クーオンチョの甘味処は健在。

 【クーオンチョの甘味処は健在】という言葉が生まれた。


 たとえどんなに過酷な状況であったとしても、あそこに行けば甘未にありつけることから、今は辛くとも報われる時は来るという意味合いで使われている。


 戦中、敵味方が入り乱れてパイを食べる姿を見ることができた唯一の店と言ってもいいかもしれない。


 そんなクーオンチョの甘味処は、長引くことは無かったとはいえ内戦によって疲弊した森と人の国で変わらずに営業を続け、その後の復興に合わせて国内のいたるところに店舗を構えるまでに至った。


 疲れた体に一時の癒しを与えたい。そんな気概だけで良心的な価格でお腹いっぱいになるまで甘未を提供する営業方針は、今も変わらず各店舗の営業主に引きつがれている。


「とろけるねぇ」


 さくりと解れるパイ生地の上に乗せられたクリーム”だけ”を指先で掬って舐めたニルが、自然とほぐれる頬を押さえるように手を添えて言った。


「行儀が悪いわ」

「これくらいで良いのさ。お上品に召し上がるには、ここのお菓子は親しみやすさに溢れすぎてるよ」

「もう」


 ナイフとフォークを使い一口の大きさに切り分けながら食べるポフが視線だけニルに向ける。


「食べさせてあげましょうか?」

「それはソルトにしてあげな」

「あっはっは。それじゃあ頂こうかな」


 雛鳥の真似をするように口をとがらせる。


 ちょっとだけ、ほんとにちょっとだけ嫌悪に近い表情を向けられた気がしなくもないが、そのまま待つ。するとポフは一口に切られたパイをクリームに潜らせて差し出してくれた。


「まったく、呆れてしまうのだけれど」

「そうは言いつつやってくれるところが好きだよ」

「知らないわ」


 ”白雷菟”の戦働きを知っている人が見たら、きっと大口を開けてそのまま顎が外れてしまうに違いない。


 というのも内戦の折、ゲイシーネ近郊で語られていた私たちの通り名をエウフェーミアが戦略的都合から森と人の国にも広めたのだが、最終的には敵味方を問わずもっとも轟いたのが”白雷菟”だった。


 矢面に立つ私を陽動に単独行で敵地に浸透し、瞬く間に鎮圧していく姿は容赦の欠片もなく、まさに雷のよう。美しい白髪に赤い瞳というのも珍しく人目を惹くからか、国内で彼女を誰かと見間違うということはないだろう。


 だからこそ、甘未をつつき、あまつさえ男に甲斐甲斐しく食べさせる姿など誰も想像していない。


 なんだかそれだけで笑いが込み上げてくるが、ここで笑ってしまうと後が大変なことになるので笑わないように注意する。問題は不意に思い出し笑いを浮かべてしまうことだろうけど、その時はその時の私に任せるとしよう。


「美味しいね」

「ええ、とっても」


 ぎいっと椅子が鳴る。物資がまだまだ不足している中で修繕されながら使い続けられているのだろう。


 見た目はぼろぼろだが、肌に触れるところは棘が出ないように削られていて細やかな配慮は相変わらずだった。


「テオドーラを紹介して国外にも店舗を出せるようにしてもらいたいよね」

「それは名案だね! ここを離れたら食べられなくなるのが嫌だったんだ」


 豪快に頬張るもんだからクリームが頬についたニルは、それも指先で拭う。


「はい、あーん」

「ニルの味がしそうだよ……」

「食べ慣れてるもんね?」

「あー、はいはい」


 悪戯っぽく笑うニルが差し出した指先を咥えてクリームを舐めとると、必要以上に甘ったるく感じた。今更に恥ずかしくなり泳がせた視線が不自然だったのか、余計に目を歪ませたニルがあっはっはと笑う。 


 この笑顔が変わらずに傍にいてくれたことが嬉しかった。


「でも残りはあたしのだからね」


 そんなことを言うニル。


 あの戦いの後、石の徒の大部分が壊滅したと思われる状況で、今後どうするのか聞いたことがあった。 


 彼女からしてみれば、なんの因縁か目を付けられた石の徒から守ってくれそうな手頃な相手が私だったというだけ。その対価として差し出されていると知りながら、若さに感けた私が夜の相手をしてもらっているだけ。


 悲観的な見方をしてしまえば、そういう関係性のように感じてしまい、私がいてもたってもいられなくなってしまったのだ。


 長く苦楽を共にしてきた親愛をニルにも感じて欲しい。


 そんな一心の私を、彼女は盛大に笑い飛ばした。


『ソルトはまだまだ”男の子”だね。女の機敏に疎くて、くぁわいいよ?』


 手玉に取られるのはいつものことだったが、その一言を聞いて安心してしまった私は、どうかしているのかもしれないし、そんなものなのかもしれない。


 一つ言えるのは、男は女には絶対に勝てないようにできている、その一点だけだろう。


「そんなにじーっと見てもあげないよ」

「――ちょっと、考え事を。いや、じゃなくて私の分もあるから、そんなに要らないよ」


 そう言って果物の砂糖漬けが乗ったパイを見せつける。


「あたしのクリーム食べたよね?」

「あら、わたしのもよ?」

「そ、そうだけどさ……」


 結局、大部分を”一口”で持って行かれたせいで満足できなかったので追加で注文をした。


 追加注文の分はどう見繕っても量が増えていたが、ぺろりと食べてしまった。







【”Sleeping Talk”】

 クーオンチョの甘味処は誰もが一度は食べに行かなければいけない名店。

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