市場には普通の暮らしの始まりの香りがする。
状況報告 五日目
朝食は提供物を完食。味付けが同じため若干飽きを感じている様子。自分で支払うので外に食べに行かないかと提案を受ける。味付けの変更をお願いすると伝えた。
効果については十二分に出てきている様子で、午後近くなってくると食事したがっていることが伺える。昼食は変わらず街の飲食店を回っているが、夕食は帰宅後に提供物を食べている。
睡眠はかなり規則正しく継続している。照明等用意させる旨伝えたが、不要とのこと。起床時間も概ね日の出に合わせている様子で、遮光布は使用していない。布団が柔らかすぎて寝心地が悪いと言っていた。
その他特記事項、特になし。
*****
「市場?」
「はい。ダメですか、七三」
「ダメってことはないのだけれど。祭事でも無いし、在り来たりな場所だと思うわよ?」
それでもと言うソルト君はここ数日で街にもわたしにも慣れた様子を見せている。
団栗色の髪の毛をいじりながら、十代前半と思われる中性的な風貌をわたしに向けて無邪気に笑う。
その姿に内心の苛立ちを抑え、努めて平静を装うと次の言葉を考えながら喋る。
幸いにして兄弟姉妹が多いわたしからすると年下の相手は慣れた物だったから、普段と変わらない態度に少し余所行きを混ぜるだけで対応できた。
「市場で何か買いたい物でもあるのかしら?」
敵情視察にしてはこんな辺境の街を見ても仕方が無いし、偏った知識や素直すぎる反応から、あくまでも在野で新しく生まれた語り手ではないかという推測がもっぱら上の見解らしい。
どちらかと言えば取り込む方向で話が進んでいるので、下手に反感を買わないように希望をできるだけ叶える方針で動いていた。
希望が叶えば嬉々とする子供らしい可愛げのある態度も相まって、今のところ接しやすくやり易い。
「買い物したいというよりは、見て回りたいという感じです。どんなものが売ってるのかな。どんなやり取りがあるのかなって」
「わかったわ。それじゃあ、北の市場に行ってみましょう。ソルト君が乗って来たという商船が停泊する入港口のそばよ」
「おお! それじゃあ準備しますね」
「歩き回るから荷物はほどほどにね」
はーいと返事をして、ここ数日ですっかり慣れた室内を目線を外しながら進んで行ったソルト君が扉の影に姿を消す。
やんわりと、しかし何度も盾は置いて行こうと伝えたが、これだけは頑なに否を返し続けてくる。明らかに薫陶を受けた形跡だ。しかも優れた人物からの薫陶であることがわかる。
敵か味方かもわからないならまだわかるが、味方のように感じられる相手を前にしても最後の油断はしない。
命を守る道具は絶対に手放さないし、手放すときも置く位置等を絶対に吟味している。一朝一夕にできることではないし、危険だらけの世の中とはいえ年を考えると異常すぎるくらいだ。
まあ、語り手であることを考慮すると、なぜ体格に見合わない大盾なのだという疑問は残る。
自身のホルド被膜でたいていの物理攻撃をいなすことができ、遠中距離戦において無類の強さを誇る語り手への知識が大きな違和感をひしひしと伝えてきた。
語り手を徹底的に弱体化するために設計されたジレジガリテ自由帝国の新造都市だから、市街地戦になれば身を守る術を増やすという意味では盾が必要なのかもしれない。
しかし、古ぼけて使い込まれた跡といい、どこかで見たことがある気がしても帝国内の装飾とは違う意匠の盾は、潜入のためだけに用意したようには見えない。
だめだ。余計な考えは捨てよう。
全てを丁寧に報告し、できる限り全てを詳らかにし、
でなければ、わたしの居場所が無くなってしまうのだから。
*****
市場はやはり代り映えしないわね。
大箱に詰められた荷物が船から降ろされ、荷役が運び、各商人が自らの卸先と取引する。市を立てる人が街が作った上物の中で店を広げ、人々が日常の生活を流す場所。
特に、タードラッド河は東西ジレジガリテ自由帝国からすれば辺境の河でしかない。
専ら西端のユウナングラリカ王国と仮想敵国の極東フェメル湖国が中央海を介して貿易に使っているくらいで、帝国からすれば通行関税を取るために停泊させているのがほとんどの目的のはず。
あとは東西ジレジガリテ横断河から中央海を通って北部の街へ物資を運ぶ帝国の船がいるくらいかしら。それも安全を考えると陸路のほうが良くて、素早く大量の物資を運びたいときに使うだけ。
珍しい品はほぼ無い。ありふれた日常の一部が並んでいる。
「七三は普段どんな物を買っていますか?」
番号をぎこちなく呼ばれ、条件反射的に答える。
「隊舎で生活しているから、市場で買い物はしたことがないのよ」
丁寧な口調に似合わないその扱いに亜人への偏見が含まれていないのがどうにも解せないが、いまさら訂正も変な気がしてそのまま流す。
「部隊に入る前は? お使いとか、私は結構大変な思いをしてやらされてましたよ。金銭感覚を養うことは重要だって怒られながら」
「生まれた時から軍属だったのよ。物資は支給される物だったし、そもそも隊舎周辺は何にもないところだったからね」
「ええ!? それは、辛くないですか」
世話しなく右往左往させていた浅緑色の瞳が、フードの隙間からしっかりとわたしの目を捉える。照れたように反らせるでもなく、何かを誤魔化すために泳がせるでもない。抗いがたい視線の暴力。
怒られながら、大変な思いをしながらと、嬉々として語っていたわりに何を辛気臭い表情になっているのやら。
大変なことはやらなくて済むならやらないに越したことはないはずで。それは他の大変なこととは混ざり合うことはないはずで。
「辛いなんてことはないわ。だって、わたしたちは貴重な戦力で、国防の要だもの。買い物なんて日常の雑事にかまけていたら帝国は維持できないのよ」
少し余計なことを言い過ぎたと思いつつ、こんな子供相手に何を言っているのやらと思いつつ、一人で強者足る語り手が何を言っているのだと憤る。
語り手を狩るためには人の身では儚すぎる。だからわたしたちは今だに維持されている。今、大事にされている。
言葉遊びはやめよう。余計な雑念になってしまうもの。
「じゃあ今日のお昼は市場で何か買って、作ります。こう見えても料理は得意なんですよ。ヨーレンに良く褒められました」
「それは楽しみね」
「腕によりをかけますよ」
「ふふ。自信ありって顔してるわね」
滑稽に見えるくらい自信を漲らせて、ソルト君は足取りを早めた。
なんだかこうして見ていると疑ってかかるのがばからしくなってしまう。家族に伝えてしまったらそれこそ折檻では済まないけれど、そう思えてならない。
野菜を手に取り、腸詰肉の中身を確認したり、香辛料の名前を尋ねたり、楽しそうに買い物をしている姿は平和だった。
そこにわたしが混ざっていて、一緒になってあーだこーだと語る。本当にばからしい。滑稽で、今まで感じたことのない羞恥。
でも、普通の人の平和でありきたりで詰まらない日常の暮らしの香りがした。
【”Sleeping Talk”】
亜人。語り手の横暴に対抗するために産み出された人造生命の末裔。その身体には別種の生物の特性が取り込まれており、総じて頑強な肉体と人特有の知性を持つ。
繁殖力が強く俊敏な体を持つ兎人、再生する四肢に鋼を曲げる膂力を持つ有尾人、大空を自由に支配する大鳥人などが有名。
ナナさんがとても楽しそうに玉ねぎを手に取った。
動物に玉ねぎを食べさせると死んでしまうと聞いたことがあったけど、亜人はどうなのだろう。
なんとなく聞くには失礼な気がして、でももし食べられない物があったとして、言いにくくてつい食べてしまったなんて間違いが起こって欲しくはない。
注文していた料理の内容を思い出しつつ、調理済みの物からなんとなくで察するのは記憶というのも相まって難しすぎたと後悔し、うんうん悩んでいると見かねたのかナナさんが「大丈夫ですか?」と言ってきた。
「ナナさんは食べられない物ってありますか?」
ああ、と合点がいったようで、朗らかな笑みが浮かんだ。
「あまり凝ったものは食べないけれど、好き嫌いはないわよ」
「あー、というよりかは……」
「ん? ごめんなさいね。分かりやすく教えてくれるかしら」
「体質的に? 食べると調子を崩してしまうような物ってありますか?」
きょとんと間をおいて、ナナさんは「特にないわね」と短く答えた。
「そうですか。いやー聞いてよかったです。ほら、動物って玉ねぎ食べると死んじゃうって聞くじゃないですか。そういうのってあるのかなーなんて思っちゃったら心配で、心配で」
「そう。――心配してくれてありがとうね」
笑顔につられて笑い返すと、満足したのかナナさんは野菜の選別に戻った。玉ねぎも平然と鷲掴みにして、重さがとか形がとかを見比べている。
店先に立つおばちゃんが少し嫌そうに、でも冷やかしはごめんだと追い払われることは無く、一緒になって選んでくれた。
なんだかんだと言いながらも買い物を続けて行く。
神様が腹が減ったと急かさない限り、日が一番高いところに昇るにはもう少しかかりそうだった。
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