俺も年を取るわけだ。

「順調順調。森と人の国を直接抜けるこの航路が確立したら、物の流れが一変するってもんだな」


 真っ黒に日焼けしたしわだらけの頬にさらに深いしわを寄せながらカージタが言った。


 南東衛星都市国家二番手の国カッサルの港を経由し、旧デモンサート領付近で接岸したテオドーラの商船団は最寄りの運河に招き入れられ、そこから神域をくぐったらしい。


「あの感覚はいつ味わっても気持ちのいいもんじゃねえ」

「船の揺れとは違った違和感がありますよね」

「んーまあ俺に言わせりゃ、陸の上の方が凝り固まってて気味が悪いくらいだけどな」


 がっはっはと豪快に笑ったカージタはしかし、と続ける。


「国ん中見せてくれってテオドーラの交渉には一切乗り気じゃなさそうだったからな。まだまだ確立には程遠いだろうぜ」


 目元がしわと遜色ないほどにまで細められる。目を閉じているのか、開いているのか分からないが、そのまま彼は話し続けた。


 森と人の国の内部を散策することは叶わなかったが運河を使って国内を横断し、東端のレンデルテン領――内戦の当初からエウフェーミア陣営で被害が少なく、大きな湾口がある物流の要――に抜けた。


 その後、テオドーラだけ首都へ連れていかれ、先日の面会が取り付けられたのだとか。


「お茶を飲んだ時の砕けた表情が忘れられそうにないですよ」

「そうだ。あの野郎、一人で旨い茶を飲んで旨い物を食ったと自慢しおって、船員にどやされても俺は助けんぞと言ってやったわ」


 大きな船とは言え閉じ込められるには狭い場所で、大人数がまとまって暮らす船というものはちょっとしたすれ違いが死に直結することもある。


 誰にも見つからずに船の外に捨てられてしまえばそれまでの世界で、小さな喧嘩一つをとっても致命的な崩壊を招きかねないのだ。


 戦争を経験し、大人数がまとまって行動する難しさを学ぶことができた私は「そうだろうと思って、お土産を積んでおきましたよ」とカージタに伝えた。


「ほお、あんなに小さな子供だったのによ。ずいぶん世渡り上手になっちまって。俺が年を食うわけだな」

「テオドーラさんも同じ考えだったようですから、その辺はやっぱりうまいんでしょうね」

「でなけりゃあの若さでこんなに立派な船団組めないわな」


 自ら荷物を積み込む船員たちは、いつもより多めに嗜好品が積み込み予定になっていることをいち早く察知している。その積み位置や、積み込み方で商品なのか消費用なのかくらいは一目瞭然なんだそうだ。


 だからテオドーラは笑って自慢話をしていた。お前らもたくさん働いて船長になって自分の船団を持てと言いながら。


「なんにせよ、鬱憤溜まりっぱなしってのは良くないからよ。そういう意味では、新しい航路ってのはなんでも魅力的に見えらあな」


 うまく開拓するだけで一人、二人、もっと多くが新しく船長になれる、それほどの利益を生み出す場所はなるほど魅力的だろう。


「カージタさんも自分の船を持ちたいと思うのですか?」

「俺か? 俺はなぁ、あいつにでっかい借りがあるからな。死ぬまでこき使われてやることにしてんだよ」


 大きな流氷にホルドの塊をぶつけながらカージタが豪快に笑った。砕けた氷が海面を爆ぜる音でさえかき消されないほどの笑い声だった。


「にしてもホルドの扱いも随分様になっちまって。俺に教えられることなんてもうないな」


 驚くほど繊細に船を操作する一方、流氷を砕くやり方は荒波を乗り越える船乗りよろしく単純豪快そのものなカージタが、流氷を砕くのではなく溶かす私の様子をしげしげと見つめてくる。


「壊すほうが使うホルドの量がわずかで済みますよね。どうにも、神域の中で過ごした時間が長すぎたみたいです」


 潤沢に湧き上がるホルドはもうない。ここはまだ海の上で遊走するホルドが多いので何ともないが、ジレジガリテのような不毛の地に行けばすぐにホルドを枯らしてしまうだろう。


 染みついてしまった癖を抜く為にも、扱い方をもう一度考え直さないと。


「いやあ、ある意味大事だぜ。砕くだけじゃ破片で船が傷つくこともあるだろうし、万が一の事故なんていくらでも想像できるからな。大きな流氷を”溶かす”なんて選択が取れるだけでできることの幅が変わる」

「選択の幅ですか」

「武器はいくつあっても事欠かないからな。その時その時で最大限できることを考えておいて、その中から最小の労力で解決する方法を見つけるこったな」


 船の操作を教えてもらったあの時もそうだったが、カージタは厳めしく豪快な笑い声をあげる一方で、理詰めで知性的な部分がうかがえた。


 そう言うと本人は照れくさそうに否定していたが、きっと元来の性分は理知的なのだろう。船乗りという仕事がら粗暴な気配をまとっているという印象がどうにもしっくり来た。


「二人でずいぶんと楽しそうにしていますね。僕も混ぜてくださいよ」

「おう、丁度お前さんの悪口で盛り上がってたところだ」

「なんだ、いつも通りでしたか」


 あっけらかんとした様子でそう言ったテオドーラは全身が二倍にも三倍にも膨れているように見えるほどに着込んでいる。カージタ曰く、極度に寒がりなのだそうだ。


「かなり東に出してもらえたので流氷が少なく助かります。急ぎの旅路であっても、船を避けて流れて行ってはくれないですから」

「ひどけりゃ閉じ込められておしまいだ。俺一人じゃこんなでかい船団全体をどうこうするなんて土台無理な話だからな」

「いやー懐かしいですね。――そうだ、丁度ソルト君と出会った旅の時ですよ。あれも今回と同じような航路を使った帰り道でした」


 まだ森林聖共和国として出入りの自由が無い時。大陸北端を経由する航路を使って東の国々へ商いに出た。そんな遠くを見るように話すテオドーラを小突いてカージタがぼやいた。


「氷に覆われた海を突き進ませやがって。閉じ込められて死んだと思ったぜ俺は」

「そうでしたね。でもこうして今も無事に商売を続けているじゃないですか」


 しわの隙間から覗いた厳めしい瞳がぎょろりとテオドーラを睨む。


「死に物狂いに頑張ったのは俺だけよ。テオドーラは船室で震えてただけだろうが」

「いやー僕寒さにはめっぽう弱くて」

「いい気なもんだ」


 どすどすと勢いよく拳をぶつけるカージタに対し、テオドーラは厚着のせいか身動ぎ一つしない。そんな二人の関係が見ていて小気味良いものなのは、長年によって培われた信頼が透けて見えるからだろう。


「この先の”砂の国”、極東フェメル湖国、アネロゲニ連合王国、アルヴィフォルダン古国、そしてソルト君もよくご存じの東西ジレジガリテ自由帝国。中央海を中心に栄える大国を風と水の力で進めるこの東回りの航路がつながれば、大陸はもっと豊かになれる。僕はそう信じていますよ」


 テオドーラは商いの力を信じているのか。


 握りしめた拳は――もちろん分厚い手袋の中だが――ある種の熱気を帯びている。何かを成し遂げようとするときに生まれる熱気だ。


 文明を、この大きな船で運ぶことで大陸中が豊かになり、何かを求めて争う必要のない世界が生まれる。


 そう言って笑った。


 カージタは何も言わなかった。ただ、テオドーラと同じように厳つい顔をしわしわに歪めて笑った。


「ところで、次に中継地になるのはその”砂の国”というところなんですか? 聞いたことが無くて」

「そうだね。まぁ砂の国というのは通称名で、国という単位でまとまった場所があるわけではないんだけどね」

「どういうことですか?」


 耳飾りを弾こうとしてやっぱり弾き損ねたテオドーラが気まずそうに続ける。


「”厳準”という掟を守って生活する人々の集まりと言えばいいかな。とても曰くの多い地域だけど、硝子を扱わせれば大陸一の技術力だよ」


 フークバルトが勢いあまって砕いた器を思い出す。


 ”所有の概念”が消えたことで復元することができたが、後からテオドーラにその値を聞いて失神しかけたフークバルトを介抱するのが大変だった。


 そういえば、森と人の国にも時たま持ち込まれていたが、見せてもらった品物はどれもこれも神域の核足る宝石のように輝いていたな。


 それらを産み出す地域か。


「こういってはなんですが、とても楽しみです」

「良い心がけだよ。何事も楽しめなくては」


 友のための旅とはいえ、私もテオドーラのような心持でいることにしよう。


 気負い過ぎて上手く行く試しなんてそうそう無いだろうから。







【”Sleeping Talk”】

 自分を物差しにするとき、どうしてもはかり切れない人が出てきてしまう。その相手の”成長”を喜べるようになると、人は老いを感じるのかもしれない。

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