フークバルト・ルート。

「ちくしょう。今日はやけについてねぇ……」


 ぼそりとつぶやいた言葉が無性に腸を煮えくり返す。


 忘れようと努めれば務めるほど脳裏に浮かぶ出来事が、その一言でさらに鮮明に浮かんできた。


 南東衛星都市国家の外れ、グオリオのさらに片田舎にある農村を何をするでもなくぶらついているのは、仲間のところに戻る前にこの苛立ちを消しておかなければならないからだ。


 さもなければクラエスに揶揄われ、オルタンシアが笑い、ヴァルターが心配してきて鬱陶しい。ついてない出来事を自ら増やす必要なんかねえんだ。


「フー君、お疲れ様」

「……ああ、おう」


 中でも一番会いたくない相手にここぞとばかりに会うんだから、やっぱり今日は断トツでついてない日だな。


「どうしたの?」

「なんでもねぇよ。それより、首尾はどうだったんだ」

「問題ないみたい。先行してもらった会員の人がさっき戻って来たって」

「そうか。だいぶかかっちまったが、ようやく準備が整ったってわけだな」

「うん」


 コレクントールでの出来事を思い出す。


 右も左もわからねぇうちに死の淵から救い出された。仲間がもがき苦しみ、血反吐を吐き散らしながら死んでいったあの場所で、ただ一人救い出されたのがなぜ俺だったのか。


 そんなくだらねぇことを考える。


 そこに意味なんてねぇ。


 さんざん無い頭をほじくり回して、かき回して考えた結果がこれだ。だいだい、俺は頭を使うのが苦手だってわかってんだ。


 だから考えるのを止めて剣を振るい続けた。


 ”華美なる恐怖”のオルタンシアが華々しく活躍する影で。


 ”慈悲を纏った死”のヴァルターが尊敬の眼差しを集める脇で。


「何を考えているか、わかりやすすぎる」

「うるせぇ」


 シアンが逸らした顔を無理やりに覗き込んで来やがる。鬱陶しいと払いのけてもやめない。


「ソルトの新しい話、聞いた?」


 いい加減やめろ、その一言を言う前に予想通りと言わんばかりの小憎らしい顔をしたシアンが言った。


「森林聖共和国の英雄様の話は、いくらでも聞こえてくらぁな」

「何度も言ってるけど”森と人の国”」

「こっんな片田舎まで噂が広まってんだからよ。さぞ大活躍してんだろうな」

「凄いね。ソルト」


 あいつは仲間だ。


 鐘の音を聞きながら、遠ざかる三人の背中を見送り続けた記憶が無くなることは無い。が、シアンの口からソルト、ソルトと聞かされるのは気に食わねぇ。


「ああ、そうだな」


 だが、そんなこと言えるわけがねぇ。


「フークバルトも、そんな英雄になるんでしょ?」


 不意の言葉に耳がかあーっと赤くなるのを感じる。


 そんなことを言い出すとは思ってもいなかったせいか、火照った耳たぶを無理やり握り潰し、ぼりぼりと掻きむしった。


「俺がやんのは、奪われたもんを取り返すってだけだ。復讐じゃ英雄には成れねぇよ」

「復讐じゃないよ。それに、卑怯なコレクントールとは違う。正々堂々、真正面から相手を叩き潰すんだよ」

「おめぇ、今日はずいぶんと饒舌じゃねぇかよ」

「お前って言わないで」

「くっ……お、おう」

「お前って言わないで」

「わーったよシアン。すまねぇ」


 何が満足だったんだか。にんまりと笑ったシアンは後ろに手を組んだまま俺の数歩先へ駆け出す。


「早く行こう」


 そう言って振り返ったシアンがなんだかまぶしく見える。かたむきかけていた陽の光が、その笑顔見たさに戻って来たみたいだ。


「ちっ。しゃーねぇ、クラエス当たりがまたうるさそうだからな」

「そんなこと言わない」

「ちっ」

「舌打ちしない」

「へいへい。わかりましたよ」


 両手をあげて降参する。剣で”ねじ伏せられない相手”に、無駄口叩いて負け続けても仕方がねぇ。


 憎たらしいが、ソルトの言葉を借りれば『男は女に勝てないようにできている』ってやつだ。流れに逆らわず、うまいことやってもらった方が楽ってもんだな。


 ぐうっと鳴った腹の虫は、聞かなかったことにしておいてやった。


 かなり強めに殴られたのだけが気に食わねぇ。





*****





「どんな噂に吊られてやって来たのか知らないが、そんなものはここにはない」

「おやおや、ずいぶんとつれない。我々は何も”戦争”を仕掛けに来たわけでも、ましてや”毒”を盛りに来たわけでもないんですよ?」


 うっすらと頬を伝う汗が相手の焦りを如実に伝えてくる。


 コレクントールの国長デカネール・ファーン・クラドールは姑息な奴だ。だが、その姑息さを隠さず利用することでうまく世を渡って来た卑怯者と言える。


「後ろに武力を控えて戦争ではないだと? ましてや毒などと物騒な言葉を使って。これは完全に恣意行為だ」

「まさかまさか。昨今、国内が騒がしいですからね。用心のために連れて来ただけですとも」


 ね、と振り返る。


 オルタンシアがその褐色の肌に付いた傷を見せつけながら見開いた黒い瞳を歪めて笑い、ヴァルターが目元の鱗をぱきぱきと鳴らして腕を組む。


「国が乱れているのは貴様らのせいではないか!」

「おや、我々が何をしたと?」

「ぬかせい。国内の食料や物資を無理やり買い漁り、経済を乱れさせただろうが!」

「ああ、今は大陸の中央がキナ臭いですからね。そちらに運ぶだけで凄まじい利益になるんですよ。我々はあくまでも国民の皆様と対等に商売を行っただけですよ?」


 専剣会が大型の商船を持っている――実際にはテオドーラの商船だが――というのは市井での専らの噂だ。でなければ、神域から大量に掘り出した貴金属を捌ける理由にならない。


 そんなに大量の金属が南東衛星都市国家に流通している様子は無いし、その割には羽振りのいい専剣会を見ていれば誰だって気が付くに違いない。


 この組織には大きな後ろ盾がいると。


 南東衛星都市国家からはかなり距離のあるここコレクントールと取引を行うようになってから随分と経つ今となっては、そんな噂が独り歩きしているのも当然のことだ。


「貴様らのせいでコレクントールが乱れたのだ。脅しではないというのであれば、まずは誠意を見せて見ろ!」

「何に対する誠意ですか?」


 内心をひた隠し努めて笑顔を振りまけば、見えるすべての肌が真っ赤に染まったデカネールがわなわなと震えた。


 ああ、オルタンシアがさっき笑ってたのは『もうこいつ斬って良いか?』ってことか。そんなことを思いつくに至り、背中に冷や汗が浮かぶ。


「貴様らが最初に持ち掛けて来たことだろうが! ここにある”炉”を買わせてくれ! と」


「なあ、おっさん」


 あちゃー、これだから血の気が多すぎて困る。現会頭の堪忍袋がまず切れた音が聞こえると、流れ出る濃密な殺気が増す。


「お、おっさん……。おっさんだと?!」

「デカネールさんよ。俺ぁ庶民の出だからよ。難しいことはわからねぇ。だから教えてくれねぇか?」

「な、なんだと。ぬけぬけとソファーに腰かけているからどこぞのガキだと思っていたが、思い上がるなよ!」

「おめぇの国じゃあよ。他人を殺して奪ったもんでも、誇らしげに自分のもんだって自慢してもお咎めはねぇのか?」

「フークバルト、落ち着いて」


 フークバルトの気勢を削ぐようにゆっくりと言葉を吐き出して流れを断たせる。


 どうして一番気を遣うのが身内なのだろうか。私、頑張れ!


「あっはっはっはっは! そう来なくてはな会頭よ! さあさあ、堅苦しいのは無しだ! 存分に――」

「オルタンシア黙って」


 満を持してばーんと登場しようとしたオルタンシアを一括で黙らせたシアンがフークバルトを睨みつける。


「うちらはあくまでも買い物をしに来た。そうでしょう?」


 と何を考えているのか分かりにくい、表情に乏しい瞳が私へ向けられる


「そうですね。どうですデカネール様。本格的な交渉をする前に、お食事でも。実は”森と人の国”で上質なワインを仕入れましてね」


 こんな流れのつもりではなかったが、シアンの助け舟を借りながら話を進めていく。



 ああ、会頭。私はもう疲れました。でも、やるべきことは頑張ってやります。だから今度おごってくださいね。国を変えた英雄からなら、さぞや良い物を食べさせてくれるでしょう。







【”Sleeping Talk”】

――コレクントールの国長デカネール・ファーン・クラドール――

 かつては北部においてそれなりに大きな国土を持つ国であたが、南東衛星都市国家が”降って来た”ことにより衰退。その後、それなりに肥沃な土地とどっちつかずながらうまいこと世渡りをする才能に長けた国長によって繁栄を維持してきた。

 大陸中央で燻る戦争で甘い汁が吸えると思いいたったデカネールの指示により”炉”を奪う作戦が実行された。

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