仕事を貰える人に成れ。

 海から吹き付ける冷たい潮風。過酷なその環境によって生まれた砂漠は、日の光が入らない夜になると凍えるほどに寒くなる。


 だが、そう聞かされていたし、現地の案内人もいるので準備は怠られていない。テオドーラの手配した幌付きの大きな荷車十台は良い風除けになった。


 それなりに快適に過ごした夜明け。吐き出した息が白く濁る。


「整列、番号!」

「セイチャカルハラ。オゴ」

「アー」

「チャー」

「――」


 総勢十四人の少年が着の身着のまま並び、気の抜けた声が続く。


「今日もやることは一緒だ。挨拶、返事、報告。それぞれ仕事が済んだら朝食にしよう」


 砂の海が薄らぼんやりとした日の光で照らされ始めた。足元にできていく影をぼーと見つめていた少年の肩に手を置く。


「君たち一人ひとりを助けることはできないけれど、この旅の間に仕事ができる奴に育ててあげよう。だから、今日も覚悟しろ」


 私の横に立つ中央の言葉を喋る少年、ケサルが言葉を翻訳し伝えていった。その翻訳能力は現地の案内人をして上出来と言わしめる出来栄えのようだ。


「みんなゴテアの砂漠に捨てられると思って怯えてる。ここまで来ちゃうとカハーレにも戻れない」

「びびって仕事をしない奴は捨てられるぞと伝えて。それから逃げるのも無し」

「――女顔のくせにこえーんだよ」

「そういう汚い言葉を使わない。言葉はその人そのものを表す。それは語り手もふるい手も関係ないよ」


 彼らに与えた仕事は多岐に渡る。


 夜警人員が眠る前の給仕、寒さを除けるために円陣に組まれた荷車の移動、整頓、朝食のための食材運びから調理の手伝い、等々。


 中には寝付けなかったのか欠伸をする子もいるが、例外なく仕事に従事させた。


「信用は一回では稼げない。積み重ねるんだ。積み続けた一番上が今の君たちの評価だよ。ただし、どこかで崩せば崩れたところからやり直しか、もう二度とやり直しは効かない。慎重に注意して積み重ねるんだ」


 私からすると「ダァ」としか聞こえない――はいと言っているらしい――返事が返って来ると、それぞれがなんとなく動き出して行った。


 まだまだ動きがぎこちなく、迷いがある。これはやるべきことへの自信が無く、動く前の躊躇が多いからだろう。


 なので私も混ざって同じ作業をする。


 いつもならポフと早朝訓練をしているところだったが、彼女はあいにくの体調の悪さだし、暇を持て余すよりも体を動かしてから食べる方が朝食もうまい。


 言葉は全くわからなかったが、ケサルがいなくても見様見真似で伝えられる作業を選んだから問題は特に出なかった。


「語り手なら不思議な力でぱぱっと終わらせられるんじゃないの?」

「ああ、ケサル。君の仕事は終わったのかい?」

「当たり前だろこんな簡単な作業」


 そうは言ってもまだ他の子は終わっていない。彼は地力が違うのだろう。


「言葉の力はなんでもできる凄い能力ではないよ。それにここはホルドが薄い。この場所に限れば私も君もたいした違いはないんだよ」


 ケサルは「ふーん」と興味なさそうに応え、そのまま別の作業をする子の元へ向かった。



「イマチェ……。イマチェ……」

「ん? うーん。とりあえず見てみるか」


 全体から見ると幼い見た目の少年に袖を引っ張られるが、言葉が全く分からない。同じ響きの言葉だったので、ひとまずついて行く。


 すると少年四人で運ぶようにお願いしていた箱が横倒しになっていた。中には乾燥させた野菜やらが入っている。


「そうか倒してしまったのか」


 他の年上の三人は気まずそうな顔をしながら、それでも一言も発さずに立ち尽くしている。


 状況を察するに、怒られるのが嫌で年下の子に報告を押し付けてしまったのだろう。こればっかりは言葉なしにどうすることもできないと思い、ケサルを呼びに戻った。


「伝えて欲しいことは、失敗したことは怒らないがちゃんと報告しに来なかったことは怒っていること。次は同じことをやらないようにどうすればいいか考えて欲しいことだよ」

「わかった」


 短く応えるとケサルは四人の少年に向かう。みんなケサルの前だとしゅんと項垂れ、子どもらしい表情に染まっていた。


 しばらく様子をうかがっていると話し終えたのか、ケサルが私の小枝を指さして言った。


「殴るのは俺だけにしてくれ。こいつら、最近ちゃんと飯が食えてなかったから腹が減っちゃって力が出なかっただけなんだ」

「なぐる? 殴るってなんで?」

「使えない奴は殴る。そうだろ?」

「――あっはっはっはっは」


 思わず笑ってしまった。


 ぽかんと開けた口をすぐに真横に結んだケサルは面白くなさそうに眉を寄せて憤った。


「なんだよ」

「食べ物を粗末にしたわけでもなし。砂なんて払えばいいだけだよ。だからこの箱が倒れたところで何にも起きていないのと一緒さ。言っただろう? 私が怒っているのはちゃんと報告しに来なかったことだって。その程度のことで殴るわけがないじゃないか」


 結ばれた口元が緩むことは無かった。しかし、何かをぼそぼそとつぶやいたケサルは少年四人に目配せをすると倒れた箱を持ち上げ直し運んで行った。


「先は長いねぇ」

「ニルも手伝ってよ」

「そうさね。ポフとは違って、襲われたときに反撃できる気がしないからねぇ」


 まだ結われていない赤毛をかき上げながらニルがへらりと笑った。


「やっぱり連れて来たのは反対だった?」

「まさか、ソルトのお人好しに助けられたあたしが言えた義理なんてないよ。けど、襲われかけたって事実は消えないからね。ソルトがいなかったら、あたし一人ではどうしようもないのさ」

「それは……。それじゃあ、ニルも護身程度に訓練しようか」

「やだよ。私が一生守るからって言いなさいよ」

「ニルの身を最初に守るのはもちろん私さ。だけど、身を守れるに越したことはないだろう?」


 火口から煙草へ火を移そうとするニルを制し、ホルドの火を灯した。


 ゆっくりと近づいて来るニルの呼吸に合わせる。すうっと吸われる煙草がじりじりと燃え、灰が砂に混じって風に攫われていった。


「あたしが死ぬときはソルトが先に死んでる時にするから、訓練はいいよ」

「――じゃあ、長生きしないとね」

「そうして頂戴な!」


 ニルの吸う煙草をもぎ取り私も肺を紫煙で満たす。朝焼けが目にまぶしい。



 できることが減って来たので荷台に腰かけニルと煙草を吸った。


 そうして、テオドーラの配下も、私の連れて来た少年も入り乱れて作業が進んで行く。


 日焼けした筋骨隆々の男たちに囲まれてビビりながらも腰が引けない辺り、少年たちの日常が暴力を背景に維持されている様子がうかがえた。


 さっきのケサルの言葉もそうだった。


 厳準という掟に縛られた地域だと聞いていたが、そういった戒めがあろうと無かろうと、生活できない弱者はなにかに脅かされながら生きるしかないのだろう。


 だからといって子どもがいきなり大人になれるわけがない。ふるい手が神様の言葉を使えるようになるわけでもない。今日食うに困っている人が明日いきなり豊かになれるわけはない。


 少しずつ少しずつ変えていくしかないのなら、その一歩を踏み出す切っ掛けだけでも与えてあげたかった。


 旅で浮かれているからだろうか。


 こんな小さなことでは結局のところ大きな世界のうねりは変わらない。森林聖共和国が森と人の国になるような変革は起こらない。


 でも、私はとにかく何かしたかった。


「難しい顔しちゃって。夜あたしを抱きしめてるだけじゃ足りなかったかい?」

「寒がって抱きしめてっていたのはニルだろ」

「そうだっけ」

「そうだよ」

「最終的にポフの毛に二人で埋まってたからさ」

「寒い時はあれが一番」


 ぷっと噴き出したニルにつられ私も笑った。


「あ、ほら。おにーさん、弟分たちの面倒を見てあげな」


 視線を逸らし見渡したニルが言う。


 すると少年たちがわらわらと集まって来て作業が終わったと報告をしてくれた。焼いて味付けをした野菜や肉を挟んだ麺麭を手に嬉しそうな表情をしている。


「よし! 朝食だな! 挨拶は”いただきます”」

「「「いちゃぢゃきます!」」」


 鈍りながらも私の真似をして、少年たちはその場にどかりと座る。一心不乱に食べる姿は昨日も見たが、迫力満点だ。


 とにかく腹いっぱい食べて欲しい。そう思った。



 一人浮かない表情のケサルだけは、酷く不味そうに眉根を寄せながらもそもそと食べていた。







【”Sleeping Talk”】

――ゴテア砂漠――

 境界東部に広がる砂漠地帯の総称。人が住むには過酷過ぎる環境故、国らしい国は存在しないが細々と人の住む地域が存在している。

 かつてはここにも豊かな森が広がり人々の暮らす場所であったが、今は何もない。

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