第6話

けれど、いくら力を得たと言っても、私はまだ、たった7歳の子供にすぎない。それが治癒の為とは言えども、戦地に赴きたいと願い出たところで、家族からは許されないに決まっている。事実、リズアンネから「ペルセポニア様は、まだ危険を冒すには早すぎます。ご年齢がお力に伴う時をお待ち下さい」と釘をさされていた。


治癒を行なうのは、眠っている間に夢の中へ意識が繋がった時のみだが、その間の私は意識も身体も無防備になる。そこを危ういと判断されるのは仕方ない。十分に力を発揮するには、守りも固められなければ先が続かないのだとも言い聞かせられ、物事とは思いついただけでは、簡単には進められないものなのだと思い知らされた。


リズアンネは根気強く「焦ってはなりません。焦りに任せて動けば思考が後回しになり、失敗という落とし穴が足許から崩しに来ます」と忠言してくれる。


そこで私はまず、意識と身体の距離を離れさせずに済むように、身近な人のあらゆる不調に力を使っていって、徐々に認められてゆけば積み上げた実績が新たな力になってくれると考えた。


──そして、ちょうどその頃、オージスお兄様が浴室で血を吐いて病に倒れてしまっていた。侍医達が診察と治療をしているものの、一向に回復への兆しが見えない。


これには両親も他のお兄様達も気を揉んでいて、回復を願いながらも効果的な治療法が見つからない事から、皇城にはどんよりと重い空気がたちこめていた。


私ももちろんオージスお兄様の事が心配なので、一日に何度も侍医へ容態を訊ねてしまう。侍医からの返答は日増しに口を濁すものとなっていた。


「──リズアンネ、今こそ治癒の力を使うべきではないかしら?」


「こたびの病には、まず病に陥らせた原因を取り除く事から始められるべきかと存じます。治癒を行なっても、原因が残っているままでは繰り返されますわ」


「その原因を知る事は難しい事かしら?──リズアンネは何か分かるの?」


「そうですね……私が冥府の地獄から救い出して頂いた時より少し前に、小耳に挟んだ事が確かならば……第二皇子殿下のお部屋の壁紙は、もしかして鮮やかなグリーンでしょうか?」


「?──ええ、オージスお兄様は緑色が大好きで、お部屋の壁紙も綺麗なグリーンだし、バスルームの壁紙までグリーンの物にして揃えているわ。それは問題のある事なの?」


「それこそが問題ですわ。──分かりました、その緑色の顔料には毒があるのでございます。浴室までグリーンにされては、お湯の湿気でより多くの毒が回ってしまいます」


緑色の顔料は人気のある身近な物と認識していた。そんな物に毒が含まれているだなんて、思いも寄らなかった。そしてそれを大量に用いているオージスお兄様は、毒に囲まれて生活されていた事になる。ぞっとして、私は思わず身をすくめた。


「……では、まずは壁紙にグリーンを使っていないお部屋にオージスお兄様を移してもらわなければならないのね?」


「ご明察ですわ。第二皇子殿下が倒れられてから日が経っております。行動に出るのでしたら、まさに今でしょう」


そこで私は、すぐさまオージスお兄様の身を空いている隣室に移し、住まわれていらしたお部屋などの壁紙は全て緑色ではない物に張り替えて欲しいとお父様にお願いした。お父様は突然何を言い出すのかと不思議そうな様子を見せたものの、藁をも掴む思いは家族共通だ。オージスお兄様が移れるように隣室の支度を整えるよう命じて下さり、その日のうちにお兄様は隣室のベッドに移された。


しかし、オージスお兄様は既に虫の息だった。侍医達も手の施しようがないと肩を落としている。公務の合間を縫って様子を見に来ては悲嘆に暮れるお父様とお母様、お兄様達を痛ましく思いながら、私は「少しだけ私をオージスお兄様と二人きりにして頂けませんか?──私はまだ子供ですが、出来る事は全てお兄様にしてさしあげたいのです」と申し出た。


「ペルセポニアは兄のオージスを慕っていた。それなのに看病もさせてやれないのは可哀想だ。しばしペルセポニアにオージスと過ごす時間をやるべきだろう」


お父様がそう言って許して下さり、私は、意識を失って力なく横たわるオージスお兄様と二人きりになってから、すぐにペンダントの鏡を使って冥府に赴いた。私の考えが正しければ、お兄様の魂は今、地界ではなく冥府にあるはずだ。


果たして、ハデス様は私の突然な来訪を予期されておいでだった。驚く素振りもなく私が望んでいる事すらお見通しのようで、「ペルセポニア、おそらく訪れる事と思っていたが……兄の事を救いに来たのであろう?」と、自ら本題を切り出された。


「はい、ハデス様。──お願い致します。オージスお兄様の魂を、どうか私に預けて下さい。何としてでも治癒を施した身体にお兄様の魂を戻らせたいのです」


「そなたの兄の魂ならば、まだ冥府の川を渡る前だ。守り人に連れて来させよう。魂は巫女に守らせ、その間に兄の身体を癒すといい」


「よろしいのですか?──ハデス様、ありがとうございます!」


ハデス様の手配で、オージスお兄様の魂は丁重に運ばれてきた。白くて丸いそれを、私は優しく抱き包んで地界へと共に戻り、待っていたリズアンネに託した。


治癒に必要な眠りの夢の中へ行くにも、リズアンネの巫女としての力を使えるらしい。私は一刻も早く行なう事にして、リズアンネの力を借りて眠りに落ちた。死の淵をさまよっているオージスお兄様に精一杯祈りながら──治癒の力が発揮されるように強く願った。


横たわるお兄様が、私から発せられる光に包まれて、生気を取り戻す。頬には赤みがさし、呼吸も力強くなってゆく。これでもう大丈夫だと確信した私は眠りの夢の中から立ち去った。


そうして息を吹き返したオージスお兄様は目を覚まして元気を取り戻し、私の看病に心から感謝してくれた。悪夢の中、私が光を放ちながら手を取って冥府から救い出してくれる夢を見たと話しながら。


だけれど、年齢的に力の真相を話すには早すぎる。オージスお兄様に助かって欲しいと強く願ったからだという事にしておいて、私は目指す所に向かう階段を一段昇れたと思う事にした。もどかしいけれど、それが一番の早道で確実な道だ。


オージスお兄様の快気祝いには、盛大なパーティーがひらかれた。


私は純白のドレスを着て、私にまつわる噂も相まって、妖精のような可憐な美しさだと褒めそやされた。


せっかくのパーティーだ。パレードは経験したけれど、同年代の令嬢が参加するパーティーは初めてで、私はお友達が出来たら嬉しいと考えていた。


けれど、特別な身分のせいか話しかけてきてはもらえない。私を見慣れないせいもあるだろう。


私は温厚そうな人に自ら話しかける事にして家族から離れ、会場を歩いて回り始めた。華やかなドレスを着た人達の集う会場はお花畑みたいだ。


すると、会場の片隅で一人きり飲み物のグラスを持って椅子に座り、所在なさげにしている令嬢を見つけた。


いきなり集団でいる令嬢の輪に入ろうとするのはさすがに何をどうすれば良いか分からないし不安だ。その点、お話しする相手が一人ならば、幾分話しかけやすい。


それに、何よりオージスお兄様をお祝いするパーティーでぽつんと寂しく過ごされている姿は、何となく放っておけないものを感じさせる。私は勇気を出して歩み寄った。


「──はじめまして。素敵なペイルブルーのドレスですね。ストールのレースはチャンカイ風のレース編みでしょうか、この国では滅多に見かけない編み方ですわ」


私が話しかけてドレスを褒めると、令嬢は驚いた顔をした。そして僅かに薔薇色に染めた頬が愛くるしい。


私が「申し遅れました、私は皇女ペルセポニアです。仲良くしてもらえれば嬉しいです」と名乗ると、「あの、私ごときが名高い皇女殿下にお声をかけて頂くだなんて……」と、恐縮しきりだったが、「名前ばかりが先立って知られてしまいます。気兼ねなくお話し出来るお友達が出来たらと思いますのに、噂は人に壁を作りますね」と言うと、「皇女殿下は、恐れながら申し上げますが、親しみのあるお方なのですね」とようやく笑顔を見せてくれた。


はにかんだ笑顔は素直で純情そうで、悪い人には見えない。リズアンネも、この方は安心ですと教えてくれた。俄然やる気が出て、「一緒にスイーツを頂きに行きましょう」と誘うと、「実は気になっていたのですが太ると叱られるので我慢していました」と令嬢は言った。


私と年齢もそう変わらないように見える幼い令嬢が、太る事を気にして我慢を強いられるだなんて健康にも良くない気がするのに、どうした教育方針だろう。内心で首を傾げながら、こちらから「お名前を聞いてもいいですか?」と訊くと、令嬢は控えめに「はい……私はフィヨルド伯爵家の三女で、ニヴィアと申します」と名乗って頭を垂れた。


「せっかくのパーティーですもの、楽しまなければ。お兄様もお祝いで振る舞って下さったスイーツですわ、それにニヴィアの身体は十分細いですよ」と後押しして、スイーツのテーブルに二人で行く事にした。彼女は、フルーツをふんだんに使用した色鮮やかで美味しそうなスイーツに瞳を輝かせた。


スイーツは食べやすいように小さく作られている。「それぞれ一つずつ頂けば太りませんよ」と言うと、ニヴィアは喜んで私に「お誘いありがとうございます、皇女殿下のご厚情に心よりの感謝を申し上げます」と、丁寧にお礼をしてきて、それからは二人でスイーツを楽しんだ。


ニヴィアが妾腹の娘だと知ったのは、その後だった。私達二人が楽しくスイーツを口にしていると、それを遠巻きに見ていた令嬢達が小声で「ご覧になって、フィヨルド伯爵家の婚外子様……平民の母から生まれた身分ですのに、身の程を弁えられないようですわ」と刺々しく囁いたのだ。ニヴィアはこうした嫌味にも言われ慣れてしまっているふうで、瞳の色は諦めに染まっていた。


過去世の私も妾腹の娘だった。つらさは良く分かる。


私は令嬢達の悪意ある言葉に反論する代わりに、ニヴィアへ「初めてのお友達が出来て嬉しいです。どうぞこれからも仲良くしてください」とにこやかに話した。


すると、彼女は潤んだ瞳で儚げに笑って、「こちらこそありがとうございます、お蔭で寂しかったパーティーを楽しめました」と言ってくれた。


そうしているうちに、私はパーティー会場から下がる時間になり、ニヴィアとは今後文通する約束をしてから別れた。


初めてのパーティーは緊張して少し疲れたけれど、実りある楽しいものだった。それを家族に話すと、みんな喜んでくれて心があたたまった。


ニヴィアにも、心をあたためてくれる家族が──たとえ母親だけでも良いから、傍に居てくれるのなら。それは彼女にとって、きっと救いになるはずだ。私はニヴィアがフィヨルド伯爵家で独りきりではない事を願うと同時に、初めて出来た友人を身分にこだわらない個人として、大切に思おうと心に決めた。

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