食べ物を粗末にしてはいけません。

「今は食事中ですので、食べ終わるまで待っていてください」


 目線を外してそう言うと、後ろから雷でも落ちたかと思わせるほど大きな笑い声が響く。


「そうかい。そりゃ悪かったなぁ。食い物粗末にする奴ぁ俺も大嫌いだッ! おぁし、女将ッ! 俺にも適当に見繕って持ってきてくれやぁ」


 何を思ったかゾドワナは手ごろな――さっきまで何某さんが食事をしていた席だった――机を引き寄せると、衝撃で椅子が砕けるのではというほど乱雑にどかっと座った。


「ところでぇよ、えらい美人のねーちゃんを連れてるじゃねえかぁ。ええおい、紹介してやくれねえかぁ?」

「私は確かにソルトと言います。私に用事があるとして、彼女たちに用事は無いでしょう。律儀に名乗るには些か粗雑に過ぎますよ」

「へぇ。難しい言葉を使うねぇ、ソルトぉ。俺ぁ学のあるやつも嫌いじゃねぇぜ。強い奴も歓迎だ。お前は強いな、どんなもんか後で試してやるよぉ」

「結構です」


 かっかっか、と岩をぶつけたような野太い声を上げてゾドワナが机を叩いた。衝撃でばきっと割れた机を見て押し黙ると、何事もなかったかのように他の机を引き寄せる。


「ちょっとゾドワナ。机も代金に含めるからねッ!」

「わーったよ。ちぇ、安物の机なんか使いやがってよぉ」


 料理を運んできた女がおぼんの角でかなり強く叩き、しかしびくともしないでゾドワナは笑った。



「おかしなのに絡まれたわね」


 ポフが呆れ気味に言った。料理を食べ進める手が止まらないのが面白い。


「いやいや、不味いって。ゾドワナアルカンを実質的に支配してる一党の頭目だよ。なんでいきなり絡まれてるのさ」


 恍惚の表情で溶けていたニルが血相を変える。


 まあ、名前からしても、態度からしても何かしらの人物であることに疑いは無いが、殺意も敵意もなく食事させてくれるというならまずは食事だろう。


「ほら、ニルも煙草吸ってないで食べな美味しいから。じゃないと食べちゃうよ」

「長閑ッ! いや、もうッ! あれよ! あーもう、言葉が出ない」

「久しぶりに煙草にありつけて、警戒心が靄にでもなってしまったのかしら」


 吸っていない時よりも情緒不安定なニルは置いておくとして、運ばれてきた料理を凄い勢いで吸い込むように食べていくゾドワナは、本当に私たちの食事が終わるのを待っているらしい。


 こちら側からはなんの用事もないのでいわれはないのだが、来いと言われて嫌だと逃げられる雰囲気でもない。


 遠巻きに見ている集団とは明らかに違う武装をした一派が、ぞろぞろと平屋の下に入ってきていて、ゾドワナを見ると「まだ食べてるんですか」と言っている。


 なんだか、頭目とのことだったが、周りの人の扱い方が違和感しかない。


 私たちを連行するために連れて来た部下とかなのだろうが、建物の外で待たせて一人でやって来たり。食事を急かすでもなく無防備に自分も食べ始めたり。おぼんで叩かれでもしたら烈火の如く怒りだしそうな見た目なのに、楽しそうに笑っていたり。


 おおよそ見当のつく為人とは全く違う、未知の存在感だった。


「よぉし。食ったなぁ」


 瞬間。私は左手を添えていた大円盾を体のひねりと腕のしなりで後方へ向けた。


 直後に訪れる衝撃。


 力を抜いて弾かれるがままに盾を逸らし、広がった視界には砕け散った破片。


「あちゃ、うまく当てられたなぁ、おい。そうそう砕けるもんじゃねえんだがよぉ」


 ゾドワナの巨躯から繰り出される埒外の攻撃。長い腕と重量物を十全に振り回す膂力でもって、座った体勢のまま私の背後へ一撃を放ったのだろう。


 腰に吊っている鞘が一つ空なので、砕けた破片は携帯していた剣なのだろうが、それにしては盾で受け流しただけで砕けるだろうか。


「まだまだ俺も未熟だなぁ。にしてもよぉ、ほんとに使うなお前さんはぁ」

「そちらも、殺意無く躊躇なく殺しにかかって来れるなんて、場数を踏んでおられるようで」

「おっと、俺ぁ煽られたところで怒りやしねぇよ。今のは俺が悪かったからなぁ」


 体幹が開かれて無防備になった胴へ追撃を入れてこなかったあたり、本当に試しただけなのだろうが質が悪い。


「戯れもそのあたりにしておきなさいな。これ以上というなら遊びでは終わらせられなくなるわよ?」


 ポフが腰元の剣をわずかに抜き、ゆっくりと立ち上がる。


「鋼の刃。いい剣だがぁ、少し草臥れてるなぁ。おし、このあと風呂に行こうぜぇ、おい。その間に砥がしておくからぁよ」

「御免被るわ。わたし、むさ苦しい男って嫌いなの」

「かぁー。つくづくいい女だぁ。おいソルトぉ、こいつは逃がしちゃいけね上玉だぜぇ」

「言われなくても」


 轟雷に笑い、ゾドワナも立ち上がる。


 灰色に煌めく大外套は狼の毛皮だろうか。これで一頭であれば怪物と呼んで差し支えない大きさだ。


 中には見慣れない材質の甲冑を着こんでいるが、帷子を内から筋肉が張り上げているようで、岩石と相対しているような重厚感。


 腰元には空の鞘の他にもう一本吊っていて、こちらは柄からして金属製の長剣。反りのない直剣だが、肉の厚さが尋常でない。こんな重量物吊るしているだけでも精一杯なんてふるい手はざらだろう。


「悪いけどよぉ、一緒に来てくれや。なぁに、話がしたいだけだぜぇ」


 青鈍色の瞳は有無を言わさない。


 しかし、はいそうですかと付いていくほど我々も弄られるだけの弱者ではないと知らしめねば。


「そちらに有利な場所へ誘い込まれでもしたら大変ですから。お断りいたします」

「おーん、それじゃあこいつでどうだ? テオドーラって知ってるよなぁ」


 したり顔でゾドワナはにやけ、こちらの出方を伺っている様子もない。


「奴からよぉ、言付けだ。著書は読んでいただけましたか、だと」


 大外套を大げさにはためかせゾドワナは歩き出した。何も言わずともついてくるだろと言いたげな態度だが、仕方がない。


 もともとの予定もテオドーラを探すところから始めるつもりだったから、好都合ともいえた。





【”Sleeping Talk”】

 タードラッド河の息遣い――テオドーラ・ラッカーセルマン著――

 『永劫より命を運んだ河の、その周囲に息づく微かなささやきに耳を傾けると、なるほど面白い』から書き出される書物。

 タードラッド河流域にまつわる様々な小噺を五十話以上集めたもので、生活様式や文化、思考、寓話まで幅広い内容を取り扱っている。







 入り組んだ長屋と天幕の迷路を進み、案内されたのは他よりも少しだけ小綺麗な長屋。近場の小道にはむやみに天幕が張られておらず、柱の歪みなどを矯正した日焼け跡のある建物は周囲の襤褸屋よりはマシな建物だった。


 ただし、マシと言うだけで粗末には変わりない。


 地域を支配する一党の頭目が住んでいるとは到底思えないそこは、こういった話し合いをするために設けられた、言わば迎賓館とでも言いたいのだろうか。


「すまねえなぁ。襤褸だがよ、手入れだけはしてんだぜ、これでもよぉ」


 部屋の中に物はほとんどなく、寝台と椅子が所在なさ気に置かれている。


 あとは枝が数本張った太い幹が一本地面に埋め込まれていた。そこへ本体が砕けてしまった空の鞘が掛けられたので、剣や甲冑を掛けておくためのものとでも言いたいのだろうか。


「それで、ここまで連れてきておいて話とは何かしら。あまり長居したいと思える場所ではなくってよ」

「美人のねーちゃんも、だんまりのねーちゃんも、お呼びじゃねえんだけどなぁ。ソルトぉがよ、寂しいっつうならって仕方なくついてくんの許してるんだぜぇ」

「あら、こんな美人を二人、あんな危ない場所へ置いて行くつもりだったのかしら? 最低なのだけれど」

「うーん。――言い合いで女に勝てるとは思ってねぇけどよ。って、ソルトぉ、こうしてみると、お前ぁ実は女だったりしねぇよなぁ」


 私の全身をじろじろと見下ろすゾドワナ。


 子供だからと馬鹿にされるのも癪だが、これはもっと癪に障る。

 

「私は――」

「ちゃんとついているわ。ほら、無駄口叩いていないで、本題に入って欲しいのだけれど」

「がっはっは。おーし、まどろっこしいのは無しだぁ。だが、まぁ座れや」


 寝台がごきごきと嫌な音を立ててゾドワナを受け止める。壊れないのが不思議なくらいだが、座れと言われても椅子が一脚しかない。


 見返すならここか。


積もりて組み上がれラケンターミネンリッサーボイマーサンマルマー


 淡いホルドの輝きが暗い屋内を照らし、土塊の椅子を二脚組み上げていった。


「ソルト、少し性急に過ぎたわね」

「おい、可愛い声してんじゃねぇかよぁ、だんまりのねーちゃん」

「仕方がない。こういうのは場数だよ」

「無視とは嫌われたもんだねぇ。その通りだけどなぁ。まぁ、前情報はあれど、ソルトぉ。お前が本当に語り手かどうか知りたかっただけなんだぜぇ」

「……ごめん二人とも」


 言われれば、たしかにこちらの優位をわざわざひけらかすことはなかった。


 相手の流れに乗せられないように、常に初動を意識して。冷静になれ私。


「若ぇってのはいいもんだなぁ、おい。まぁ、これからどんどん学んでいけや。そうやって努力を惜しまねぇやつは俺好みだぁ」


 私が組み上げた椅子をポフとニルへ譲り、もともと置いてあった古い木製の椅子へ腰かける。


「よし、早速だぁ。テオドーラ・ラッカーセルマンから気にかけておけって言われてすぐに、西ジレジガリテ自由帝国から手配の掛かったソルトぉよ。お前、なにもんだ?」


 黒色の癖毛を撫でつけるように首を鳴らし、これまでよりも何倍も強い圧を吐き出しながら、ゾドワナは私の目を真っすぐに睨みつけて来た。


 そんなものないはずなのに、首筋へ刃を突き立てられたように背筋が少し震えた。


「何者もなにも、私はソルト。ヨーレンの息子で、少し前まで塩の森の小屋に住んでいました。それ以上でも、それ以下でもありませんよ」


 ちらりとニルに視線を向ける。座って早々に煙草を吸い始めるあたり、その堂に入った姿にブレはない。


「その年くらいまで育っててぇ、どこにも属さない語り手は珍しいってのはぁ、理解してるかぁ?」

「……ええ。十分に理解しているつもりでした」

「だろうなぁ。だからぁ帝国に追われる身になってるんだよなぁ。えらい剣幕だったぜぇ、帝国の将校さんがよぉ」

「実際に経験しなければいけないと思ったもので。井の中の蛙という言葉をご存じで?」


 頬杖をついて上体を屈めたゾドワナは、にやぁと浅黒い肌を歪ませた。


「いいことだなぁ、おい。殺しも女も経験しなきゃわからねぇ。それと帝国に喧嘩吹っ掛けるのが一緒たぁ、ソルトぉ、最高かよお前ぁよ」

「下品な人」


 剣の柄に手をかけたままのポフはいつもより仄暗く見える真っ赤な瞳を細めている。首の周りの毛が心なしか逆立っているようだ。


「それでぇよ。俺ぁどっちにしようか迷ってんだよぉ、ソルトぉ」


 たとえ首元に刃を突き付けられたとしても微動だにしなさそうな大男は、ポフの手元にも、ニルの吐き出す紫煙にも目もくれず、まっすぐに私を睨みつける。


「帝国に引き渡してぇ、小遣い貰うか。テオドーラに恩売って、帝国に睨まれるか」


 今この場で殺しちまって、全部なかったことにしてもいいかもなぁ、と言った。

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