歩んだ今日が道になる。

 光がゆっくりゆっくりと差し込む。


 神様が夢見た世界”神域の中で、あたかも朝日のように差し込むこの光を日の光と言っていいのか分からないが、その柔らかい温かさは遜色がない。


 そんなことを地べたに仰向けに転がされながら考える。


「大丈夫かしらソルト君」

「いやーまいった。本当に勝てなくなってきた」


 ポフに重心移動の隙を突かれものの見事に転がされたわけだが、これが初めてというわけではない。


 内戦中にわざわざ訓練をすることは無かったし、そんな余暇もなかったわけだが、多くの実戦経験が彼女の何かを変えたのだろうか。ある程度の落ち着きを取り戻した日々の中どちらともなく再開した訓練で、私はポフをあしらうどころか勝てなくなっていた。


「語り手の本領なし、円盾なし、会敵状態かつ近接状態からやってこれなんだから、褒められた気がしないのだけれど」

「うーん、私個人としては剣術だけでもそこそこだと思っていたんだけどね」

「それは亜人と人の本質的な差じゃないかしら」


 亜人と人の差、か。たしかに並外れた身体能力は脅威だが、体の捌き方一つができていないだけでもそれをして脅威とは呼ばない。


 ちょこまかと素早く動く子どもが脅威かと言われて、怯える人はいないだろう。


 西ジレジガリテ自由帝国で”所有の概念”による楔から解き放たれて以来、ポフ自身が弛まなかったのだ。


「これだけ戦えるなら、私も安心だよ」

「ソルト君が好き勝手暴れている間、その背中を守るのがわたしの仕事なのだから、嫌でも戦えるようになるわ」

「なんだか心外だな……」


 ふうっと柔らかく、今しがた差し込んだ日の光のように微笑んだポフが手を差し伸べてくる。


 白く透き通った綺麗な肌は女ではなくとも見惚れてしまうが、その影に隠れた分厚く鍛え上げられた掌の硬さを知る人はそれほど多くない。


 何度も何度も裂け、剥け、治ってはまた裂け、剥ける。その痛みを乗り越えた戦士の掌だ。


 そんな握り合った手の力強さに身を任せ立ち上がる。


「私はこの手が好きだ」

「なにかしら、突然に」

「節がごつごつしていて、分厚い皮の弾力があって、握り返しても壊れてしまいそうな不安を感じない」

「……女性に言う言葉ではないと思うのだけれど」


 一呼吸だけ大きく吸う。



「この手を笑う者がいれば私が真っ先に切り伏せに行こう。


 ポフを罵る者がいればその言葉を二度と吐き出せないようになるまで改めさせよう。


 私の存在そのものを掛けて、ここに至ったポフの築き上げた今を称賛しよう」



 言葉の端々は違ったかもしれない。幼い私がうろ覚えで記憶していただけかもしれない。しかし、伝えるべき言葉として私に刻まれていたこの言葉が口をついた。


「その称賛、ありがたく頂戴します。今後、わたしがわたしを恥じることは、決してないでしょう」


 もしかしたら習慣的に使われる儀礼の言葉だったのだろうか。ポフが少しだけ考えて、ゆっくりと口にした音は固く。しかし、熱気がにじみ出る。


「ただ、女性を褒めるならもっとマシな言葉を覚えてもらいたいのだけれど」

「…それは、善処します」


 ぽいっと頬を含ませたポフが意地悪く私を睨みつける。


 この目には出会った時から逆らえたことはなかったな。そんなことを考えていたら、見透かされたように脇腹を小突かれた。





*****





「ソルト様、お茶をどうぞ」

「ありがとうネレアナ」

「いえいえ。――あ、お疲れ。ほらポフもどうぞ」


 内戦の折、エウフェーミアによって組織された正規軍のうち、特殊任務に着任した五十五名の兵士と私たち。


 力ある者であっても正しく裁きを与えるための部隊で、特別な呼称はない。


 そんな部隊の解任式を本日は執り行っていた。


「だーくっそ。最後までいい様に転がされて」

「俺も、お前も同類よ」

「副長を抱く権利……ちくしょうッ!」


 誰一人欠けることなく晴れ晴れしく任務を全うした五十五名は、今うめき声を上げながら広場の石畳の上に無様に転がっている。


「ポフが余計なことを言うから」

「あら、わたしのせいだと?」

「そうは言わないけどさ」

「あなたの女が他の男に手籠めにされているのを黙ってみているなんて……ソルト君が身を挺して守ってくれても良いと思うのだけれど」


 肩で息をしているが、手にした凍雨衣の長刀を恐ろしい風切り音で奏でるように振り回す姿は、まだまだ余力を残しているようにも見える。


 今しがた危なげなく五十五人の隊員をぶちのめしたポフは真っ赤な瞳を細め、震わせるように身を抱いた。


「奮起させるための煽り文句が強すぎたんだろうね」

「彼らの捏造なのだけれど」


 少し無茶な作戦が続いたある日、敵語り手の術中で孤立した隊員の救助に向かったポフが彼らを奮い立たせるために何事かを語ったらしい。


 その言葉が戦中という特殊な環境で捏ね繰り回された結果、『副長に勝ったら、一夜を共にできる』ということにまで至ったらしい。


 呆れて物も言えない。


 万が一隊員が一対一でポフに勝てたとして、ポフがそれを許しても私が許すわけがない。よろしい、ならば決闘だ。真に恐ろしいという感情がどういうものか、今一度その身に叩き込みなおして見せようってなもんである。


 とはいえ、むさ苦しい男所帯に同行している女性がいるのは目の毒だというその気持ちがわからないなんてことはない。


 気持ちは痛いほどわかるさ。


 だから、作戦と作戦の合間の余暇として多少なりとも息抜きになればと、試し合いは許可してしまっていた私も悪いのかもしれない。


 まぁ、訓練をしたとは言ってもまだまだ日も浅く、あくまでも集団作戦を任せている彼らがポフを相手にして一対一でまともにやり合えるわけもない、という打算もあった。


 案の定、いい様にぶち転がされ続ける彼らを見て安心する日々を送り、本日の解任式にまで至ったわけだが、最後の最後だから! という大きな声を受けこんな結果を迎えている。


「どーだお前ら! 私のポフはいい女だろうがッ! あっはっはっはっは!」

 

 気分が良いとはまさにこのことだな。


 高らかに笑い声をあげているとかなり重めの掌底をポフからくらう。


「羨ましくなんかなねーぞー!」

「見せつけるじゃねえかこの野郎ー!」

「乳繰り合ってろやー!」

「副長、俺をもっとぶちのめしてくれぇ」

「あああぁぁぁぁあ! 羨ましいぃぃぃいい!!!」


 そこかしこから湧き上がるうめき声が耳に心地良い。


「厳かな式だと思っていたのですが、ソルト様の部隊らしいですね」

「ネレアナ、それどういう意味?」

「いえ、言葉の通りです」


 簡単ではあるが食事と飲み物を提供するために給仕に呼んだ使用人たちが苦笑いに見えなくもない笑いを浮かべた。


「お食事はもうしばらくしてから運ばせますね」

「ごめんなさい……」


 なんだか居た堪れない気持ちになりしゃがみ込む。


 ポフと目を合わせたネレアナが楽しそうに口角を上げた。給仕服をふわりと広げて私の横へ座り込むと手を前に交差させる。


 他の使用人たちはそれぞれ手に飲み物や手ぬぐいを持ち、転がる隊員の元へ散っていった。


「ほんとに男って。いつまで経っても子供よね」


 しゃがみ込む私の視線を遮るように屈んだポフが言う。

 

「それはさ、それはそうかもしれないけどさ」

「ちゃんとご褒美は用意したのだけれど。見て見なさいな」


 ポフが足を軸に私の横へ回り込んだ。


 開けた視界の先を見てみれば、給仕する使用人は女性ばかりだ。汗のにおいでむせ返りそうなこの場所を清涼感で包み込んでいるようにさえ見える。


「みんな独り身で、常識を持った良い子ばかりですよ」


 きっとこの状況に一役買っているネレアナが付け足すようにつぶやいた。


「だからもしこの子たちに酷いことをしたら、ポフが容赦なく制裁を加えることになっています」

「あれを切り落として二度と男としての矜持を果たせないようにするのだけれど、いいわよね」


 思わずしゅんと背筋が伸びる。


「少なくとも、責任感は人一倍強い奴らだし。正義を執行してきたっていう自負はあるだろうからね。ま、何かあればその時は私が一番槍を貰おう」


 わいのわいのと盛り上がる広場を見渡す。


 この平和がいつまでも続いたらいいな。そう思わせてくれる明るい気配が和やかなに流れていた。







【”Sleeping Talk”】

――五五部隊――

 後に法治維持部隊と呼ばれる組織の前身。五十五人の兵士によって結成されたことから巷では五五部隊と呼ばれていた。

 定められた法に則り穏やかに過ごしている限り、彼らがどれほど強い相手であっても守ってくれる、と有名すぎる二つ名持ちの影に隠れてはいたが人気を博していた。

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