第5話

──そして、後日の晩餐でお父様とお兄様達の会話を聞きながらお食事を頂いていると、驚愕するしかない事を知らされた。


「アルストリネ王国国境付近の野戦病院にいた重傷患者が、どうやら夜のうちに現れた存在によって、見る見るうちに治癒されたらしい」


「父上、治癒された、とは?」


ウィルフレッドお兄様が、こころもち身を乗り出す。病や傷を癒す薬草等に興味を持って学ばれているウィルフレッドお兄様が治癒という単語に関心を示すのは当然の事とも言えた。


「詳しくは知らんが……淡い光を放つ異国風の少女が突然現れて、彼女からまばゆい程の光が発せられたと思ったら、全員が浴びた光に包まれて、あらゆる傷でも治癒されて健やかになっていたとか」


「にわかには信じがたいですね……しかし、兵士達の傷が癒されたのは事実なのでしょう、父上」


「ああ、間違いない。その異国風の姿が、我が国特有の夜着と見えたため、外交官を通じて知らされた」


私はその会話を耳にしていて、危うくカトラリーを取り落とすところだった。


今でも鮮明に思い出せる、あの夢──夢なのに感じた五感と、翌朝に目を覚まして感じた疲労感。あの後の朝は、夜しっかり眠ったはずなのに脱力するような気怠さを覚えていて起きるのに苦労した。


もしかすると、私は夢の中で国を越えて、傷病者のいる場所まで行ってしまったのだろうか。けれど、私が皆を治癒するだなんて経験した事もない。しかも初めての場所で、見知らぬ他国の兵士達を前に治癒を顕現させた?


私は、どこぞの国で崇められている聖女様などではない。普通に生まれて、専門の学びも受けていない7歳の子供にすぎない。


「アルストリネ王国と言えば、ドロティアから侵攻を受けている国ですね……」


今度はアンフォルトお兄様が苦々しそうに口を開いた。第一皇子であるお兄様は、常にお父様の傍で政に関与されているから、世界情勢にも詳しい。


「ああ、ドロティアは軍事大国だからな、周りも迂闊に手を差し伸べられずにいる。それによって武力で制圧されドロティアの領土にされた国は少なくはないというのに……」


「我が国ではドロティアに経済制裁をしていますよね、父上」


「ああ、同盟国と共に一切の資源の輸出入を止めている。だがドロティアは強国だからな……」


「こうしている間にもアルストリネ王国では犠牲が出ているのですよね、悩ましいです」


アルストリネ王国で起きた奇跡を皆が驚きをもって喜ばしく話しはしたものの、アルストリネ王国では戦時中だ。いつもより重い空気の晩餐を終えて、私は自室に戻りペンダントを開いた。現れた鏡はすぐさま冥府へと繋がった。私は迷わず冥府へと入り込んで、すると、冥府の天国に辿り着いた。


そこにはハデス様とペルセポネー様のお姿があった。二人寄り添い、睦まじげな様子だ。二人は天国の魂達を慰撫していた。私もそうして気にかけて頂けていたのだろうかとも思いながら、訊きたい事の為に躊躇いつつも声をかけた。


「ハデス様、ペルセポネー様」


「ペルセポニアか、いずれ遠からず冥府を訪れるとは予想していたが、早かったな」


「はい、あの……どう受けとめていいか分からない夢を見たのです。そうしたら夢だったのに現実と繋がりがあったようで……」


「あなたには話していなかったわね、私達からの祝福の力を。あなたが幸せに生きる為のものだけれど、幸せは一人では成り立たないもの、だから与えた祝福だったのよ」


「祝福……お二人から頂いた祝福と関係があるのですね?」


繰り返すが、私は本来普通の人間の少女だ。それがもし奇跡を起こしたならば、ハデス様とペルセポネー様のお力が関係しているとしか思えなかったのだ。


「ペルセポニアも物事の道理を理解出来る歳になりつつある。──私から説明しよう。これから冥府の地獄へと向かうところだったゆえ、歩きながらでもいいか?」


「はい、大丈夫です。お願い致します」


地獄──どんな世界なのか恐ろしくもあるけれど、ハデス様とペルセポネー様がいて下さるなら危険はないはずだ。私はお二人について歩き始めた。


そこで私は、神からの祝福に附随する力を聞かされる事となった。


ペルセポネー様からの豊穣の力と、ハデス様からは──傷や病を得て、いつ生命を落とし冥府に送られてもおかしくない生命の救済の力だった。それこそが私の行なった夢の中での治癒らしい。


「ですがハデス様、夢の中とは言えアルストリネ王国国境付近の戦場にまで行けてしまうだなんて」


「それは、ペルセポニアが魂に刻まれた傷を乗り越えて力を増したからだろうな。──ここが冥府の地獄だ」


そこは真っ暗な中で無数の檻がある場所で、檻には黒い魂が閉じ込められている。皆が怨嗟の声を上げていて私は身がすくみ怯んだ。


「ここには、お前を贄にした村の人間達の魂も封じられている。あの村は、その後流行病であっけなく滅びた。天罰のようなものだ」


「贄の娘だ……あの贄の娘の力が大神様には物足りなかったせいだ……」


ある檻から怨嗟の声が発せられて、びくりと身を震わせる。


「愚かなる魂よ、その妄信がお前を自ら滅ぼしたのだと知れ。──ケルベロス、あの魂に罰を与えよ」


ハデス様が言うなり、三つの頭を持った大きな犬が現れて唸りながら魂に食らいつく。檻から魂の苦痛による叫びが響いてきた。


──ハデス様が言うには、当時の村人の魂は全てが地獄に送られ、暗闇の中で闇色の魂となり幽閉されているとの事だった。


「地獄に送られた魂は転生も叶わない。いつか魂が心底から改心し浄化されるまで、転生を待つ天国にも行けぬ。だが、人でありながら罪なき人を殺めた者の罪と業は深い。たとえ悔い改め浄化されても、そうたやすくは天国に送れぬ」と、ハデス様から知らされた。


それも可哀想だけれど、私が食い殺されるのを喜んで見ていた村人を簡単には許す気にもなれない。複雑な気持ちだ。


何とも言えない気持ちで無数の檻を見上げていると、魂のひとつが私に向かって「あの時の娘さんだろう。本当に申し訳ない事をした……今では心から後悔している。すまなかった……痛かっただろう、悲しかっただろう」と語りかけてきた。


魂が語るに任せて聞いていると、「幼子を犠牲にして得られる繁栄に何の価値があるのか、むしろ滅びたのは罪なき他所の子供を罪悪感もなしに犠牲にした罰だ」と魂は嘆いていた。


私は、「……もしも、贄が村人の中の子供でも同じように悔やみましたか?」と訊ねた。


魂は、しばらく逡巡した後に「無垢なる少女を贄にするのは間違っていた、たとえ少女ではなく大人でも、生命を軽く見て扱った罪は消えないだろう」と答えた。


ハデス様が、「その魂の言葉は信じても裏切りはない。魂のみになれば、脳もなくなり魂そのものの本質による言葉しか出せないゆえ偽りは言えなくなる」と教えてくれた。


私を殺した人達の事は許しがたい。けれど、今の私は新たに生まれて愛に満ちた人生を享受している。その間にも、地獄の魂は罰を受けて暗闇の中でうずくまっていたのだ。──私は意を決して、「ハデス様。どうか、あの時の村人の魂だとしても、心から悔やめる魂には救済をお願い出来ませんでしょうか」と、ハデス様に願った。


すると、ハデス様は思案する素振りを見せてから、「ならば、心から懺悔する魂のみ天国に送ってやろう」と応えてくれた。ケルベロスが姿を消し、暗闇にほのかな明かりが灯る。それは、罪を悔やむ魂が発していた。


「ありがとう、お嬢さん……本当にありがとう」


「……もう、誰かの犠牲で幸せになろうとしないで下さいね」


「ああ、約束する」


涙のような粒子を振りまきながら私に感謝して光の魂へと変化する魂達を、どう表現していいか分からない気持ちで私は見送った。ただ、心に曇りは生じなかった事だけが事実だった。


彼らが帰れる村はもう無いけれど、私は繰り返し「今度こそ他者を犠牲にしない生き方をしてくれる事を、どうか。どうか、そうして欲しいと思います」と最後に話しかけた。光の魂はそれに泣きながら答えた。必ず誓うと。


ハデス様が、魂達を見送る私に、「魂まで傷めた心の傷を負ったにもかかわらずペルセポニアは目を逸らさず真っ直ぐに向き合えた」と褒めて下さった。


私は、「それが出来たのは、この私の新たな生命が神様からのみならず家族からも祝福を受けて生まれ、今、愛されて幸せに生きられているお蔭です」と言った。ハデス様は満足そうに微笑み、ハデス様に寄り添っていたペルセポネー様もまた嬉しそうに私の頭を撫でて下さった。


「さあ、そろそろお戻りなさい。夜は健やかに眠る時間よ」


ペルセポネー様が穏やかに告げる。そして私は、呼応するように地界にある自室へ戻っていた。


だが、地界に戻った私には、一人の魂がついて来ていた。白みを帯びた淡い色彩の人影に、最初私は驚いて「あなたは誰なの?」と訊ねたところ、「私は過去世で巫女として、あなた様を犠牲にした村の為に祈りを捧げていた者です」と、彼女は答えた。どうやら地界では魂も生きていた頃の人の姿をとれるらしい。彼女は、まだ歳若い乙女の魂だった。


魂は私に向かってひざまずき、「これからは、あなた様の幸せを、あなた様の生涯が満たされて全うされるまで見守りたいのです」と言った。


「私は許されざる罪を犯しました。それが簡単には許されないものだと承知しております。ですがどうか、お傍で罪を償わせて下さい」


「けれど……その間、あなたは冥府の天国から新しい人生に旅立てないのよ?」


「それでも構いません」


はっきりとそう答える巫女だったという魂は、贄の風習に疑問をいだいていたが、巫女として反意を唱える事は出来ずに、それを許されない立場に葛藤していたと話した。でも、巫女を縛っていた村は既に無い。流行病の時に求められるまま祈りを捧げ続けたが、それは無力だったという。


人間が人間を贄にする、生きている生命を利己の為に犠牲にする事は許されない。あの村は犯した罪に見合う、辿るべき運命を辿ったと悟ったらしい。


そしてハデス様は、私の預かり知らぬところで、その巫女だったという魂に力を授け、私が幸せに生きられるよう祈り守れと命じたのだと教えてくれた。


「あなたがそこまで言ってくれるのなら……これからは友として一緒にいてくれるかしら?」


「新しい人生を皇女様として生きるあなた様が、私ごときに友としてだなんて……畏れ多いですけれど、あなた様がそう仰って下さるのでしたら喜んで」


「ええ。──あなた、名は何と言うの?」


「過去世ではリズアンネと名づけられ呼ばれておりました」


「そうなのね。では私も、あなたをリズアンネと呼ばせてちょうだい。あなたも私を名前で呼んでくれると嬉しいわ」


「はい、身に余る光栄ながら──ペルセポニア様。罪深き魂だった私が、ペルセポニア様にお仕え出来るようになった今を幸せに存じます。何とぞよろしくお願い致します」


「こちらこそ、よろしくね。リズアンネ」


それから、リズアンネは現し世に来る際に、本物の巫女としての力をハデス様より与えられたと話してくれた。その力を私の為に使うと約束して、私が家族やあらゆる民の皆が幸せになれるための力として使い、手助けして欲しいと伝えると、リズアンネは光り輝きながら必ずやと誓ってくれたのだった。


私は、「ならばこれからは私を支えてくれる友としてだけでなく、私の守護としても傍にいてくれるかしら?」とリズアンネに問いかけた。リズアンネは何があっても離れない、裏切らないと約束してくれた。


「ならば、……まずは、そうね。アルストリネ王国が侵攻されて苦しんでいるの。私は眠りの夢の中で目の当たりにしたわ。一度きり治癒を行なっても、犠牲は次々と出てくるでしょう。でも、そんな事私は許せないの。何かを思いついた時に、あなたの巫女としての力を貸してちょうだい」


「それは、……ペルセポニア様が危険に晒される可能性があると言う事でしょうか?」


「分からないわ。でも、私も私の立場を理解しているつもりよ。まだ、守られてばかりの子供でしかない事も。無茶な事はしないと約束するから、私にも出来る事があったら協力して欲しいの」


「それでしたら……力を尽くさせて頂きます」


「ありがとう、リズアンネ」


こうして私は、人に見えざる味方を得た。


脳裡には夢の中で見た傷だらけの兵士達がこびりついていて、ふとした拍子に胸が痛む。


他国の事だからと、放ってはおけない。私は自分にも出来る解決への道を模索し始めた。


きっと、何か方法がある。ハデス様とペルセポネー様が力を与えて下さり、リズアンネという存在までをも私につけて下さったのだから。

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