長くて、あっという間の夢の果てに、私はペルセポネー様の声を聞いた気がした。
ペルセポネー様は、「そうよ、あなたは愛される為に新たに生まれたの。あなたは、いつだって私達の愛し子なのよ」と慈しみ力強く仰って下さった。
傍らにはハデス様がおり、ペルセポネー様に呼応して「人生とは、何かを思い立ち挫折し、それでも奮起し、けれど挫折して、そうしてなお奮起してこそ生きてゆけるものだろう。人生に負けず奮起出来るのならば、頑張っていられる己を嫌いにならずとも済む。常に己を見つめ直し、更なる努力を重ねられれば、人は挫折があろうとも常に前進できる。私達はそれを願い見守っている。ペルセポニア、そなたは他国の兵士達への治癒により、人の為を思い立ち生きる事を知った。そのお蔭でそなたの兄も助けられた。この先、何があろうと己を投げずに大切に生きるといい。──己の存在がどれだけ愛されて生きているか分かれば、いかなる努力の中でも孤独にはならぬ」と、仰せになった。
人生について考える事は、まだ私には難しいけれど、ハデス様が私に伝えたい事の意味は将来生きてゆく上で大事な事だろうと思える。私は「そのお言葉を噛みしめて忘れないようにします」と答えた。
「ペルセポニア。頑張ろうと決めたら、その決めた自分と、挫けそうな自分との戦いがあるわ。それは自分自身の中でしか出来ない一人での戦いだけれど、外から自分を見守り応援してくれる存在や、努力している姿を愛してくれる存在がいると分かれば人は一人での戦いでも孤独にならずに済むのよ」と、ハデス様のお言葉を補うようにペルセポネー様が私を諭して下さった。
──それならば、今の私にとっては大丈夫だと信じられる気がする。私は独りぼっちではない事を知っているから。
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