第6話 告白

 お世辞にも成功とは思えない親睦会が終わった後、瑠凪は午後の講義を当然のようにサボり、学内で最も大きい校舎の廊下を歩いていた。

 その足取りは目的地へ向かっているようではなく、むしろ、考え事を円滑に進ませるため、とりあえず動いているという乱雑な歩幅だった。


「……この時期の一年生はまだ浮かれてるからなぁ、SNS主体で攻めるのが一番簡単な気がする……いやでも、あの子はそういうの嫌いそうだし……」


 尻ポケットから小さいメモ帳を取り出し、ペラペラとめくる。

 そこには静香の「理想の友達像」がまとめてあるのだが、その内容は3ページにも及び、メモ帳のサイズを加味しても多いのは間違いない。

 考えていても埒があかなさそうだったので、瑠凪は教場前のベンチに座り、道ゆく学生を観察することにした。

 依頼で行き詰まった時、彼はよく人間観察を行う。

 人間それぞれの行動理由や特徴を探ることで、多角的な視点を得るためだ。

 静香と似ていそうな生徒、真逆そうな生徒など、歩いてくる生徒をカテゴリー分けし、その共通点や差異を探す。


「あの子は……タイプは似てるけど仲良くなれそうにないな。スマホの背面が割れてるってことは、何かと雑なことが多いだろうし」


 もちろん他人には聞こえない音量で、ぶつぶつと思考を垂れ流す。


「二人組のうち一人は高学年っぽいな。歩き方に慣れが出てる。逆に年上に引っ張ってもらうっていう方が良いかもしれない……けど静香ちゃんと仲良くするメリットが相手にあるのか……」


 10分ほど観察を続けていたところ、見覚えのある生徒が目の前を通り過ぎる。

 否、通りすぎるというのは数秒後の未来であり、その生徒は現在、瑠凪の顔をチラリと見ながら、その前をゆっくり歩いているところだ。

 だが、彼は声をかけることもなく、リアクションも取らない。

 通りがかっただけだという、不自然さを感じないぎりぎりの速度を保っていた生徒は、ついに通り過ぎて行った。


「……ちょっと場所を変えてみるか」


 なんとなく興が削がれた瑠凪は、立ち上がり、別の校舎に向かうことにした。



 辿り着いたのはビルのような校舎。

 外観は白一色で、形だけ見れば豆腐と変わりないが、ところどころガラス張りになっているため、のっぺりとした印象は薄い。

 先ほどの校舎は講義の数が多く、生徒を効率的に見られるという利点があるが、こちらは生徒数こそ少ないものの、パソコン室や食堂といった腰を落ち着けられる施設が多いため、どの時間帯でも深く観察を行える。

 瑠凪は早速食堂へ向かい、生徒が多く座っているエリアの隣に陣取り、視線を彷徨わせた。


「ワイワイしてるけどあの子だけは周りが見えているな。バッグのブランド的に素の性格も落ち着いていそうだし、友達候補としてはありだな」

 

 しかし数分後、またしても見覚えのある生徒が現れる。

 その生徒は両手でトレイを持っていた。ただ単に、食堂を利用しているだけのようだ。

 そのため瑠凪はさして気にもとめず、生徒の会話に耳を傾けていたが――。


 ことん。


 目の前にトレイが置かれる音で、視線を引き戻される。

 日頃から笑みを顔に貼り付けている瑠凪だが、この行動には流石に困惑したようで、眉をしかめた。

 相手も相手で何か言うわけでもなく、日替わり定食の目玉であろうカニクリームコロッケを箸でサクリと割る音だけが耳に届く。

 2分ほどの思考ののち、瑠凪は席を移動することにした。

 机の上に置いていたメモ帳を手に取り、立ち上がろうとする。


「古庵先輩」

「…………なんだ?」

「どうして私のことを避けるんですか?」


 ついに、見覚えのある生徒こと、日向七緒が口を開いた。

 その顔には変わらず表情はないものの、声には悲しみが込められている。

 立ち上がったとまでは言えない中途半端な体勢で留まっていた瑠凪は、面倒くさそうに腰を降ろす。


「避けてなんかないぞ? ただ、目の前で美味そうなコロッケを食べられるとお腹空いちゃうから、どこかに行こうと思っただけだよ。減量中なんだよね、俺」


 両手を使って明るくフォローする瑠凪だったが、それを聞いて納得した様子はない。


「だったら、どうして親睦会の時に無理やり会話を終わらせたんですか?」

「無理やり? そう思わせたなら悪かったな。俺実は、あんまり会話が得意じゃなくて……」


 手応えがないどころか、自分の攻撃をそのまま跳ね返されているような感覚。

 

「嘘ですよね。先輩は基本的に、相手の身につけているものとか、その時周りにあるものを話題にあげてるんです。だから、会話が得意じゃなくても、あの時私と話すことは、いくらでもできたはずです。つまり、先輩は私を――」

「君が明らかに関わらない方が良さそうなタイプだからだよ」


 その瞬間、微かに瑠凪の瞳から光が消え、二人を取り巻く空気が重くなった。

 しかし、すぐに元のおちゃらけた様子に戻ると、表情豊かに言葉をつづける。


「いやほら、山本と中島くんに話しかけられてたけど、乗り気じゃなかっただろ? だから不機嫌なのかと思って。もしくは男が好きじゃないか」

「……別に、不機嫌だったわけじゃないです。ただ、あの人たちに興味がなかっただけで……」


 一瞬垣間見せた本音に気圧されたのか、日向の言葉のキレがなくなってきていた。

 この機を逃すまいと、逃げる算段を立てる。

 

「なら、次は吉永と話してみるといいよ。次会った時に言っておくからさ。それじゃあ俺はここら辺で。今からやることがあるんだ」


 机に両手を置いて再び立ちあがろうとしたが、骨のように細く、白い手がそれを阻む。


「……春だっていうのに随分手が冷たいな。お湯でもとってきたら?」

「今から何するんですか?」

「あれ、通じてないのかな。もしかして2秒前に公用語が変わった? お湯の場所がわからないなら――」

「今から何するんですか?」


 威圧しても煽っても一向に引く気配はなく、むしろ有無を言わせない強引さを表情に見てとった瑠凪は、退散を諦めて、しぶしぶ対応することにした。


「はぁ……聞いてたか分からないけど、俺は何でも屋っぽいサークルに所属してるの。んで、今日は依頼者のための情報収集をしたいんだよね。あんまり時間があるわけじゃないし、できればもう行きたいんだけど――」

「私もやります、それ」


 は?という言葉は口から出ず、顔全体に現れていた。


「嫌だよ。どんな理由で言ったかはわからないけど、君じゃ役に立たない」

「そうですか? 私なら、先輩を満足させることはできると思いますけど」


 至って真面目なトーンで話す日向とは対照的に、瑠凪は鼻で笑っている。


「そんなエッチな響きのこと言って恥ずかしくないの?」

「恥ずかしくないです。嘘は言ってないので」

「だいたい、何するかも知らないのに手伝いになるかなんて――」

「人探しですよね? 2号校舎で人を見ていた時も、今さっきも視線は一つの場所にありませんでした。だから、特定の誰かを探しているわけじゃないと思います。それに、生徒数や場所が限られている大学で特定の人を探すのは簡単です。その人間の知り合いを見つけるだけで芋づる式にたどり着けるんですから。学部さえわかっているなら、学生課あたりで教場を聞けば探す手間なんてあってないようなものです。つまり先輩は、依頼人の求める人物像に合った人を探しているんじゃないですか?」

「………………」


 驚いたわけではない。

 いや、驚きも胸の中にあったのだろうが、大部分を占めていたのは「この人間は関わっていい類か」という疑問だ。

 答えに辿り着くまでの理論に多少無理はあるが、解答は間違っていない。

 頭がキレる異性の助けを借りられるのは大きいが、思考が読めないというその一点だけが、瑠凪の拒絶を引き出していた。

 協力するふりをして、何か自分に不都合なことをしようとしているのかもしれない。


「大した推理だ。探偵にでもなった方がいいんじゃないか?」

「それは割と追い詰められた人のセリフですよ。どうですか、私にも手伝わせてくれますか?」


 もうかれこれ10分くらい時間を無駄にしている気がする。

 不毛な会話をそろそろ切り上げて情報収集に向かおうと、核心に切り込む。


「それはできない。大体君がどういう理由で俺を手伝おうと思ったのかも、最終的に何をしようとしているのかも、何も見えてこないからだ」

「……それを言ったら手伝っていいんですか?」

「言えるならな。言えないから今まで黙ってたんだろう? それに、適当なことを言ったってすぐにバレ――」

「好きだからです」

「…………は?」


 やはりその顔から感情を読み取ることができない。

 ただ一つ、死んだようだった目だけは、その奥が潤んでいるような気がした。

 「好きだから」という荒唐無稽な理由で騙せると思うほど、日向の頭が悪いとも思えない。

 果たして彼女の言葉は本当なのかと、瑠凪が判断しかねていると理解したのか、日向は彼の手を取る。


「好きだからです。古庵瑠凪先輩が、世界中の誰よりも好きで好きでたまらないからです」

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