くらいよくらいよどこまでも。

 パンッと手を叩く。音はそれなりに反響し、水の流れる音と暗闇に消えていった。

 

 両手を広げても届かないくらいの太さがある下水道。直近で脇道のような構造はなさそうなので視界が塞がれていても問題はなさそうだけど。


 小枝をホルドの円環で包む。仄かな光が周囲をわずかに照らした。遊走するホルドをもう少し集めて円環に閉じ込めればもっと明るくできるけど、進めるだけの光があればよしと言うことにする。


 流石に下水道の中にまで敵が待ち構えているということは無かった。


 周囲の殺気だった気配から言えば、建物周辺に詰めていた兵隊がナナさんの呼びかけか何かで集まってきたのだろう。よく訓練された、悪く言えば訓練通りの動きしかできないところを見るに、語り手との実戦経験は浅いのかもしれない。


 ふと呼吸をすると涙が噴き出してきた。


 すぐにいかれた鼻とは対照的な反応だ。臭覚がおかしくなると美味しい物も味わえなくなると聞くし、さっさとここを出ることにしよう。


 飛沫が散る嫌な音を聞きながら駆け出した。




「抜けたッ!」


 どれくらい走っただろうか。複雑な分岐があったり、用途不明の深い大穴が開いている場所があったりしたが、何とか外へ出ることができた。


 あー早く洗い流したい。


「ね、ナナさん!」


「なにがね、よ。……本当に」


 下水道の出口はそれほどたくさんは無いのだろう。それでも部隊を分散させたのか、十数人規模程度の兵士が一定の間隔を開けて展開していた。


 一撃で全滅しないように、かつ面で圧殺するように。数に物を言わせた暴力をお見舞いする陣形というやつで、語り手を殺す手法の一つ。


 その中にナナさんを見つけた。


「まったく。わたし、運ってやつにとことん見放されているのね」


 綺麗な筋書きはもう書けない。


 誰かの願いの数だけ、誰かの努力は打ち砕かれる。


 誰かの努力の数だけ、誰かの希望が崩れ去る。


 だから足掻く。


 願い、努力し、希望を持ち続けた者だけがわずかにその頂に指をかける権利を得られるのだから。


「私の名はソルト。――ソルト・アルヴィゴース」

「兎人大隊第一適応部隊所属、階差番号七三。ごめんなさい、名乗れる名は持ち合わせていないの」

「……今更だけど、聞きたいことが増えました」

「あら、私はないのだけれど。生きていられたら聞いてあげるわ」


 手にした直剣が閃いて前列に展開するナナさんたちが駆け出し、後列は包囲するように斜めに広がりながら円を絞るように接近してきた。


 大円盾を構え、まずは左方へ突っ込む。地形的にも若干の下り勾配になっていてこちらが有利だ。


小枝へ貫く力をサンマルマーリテルマ


 細く鋭く、そして自由に長く。


 最接近した敵が身体能力に物を言わせた低い姿勢から袈裟に切り上げる剣を盾でいなす。


 重い、重い一撃が鈍い音を響かせて予定通りに盾を弾かせ、翻った瞬間に敵の内股へ小枝を突き込む。手応えは血飛沫に変わった。


 残身の流れで回転し、もんどりうつ敵の体を飛び越える。そのままもう二刺し。


 攻撃範囲は想像のままに。しかし、適度な強度を維持するために、世界に違和感を感じさせないために最低限の長さを確保する。


 左方を崩し、正面の敵へ。盾の重さを利用した急旋回を見ていたせいか接近へ若干のためらいがあった。右方と後方へ展開した仲間との息を合わせようとしたのだろう。


 迷った時点でもう遅い。


 一歩間合いを詰めると同時に動きの悪い足回りを一刺し。致命傷には程遠いが、動きが鈍るだけでも十分だ。倒れ込む敵を中心にして敵の飛び掛かりを防ぎつつ囲いを脱出する。


「動きが良すぎじゃないかしらッ!」


 悶える仲間を一瞥し、包囲網を抜かれたナナさんたちが再集結する。


 脚力勝負では私に勝ち目がないのでここで全滅させるしかないことを理解しているのだろう。焦って攻めて来てくれたほうがいくらもマシだったのだが。


「そちらは大したことないな」

「本当に生意気」


 下水の染みた嫌な臭いがする地面はぬかるみ、草木が生えていないせいで脆い。機動力を武器とするには不安の大きな足場では満足に戦えないだろう。


 煽って煽って、焦りや苛立ちから単調な動きでもしてくれればさらに良い。


「死んでしまっても埋めている暇は無いですし、こんな臭いところに骸を晒すのはいじゃないですか?」

「――大丈夫よ。わたしたちには大隊かぞくがいるから」

「向かってこないでくれれば素直に立ち去るだけなんですけど」

「それは無理よ。大隊長かぞくの命令なんだもの」


 陰りの一つも見えない表情は敵全員に一致している。覚悟が決まっているという話ではないようだ。


 薬の使用。精神の支配。折檻と甘言による反抗心の欠落。どれもが印象に合わない。


 完全に決まった覚悟に見て取れるのはこの道しかないという諦めのようなもの。


「それでは死にたい人からどうぞ」


 どっちにしろできることは一つしかない。





【”Sleeping Talk”】

 戦う前の名乗りは敵手への礼儀の他に、この戦いを神様に見て欲しいという宣言でもある。

 興味を持ってもらえれば世界は明るく微笑み返してくれるが、興味も湧かない児戯であればあっという間に宵闇が訪れることだろう。






 団栗色の髪に鮮血を滴らせ、浅緑色の瞳を獰猛な笑顔に歪める少年が、つい先日までの印象と全く合わない。


 買い食いをして頬につけたタレを拭ってやった柔らかさが。小物を取り落としそうになって、何とか受け止めた時の焦った表情が。ふとした休憩で、買ってあげた本を読む姿が。


 どれもが似合っていた少年が、今恐ろしい怪物のように振舞っている。


 攻撃を仕掛けた仲間はみんな深手を負わされているけれど、明らかに致命傷ではない。急いで手当すれば助けられるかもしれない。


 つまり手を抜かれている。


 そもそもが語り手を相手にするには少ない数だけれど、それでも傷の一つや二つ負わせていても不思議ではない訓練を受けて来た。


 そうして周囲の仲間が到着し、傷が増え、動きが鈍り、いつしか敵は打ち取られる。語り手という化け物を狩るための使い古された犠牲ありきの手法。


 なのに、傷どころかホルド被膜へ刃を立てた者さえいない。


 立ち回り方、盾での攻撃の捌き方、極めて少ないホルドを有効活用した局所的な攻撃のし方。どれもがわたしたちを赤子のようにひねっていく。


 本当に運が無い。


 仄暗くきらめくホルドが死を目の前に運んで来たみたい。



 作戦指揮を執る仲間の合図を元にわたしは走り出す。説得がまだ有効であったなら、と声掛けに終始していたがそれも終わり。


 一撃でも加えなければわたしたちのこの行動はなんの価値も示せなかったということになる。


 仲間のうめく声が遠のいていく。


 柔らかい地面がわたしたちを笑っているように踏み出す一歩を重く鈍くしていく。


 それでも粘り強く進むしかない。わたしたちの価値は前進にしかない。


 まず最接近した二人が左右から同時に剣を振るう。


 語り手のホルド被膜を剥ぐことができるのはいまだ神の物である鋼のみ。だから愚直に剣を振って来た。訓練で大けがをして廃人になってしまった仲間もいた。それでも振り続けた刃は、少年の体を覆うような大盾によって軌道を逸らされる。


 その勢いを利用され、泳いだ体が仲間の進路を塞ぐ。本当に戦いなれている。多対一を全く物ともしない。


 次撃を加える時間がほんのわずかに遅れただけで体制を整えられ迎撃される。


 だからわたしは仲間の背を追って行く。


 倒される仲間の捨て身の攻撃を拾い上げながら、どこかの時点でほころびを生み出せるように。そのほころびで一撃を加えるために。


 来たッ!


 石でも踏み抜いたのか、少年の足が泳ぎ仲間の一撃が大盾を弾く。無理な姿勢から繰り出した一撃によって無防備になった小さな体が目の前に差し出された。


 両手を広げた姿は私を抱擁でもしてくれようとしているみたい。


 視線が交錯し、逡巡が伺える。


 ここまで来てまだ何か考えている様子の少年が憎たらしい。


 どこまで手を抜くつもりかと。


 渾身の一歩を踏み出して、下から斜め上に切っ先を突き出す。


 吸い込まれるように少年の腹部へ向かって。





*****





「しまッ!」


 た、と言う暇無く。目の間にナナさんが居た。


 完全に無防備な姿を晒した瞬間に相対するのが彼女とは、落ちる気配のない日の光が神様の興味をそそってしまったことを如実に知らしめる。


 嫌な巡りあわせはどうしようもない。


 何もかもを望むことなんてできないのだから。


 大円盾も剝がれてしまい、小枝を振るうには間隔が足りない。


 無いから仕方ない。私は靴底へ意識を向ける。ホルドを手繰り、低出力ながら瞬間的に地面へ向けて放出した。


 すっと、氷の上でも滑るように体が流れる。遊走するホルドがもっと潤沢であれば水面を走る船よりも素早く移動できる自慢の技も、語り手殺しの街の造りに影響されて瞬く間しか維持できなかった。


 しかし効果は絶大だ。


 ここまで一度だって見せてもいなかったのだから、ナナさんが対処できるはずもなく。驚愕の視線と空を切る刃が目の前を通り過ぎる。


 体が後ろへ倒れかけているので、左方へ流してと盾を構えなおした時ナナさんの裏から大上段の構えが覗く。


 軌道はナナさんごと私を叩き切るつもりのようだった。


 選択しなければならない。


「クソガアアアアアアッ!」


 私は小枝へ集めたホルドを開放する。


 円環が瞬き岩をも貫く力が閃く。


 ナナさんの腹部を通り抜け、そのまま後ろの敵へ吸い込まれる。


 生暖かい。嫌になる。


 機動力優先のためか、装甲の薄い防具しか身に着けていなかったよで、柔らかい重みに押しつぶされた。


 すぐに脇へナナさんを払い落し、後方で息も絶え絶えにこちらをにらむ顔と目が合う。


 ここまでしても届かないかと、憎悪に近い瞳が燃えているようだ。


 だが、しっかりと敵の心臓を貫いた。十分な手応えはすぐに答えをくれる。


 ことりと糸が切れたように頭が落ちて、もう動くことは無かった。


 動ける敵はそいつが最後だった。


「ナナさん」


 半分もたれ掛かるようにして、私を抑えているつもりなのか。


 ナナさんはうっすらと目を開けた。


「これでも届かないのね」

「最後のは本当に嫌になる後味でしたよ」

「……もともとの作戦、よ。最後の最後は油断するものでしょ?」

「ですね。でも油断の前がまずかった」


 ええ、そうね。と口元だけ歪めてナナさんは笑った。そして大きくせき込んで血の塊を吐き出した。


「運が悪いのよ……わたし」


 目を閉じて、体から力が急速に失われていく。とめどなく流れる血が、その勢いを失うのは流れ出すものが無くなって来た証だ。


 でも、ひとつわかったことがある。


「最後に提案なんですけど。帝国を裏切る気はありますか?」

「元々……信じてないと、裏切れないでしょ?」


 もう目は開かない。言葉が息と一緒に吐き出されて重く沈んでいく。


「じゃあ、いいですよね」


 命の気配が全くない臭い地面へ私は小枝を突き立てる。


 ヨーレンが拾い、幼少の私へ与えてくれた小枝だ。それからずっと枯れないようにホルドを手繰って維持し続けて来た。


 今、大地へ帰った小枝が、嬉々として眠るホルドを吸い上げる。


 私の背丈を超え急速に巨木へと育った小枝に手をついて、大地から吸い尽くしたホルドを、今度は私が奪い取った。


 眩いホルドの煌めきは周囲を震わせるように甲高く鳴いている。


この者が魂に刻んだ形を呼び覚ませラケンターミネン・イッソーイッソートゥリッ!」


 ナナさんの体が細かく震える。世界をだますどころの騒ぎではない。根底から覆し、死するべき者の肉体を魂で象って戻す。


 穿たれた腹部がその瞬間を切り取って、飛び出していった物が逆回しに押し込められていく。


 直視していることそのものが禁忌のような光景で、見てはいけないという忌避感だけが募っていく。


 けれど成った。


 さらけ出された生々しい白い肌にはほんのりと朱が乗り、大きく息を吸い込む音がやけにはっきりと聞こえる。


 目が開いた。

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