願いを叶えるには。

 談笑というには些か剣呑に過ぎる会談はゾドワナの心底から楽しそうな笑い声と、ひたすらに嫌悪を示すポフ、色々吹っ切れて状況を楽しみながら煙草を吹かすニル。


 そしてどうしたもんかと思案する私という、混迷の様相を呈していた。


「利益の話でよぉ。俺ぁ一番大切なもんが決まってんだぁな。だから、そこが一番得するにはどうすりゃいいかって考えるわけだぁ。


 テオドーラにはデカい借りがあるし、今後も仲良しこよしでやってきてぇ。


 帝国は気に入らねぇが、やり方に文句はねぇ。強者が弱者を弄ぶのは権利みてぇなもんだ。それに抗う術がねえ方が悪ぃ。


 そんで今はまだちぃと時期が悪ぃ。どでかく動くにはしっかりと屈みこまねぇとな。


 ――でぇよ、ソルトぉ。お前にゃ何がある?」


 難しい質問だ。私はそう思った。


 ポフにでも、ニルにでもなく、私自身へ問いかけるゾドワナは、押し黙る私を急かすことはしなかった。


 本当にただ聞きたいのだろう。私が示すことのできる利益というやつを。



 私が示すことのできる利益とはなんだ。語り手としての力か。殺し合いの技術か。

 

 これといった財も、大きな後ろ盾もない私がもたらす利益など、この巨大な集団と化している無法地域にどれほどの影響をも与えないだろう。


 であれば何だ。


 考えろ。


 そうだ、ゾドワナは言った。一番大切な物はもう決まっていると。それはゾドワナ自身の軸であり、ぶれないための柱なのだろう。そこさえ動かさなければ、周りがどれほど動いても倒壊することはない。


 でもそれは、今はまだこのボロボロの長屋のようなものだ。


 果たして本当にそれでいいのだろうか。周りに引きずられていつか柱が折れてしまうかもしれない。真綿を絞めるようにゆっくりと、だが着実に蝕まれていけば気づかぬうちに足元が無くなっているかもしれない。


 打ち捨ての国では不完全だ。現に、今ゾドワナアルカンは帝国の脅威に晒されかけている。


 これまではお目溢しとして、緩衝地帯として生かされていた。もっといえば敵とさえ認識されていない、耳元を煩わせなければ見落とされる羽虫のようなものだったのかもしれない。


 守るための強大な力を、さらに言えば守る必要のない安寧をもたらすことこそが、その本願足りえる。


 では、私の柱は。ぶれることのない絶対的な大黒柱は。


 それは私たちの願いだ。


 あの心から優しさで満ち溢れたヨーレンが、烈火の如く私を鍛え抜いたのは、生きるための力を与えたかったからだ。優しさだけでは自分自身をも守ることなどできない。


 こうして広い世界に出てみれば、私自身の命を守る術はある。たった一人でどこまでも孤独に生きていく分には問題ない力を得ていると実感できる。


 だけど現実はどうだ。


 空想する理想は程遠く、何をどうやれば語り手とふるい手が手を取り合う調和のとれた世界が訪れるか、皆目見当もつかない。


 森の中で過ごした穏やかな生活を。ジレジガリテ自由帝国へ踏み込んで見聞きしたことを。国を捨てて薄汚れてもなお活気に満ちたこの場所を。


 思っていたものとは全く違い、本で得た知識だけでは不完全だった。


 まだ、足りていない。必要な力が、必要な知識が、必要な何かが。


 私はまだ探さねばならない。


 この場にとどまって打ち捨ての国を守るために尽力はできない。


 そうか。であれば押し通すべきは私の願い。


 ゾドワナへ利益をもたらす意味は、今はまだない。



「腹ぁ決まった顔になったなぁ。女みてぇな顔だったが、今なら悪くねぇ面だ」


「ええ。――残念ながら、私があなたたちへもたらすことのできる利益はありません。早急にこの場を立ち去ることにします」

「そりゃできねぇ相談だなぁ、って言ったら?」

「押し通るまで。そもそも、あなた方が私になんの利益も示せていない。今この場であなたを殺して、来る者拒まず皆殺しにしていけば、いつか旅立つことが叶うでしょう」


 沈黙。


 満ちる空気に重さなどありはしないはずなのに、両肩に圧し掛かる重みは何からできているのだろうか。


「かっかっか。そうかい。その答ぇ、気に入ったぜぇ。俺ぁまだ殺されるわけにゃいかねえが、ソルトぉ、お前を止める術も俺にゃねえな」


 ゾドワナの態度にか、私の決断にか判断できないが、こめかみを抑えながらポフが言う。


「――それで、帝国にはなんと答えるのかしら。すでに密偵が潜り込んでいると思うのだけれど」


 帝国のやり方に明るいポフの言うことは間違いないだろう。


 この無法地域を信用するなど、帝国の考えには絶対にそぐわない。釘を刺しつつ、自分たちでも独自に動いているはずだ。


 ゾドワナ自身が動いたことで良くも悪くも目立っている今、情報が抜けて行っているのは間違いない。


「いいんだよぉ。帝国兵が来たら返り討ちだぁ。いいかぁ?」


 国に嫌気がさして逃げてくんのが弱者ばかりとは限らねぇんだぜ、と楽しそうにゾドワナは言った。


「それでも、来ているのはほぼ間違いなくユヒナムの語り手よ」

「ユヒナムの語り手?」

「ええ。南ユヒダイ連盟国が、王国と帝国の狭間で生き残るために差し出している語り手の戦闘奴隷とでもいえばいいかしら。その奴隷家系の者を総じてユヒナムと呼んでいるのだけれど。ソルト君を打ち取るつもりなら、間違いなく連れてきているわね」


 赤色の瞳が大きく揺れている。語り手を狩るための亜人部隊として飼われていたと表現するポフは、そのユヒナムという存在にも思うところがあるのだろう。


 それに、語り手の戦闘奴隷。そんな存在がいるというのも初めて知った。


 世界は今だ広い。


「それならよぉ。交換条件だぁな、おい」


 どかっと両膝を叩き、落雷のように笑ったゾドワナが「賊のフリしてぇ、帝国の野営地に押し込み強盗かますからよぉ、手ぇ貸してくれや。報酬は旅に必要な物全てと騎獣でどうだぁ? こっからの旅ににゃ必要だろうぜぇ」と、出会ったなかで一番楽しそうな笑顔を浮かべた。


 御伽噺に出てくる鬼はゾドワナのような存在を見た人が考えついたんだろうな、と失礼ながら思ってしまった。





【”Sleeping Talk”】

 南ユヒダイ連盟国。

 デルエル山の南方平野を根拠とする、旧アルヴィフォルダン大帝国崩壊時に分裂した小さな国が連盟して維持する国家群の総称。

 ユウナングラリカ王国、東西ジレジガリテ自由帝国に挟まれる形で存在し、その存続のため両国に対し戦闘兵器としての語り手を輸出するという国策で生き残っている。輸出された語り手をユヒナムと呼び、帝国では蔑視の対象とされている。







「作戦はこうだぜぇ。


 神様には悪いがぁ、まずぁ寝静まった後に行動開始だぁ。


 騎獣二十頭で突撃かましてよぉ、驚いた帝国兵を撫で斬りだぁな。そしたらよぉ、野営地に火ぃ放って、金目のものあるだけ頂いて退散だぜぇ。


 語り手が出てきたら、そこはおめぇ先生の登場だぁ。語り手が無法者組織して賊やってるってぇ寸法よ」


「あなた頭の中は何でできているのかしら?」

「知らねぇな。だから、俺ぁ学のあるやつが好きだぜぇ。俺にゃねえ発想で色々やってくれるからよぉ。だがな、武装した兵隊に喧嘩売るなんてアホはよう、それくらい頭が悪ぃ奴らって相場が決まってんだ。じゃなけりゃ、ゾドワナアルカンは知らぬ存ぜぬと白を切り通せねぇだろうがよぉ」


「それだけ普段はうまく立ち回っていると?」


 自慢じゃねぇがな、と言ったゾドワナは唐突に切り出した作戦内容を近場の男に伝えた。


 小走りですぐに消えた男を尻目に、あきれ顔のポフが私を見た。


「ソルト君、本当にこんなお粗末な作戦に参加する気なのかしら」

「そう、ですね。……それに、私以外の語り手を見たことがないから、この機会にと思って」

「呆れた。――まぁいいわ好きにしなさいな」


 と言いつつ、騎獣に乗ったことのない私のためについてきてくれるというポフ。


 ニルは役に立たないからと旅荷物を見繕いがてら留守番するという。


 ここでお別れと考えていたが思うことでもあるのだろうか、私たちと今しばらく行動を共にするつもりでいるようだった。少しだけ寂しいなんて口が裂けても言わないが、もう少し一緒にいられるならそれは何よりだ。


「それじゃあよぉ、お揃いの衣装と騎獣を用意するからなぁ、ソルトぉ。美人のねぇちゃんに寝かしつけてもらいなぁ。夜中に動くんはぁよ、結構疲れるぜぇ」

「お揃いの衣装?」

「なんでぇ、そこに反応すんのかぃ。みんなで暴れるなら、丁度いい衣装があんだろうがぁよ。まぁ、楽しみにしてなぁ」


 かっかっか、と見上げるほどの大男は子供のように屈託ない笑顔を浮かべた。

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