ラーフッテンの街。
「年端もいかない少年の語り手が、ふらりと一人で現れる。珍しい事件に立ち合い、かの少年の動向を探る。熟練の適応部隊員よりも年の近そうなお前を使えとの上からの命令がなければ、さすがにあり得ない人選です」
「はい。大隊長」
「いいですね、所属番号七三。対イェルフェンフリート戦に向けた戦力を拡張したいのが上の狙いでしょう。が、複雑に考える必要はありません。戦力になるのであれば篭絡し、敵であれば警戒し、逃げようとするのであれば始末する。内容はとても簡単なことです。できますね?」
「はい。ご命令のままに」
「よろしい。――血のつながった家族よ、吉報を待っています」
*****
八日目、久しぶりの外は窓から差し込む光よりも薄暗かった。
「まずは宿となる施設へ向かいましょう。旅荷物を預けていただいて、それからお好きなところへ案内します」
「わかりましたナナさん。よろしくお願いします」
降り積もった雪のような肌を溶かさないようにか、つばの広いとんがり帽子をかぶったナナさんはゆっくりと歩き出す。上半身を覆うポンチョがその歩みに合わせて上下に揺れた。
ふとナナさんと目が合い微笑まれた。視線を感じたのだろうか。気まずくなって同行人の様子から目線を少しだけ上へ向ける。
私がいた場所は街を囲む外壁に設けられた一時待機施設だったらしく、行き交う人の数は疎らだ。
周りを見渡すと、太さのある道沿いには滑らかな砂を固めたような四角い建物が所せましと並び、その合間を縫うように細い道が無数に続いている。
なるほど、日の光が建物に遮られているからか。森のように、木々の隙間からのぞく光がないせいで薄暗いと感じたようだ。
「ナナさんは朝ごはんは食べましたか?」
「いえ。お腹が空きましたか?」
「いつも通りの朝食をいただいたので、満腹です。ただ、ナナさんが食べたのかな、と思いまして」
それなら心配無用です。とナナさんはわざわざ顔の向きを変えてにっこりと笑った。
首の周りに巻いている真っ白な毛皮が、よく似た真っ白な髪の毛と合わせてふわふわと動き、本当にうっすらと紅潮しているだけの頬を目立たせている。
なんだかその笑顔は見ていられなくて、街並みに目線を逃がした。
「宿泊施設はそれほど遠くありませんから。そしたら、まずはおいしいと評判の喫茶店でも……」
「ナナさん!」
「――はい?」
私は怪訝な表情でまたしても律儀に顔を向けてくれるナナさんへ言った。
「仕事だと思いますが、街にいる間はお世話になるんですから、そんな他人行儀な話し方やめてください。それに、たぶん私のほうが年下ですよね?」
少しだけ間をおいて、何事かを考えたナナさんは「――分かったわ。ソルト君がそのほうが良いなら。ただ、お姉さんにも畏まらなくていいのよ?」と小さく口元を緩ませた。
あっという間に着いた宿泊施設は小綺麗な一軒家だった。
外壁は周りと変わらない滑らかな砂を固めた物だったが、貴重な金属を加工して作られた門や窓枠の装飾など、細かいところが他と全く違った。
これで木や植物が周りにもっとたくさん植えられていたら、きっと居心地がよかっただろうに。
「やっぱりそれは背負っていくのかしら?」
部屋の中を見るのもそこそこに旅荷物を置いて、大円盾を担ぎなおしたところでナナさんに呼び止められた。
「すみません。手元に無いと落ち着かなくて」
街中でどんなことが起こるのかと言われそうだが、身を守る術を手放していいことなど無いとヨーレンには口を酸っぱくして言われたのを思い出す。
「構わないのだけれど。重くないの?」
「大丈夫です! それより、早く行きましょう。ここしばらく暇で、暇で」
「え、ええ。そうね、それじゃあ行きましょうか」
床材を半長靴でごつごつと鳴らして、浮かれているのなんて当然にばれているだろうから気にしないで、ナナさんでは開けられなかった重い扉をもう一度開けて。
しばらくぶりの解放感が背中に甘ったるい痺れを感じさせてくれた。
「実はわたしもラーフッテンには初めて来たから、とても楽しみなのよ?」
ベリーみたいな赤い瞳をにっこりと歪めて、くすくす鳴りそうな笑顔を浮かべながらナナさんが言う。
一緒に浮かれてくれるなら、それは嬉しい。
「まずは金の子牛亭ね。パイがおすすめのようだけれど、ソルト君はパイは好き?」
「嫌いな食べ物って思いつかないんですけどね。パイはもちろん大好きです」
「そう。それは良かったわ」
分厚い紙の束をナナさんが何度も見返し、行き交う人の流れをかわしながらたどり着いたお店は金の子牛亭。
出てきた黄金色のパイはさっくさくの、もっちもち。ナナさんが頼んだ野菜餡と私が頼んだ肉餡のパイを少しづつ交換して食べ比べたが、どちらも捨てがたいくらいに美味しかった。
店員さんは不愛想で嫌厭されているような感じだったけど、料理への自信で営業しているのだろう。そういう営業方針のお店なのだろうと納得した。
ナナさんの表情が曇っていたので、私は気にしていないし、むしろ好感が持てることを伝えるとやっと微笑む。
「それで、次にやりたいことはあるのかしら」
「街の中の様子を少し見て回りたいんですけど、いいですか?」
食べ終えた食器を脇にどかし、水の入ったコップを弄びながら何の気なしに店内を見渡している時で、気がそぞろだった。
だから、ナナさんの質問に街の様子を見たいと反射的に答えたのだけど、一瞬表情を曇らせるのは見落とさなかった。
「それじゃあ、恩赦広場を見に行きましょう。大きな噴水があって、綺麗なところみたいよ」
誤魔化すように笑顔を浮かべるわけでも、紛らわすように目線を逃がすわけでもなく、素知らぬ表情で目線をしっかり合わせたまま。ナナさんはゆったりと立ち上がり、店員へ向かって支払いを済ませに行く。
「お前亜人か。亜人の出すカネは信用できねえな。若い主人のようだからわからねえこともあるかもしれないが、お前はわかってんだろ?」
「彼はこの街の客人です。支払いはわたしが。騒ぎを大きくしていいことなどありませんよ」
「おう、凄んで見せるじゃねえか、ねえちゃん」
あまりにも不穏な会話過ぎて一気に意識がそちらへ持っていかれた。
「この手形で支払いは十二分にされることでしょう。黙って受け取るか、要らぬ被害を出してから受け取るか、今決めなさい」
「ケッ。でかい口叩きやがって。役人の亜人なら紋章を掲げておけや」
驚くほど剣呑に、悪意や害意をぶつけるような濁声で店の奥から現れた中年の男が宣う。
ナナさんの手からもぎ取るように板切れを奪うとすぐに出てきたところへ戻っていったが、少しの出来事なのにものすごく気分が悪くなった。
あれだけおいしいパイを出すお店で、評判がいいからとやって来た店で、こんなに気分が悪くなるとは思っていなかった。なのに、ナナさんは当然のように流してしまう。
さっきわずかに覗かせた曇天のような表情もない。慣れていると言っていい受け流し方だった。
「お騒がせしました」
「気にしないで、驚いただけですから」
もう色々と細かいことが有耶無耶になってしまった。
「ソルト君は亜人に偏見がないのかしら?」
「正直、ナナさんが亜人だって今知りましたから」
「ふーん? ま、早く行きましょう」
そう言うナナさんは分厚い紙の束を抱えてさっさと店を出て行ってしまう。
私も視線と聞こえるか聞こえないかくらいの悪意を目だけで追い、金の子牛亭を後にした。おいしい食事の余韻が台無しで、本当に悲しくなる。
扉から出てきた私を一瞥すると口元だけ笑顔に変えてナナさんは進んで行った。たぶん恩赦広場へ向かっているのだろう。
細かい路地には入らずに、大通りだけ選んで進んでいるようで移動は直線的だ。もうどこもかしこも滑らかな砂を固めて造られたような建物が理路整然と並んでいて、景色が本当に変わらない。
外壁との距離感以外に目星になりそうな物もなく、ナナさんとはぐれたらもう宿泊施設に戻れる気がしなかった。
「それほどかからないはずなのだけれど……」
ふとナナさんがつぶやく声が聞こえてきた。
ナナさんも少しだけ道案内に苦心しているようだ。
こうしてみると、髪や首と同じ色のふわふわした毛が手首にも見える。腰元まで覆うポンチョで気が付いていなかったが、尾てい骨辺りにへらのような扁平の動く毛玉が見える。
ほとんど間違いなく尻尾なんだろうなぁ。
「ああ、あそこですよソルト君!」
直角に交わる大通りの交差点に差し掛かったナナさんが嬉しそうな声で言った。私の位置からは建物の影になっていてまだ見えなかったので少し歩調を早める。
「おお、すごい」
曲がり角の先、少し勾配が付いて道が昇っているのがわかる距離で突き当たった場所に大きな噴水が見えた。
元々は丘か何かだったのだろう。噴水の周りは道の端に消えていて、奥に建物の屋根がわずかに覗いていた。
「なんだかわくわくしますね!」
「わたしもそう思います。さ、ソルト君。行きましょう!」
二人して足取り軽く、ゆるい勾配を上っていった。
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