スキの試し。
語り手とふるい手の違いは明確だ。
神代の戦争にて人々が降した神より授かった権能。語り手はホルドを定義する言葉の力を、ふるい手は神たる大地を耕し糧を得る力をそれぞれ得たとされ、その子孫である私たちはどちらかの権利を有して生まれる。
一時は語り手が世界の覇権を握った。それはそうだ。ホルドを手繰り世界を定義する力は絶大で、力ある者であれば天候を操り、概念を歪め、一足で世界を跨ぐ。
誰もが強者の支配下に埋もれ、苦渋を舐めさせられる時代。
しかし、かつて神代のふるい手が見た夢は幾星霜の時間の中で叶った。
食べ物を得る力は語り手の披露する千変万化の力と比べるとなんの価値もないように感じられる。だが、語り手は知った。己一人でできることの限界を。数の暴力には個では勝れないことを。
暴虐の時代の中でもふるい手は着実にその数を増やし、語り手一人に対して数百、数千倍にまで増え、いつしか数の暴力で語り手を屈服させるに至った。
時代は激動し、国は割れ、国境は複雑化し今日に至った。
語り手は自ら食べ物を創造できない。ましてや、ふるい手によって産み出された至極の味覚は語り手を篭絡し、野山を駆けずり回って得る獲物の味だけでは精神に異常を来す。
こうして、世の中の多くの国はふるい手が主導し、強大な力を持つ語り手は厳正に管理され在野に埋もれないよう仕組まれている。
ヨーレンは言った。軽々に国へ近づいてはいけないと。この仕組みはよくできていて、根本的に逃れられないし、逃れるためには代償を求められると。
所属のない語り手であれば、相応の覚悟が必要だと。
これから私がラーフッテンの街に入るにあたって求められるのが、その仕組みの一つであるスキの試しだ。
やることは至極単純で、神様の産物である大地へ鋤を入れるだけ。ふるい手であればなんの苦もない単純な動作を入国の時に求められるだけ。語り手が行おうとすれば苦痛の根源を植え付けられるような絶望を味わうだけ。
昔、ヨーレンが畑仕事で使っていた鋤で物は試しとやってみた私の感想だ。もう二度と鋤を触りたいとさえ思えなかった。ついでとばかりにヨーレンに懇々と叱られ、語り手とふるい手の歴史の話をされたのだ。
懐かしいなと思っていると、ラーフッテンの街に入るための短い行列が見えて来た。
石畳の道を進み、押し車や背嚢を担いだ人々の行列の最後尾につく。
後ろを振り返ればタードラッド河のほうから続々と人影が歩いてきている。きっとこの行列に並ぶのだろう。
街から出ていく人も多く、ざわざわとした忙しなさがあたり一帯を支配していた。
「感謝いたします」
一つ挨拶をして、さくっと柔らかい音がして、一四方がむき出しの土でできた祭壇へ女性が鋤を入れる。
「お恵みに」
「ええ、お恵みに」
立会人の言葉に返し、数人の兵士の間を縫っておばさんが祭壇を降りる。
すかさず掘り返された地面を綺麗に均して「次ッ!」という声が響く。
流れるように、淀みなく作業は継続していき「次ッ!」と呼ばれた。
「そこの少年。君の順番だぞ」
いつになく手に力が入る。私は意を決した。
「――私は語り手です。スキの試しの免除を願います」
立会人の目線が鋭くなり、にわかに兵士の手が腰元の柄へ伸びた。
ずっと考えていたことだった。あの絶望をなんとか抑え込み、すべてを賭してスキの試しに挑みさえすれば街に入れる。そうすればふるい手として身をやつして生活できるかもしれないと。
しかし、それでは私の目的は達成できない。堂々と語り手であると伝え、堂々と語り手として生きていかねばならない。
でなければ私たちの願いは達成できないと。
「申告承った。して、所属はどちらに」
「どこにも。野山を寝床に、森を友として」
「そ、そうか。少し待たれよ」
立会人が何かを書き付け、近くにいた兵士が一人走り出す。兵士たちの緊張が手に取るように伝わってくると、いつの間にか行列の静けさに気が付いた。
活気が息を潜めた。
「少年よ、名は?」
立会人が言う。私は「ソルト」と告げた。
【”Sleeping Talk”】
神代の戦争で基底現実へと降りてきた神は魂の在り方を定めはしたが、その使い方については全く関与しなかった。笑うことも、荒ぶることも、慈しむことも、やめることも。自由は果てしなく人を平等に苦しめた。
ソルトと名乗る少年が現れたのは何の変哲もない晴れた日だった。
分割戦争以降ふるい手至上主義の我が国では語り手の立場は弱い。十何年かの勤務のうち、はたまた上司の経験談として、在野の語り手がこうも堂々と街に入ってこようとしたことはなかった。
年端もいかない語り手であったから常識を知らなかったのか、それともどこかの敵国が先兵を潜り込ませるための巧みな長期戦術なのか。判断を仰ぐため兵を走らせ、世間話で時間を稼ぐ。
緊張した様子の少年をつぶさに観察し、おかしな挙動を見せればすぐに対処する。問題があった場合、どう考えても対処できない人員数しかいなかったが、問題は発生しなかった。
大勢の兵に囲まれて街へ入っていく少年を見送り、私は報告書を作成する。
茶色の髪に浅緑色の瞳。鼻筋が通った中性的な、まだ成熟していないような顔立ち。それに対していやに堂々とした態度と語り口。
頭巾のついた外套に使い込まれた半長靴を履いている。背負った大円盾は相当に珍しい造りの物だろう。意匠はどことなく我が国の物と似ていた。
気になったのは右手で保持していた小枝。長さは肘から手首程度。小さな葉が二枚ついていた。街路樹に使われている物とは葉の形状が違ったため目についた。
雑嚢には衣類、保存食、小道具が数点っと。
「交代要員到着しました」
「ああ、早いな。ありがたい」
「いえ、しかし、驚きましたね」
ああまったくな、そう零すしかなかった。
書き上げた初期観察資料を追加人員のうち一人へ渡し、続々と増えていく行列の対応を再開する。
状況を目撃していた人々がする噂話が耳障りなほどうるさいが、仕方がないことだろう。それくらい珍しい出来事に出会った。
不安をあおっても仕方がないし、淡々と作業を進めていく。
そういえば、最近どんぐりパンを食べていないな。いやいや、小腹が空いてきたところで、食べ物のことを考えると集中できない。
集中だ。集中だ。
これは出会い頭の事故と一緒だ。
何事もなかったことだけ感謝して、仕事を続けよう――。
*****
大事になった。そう思ってから七回目の朝を迎えた。
その間、幸いにも荷物を取り上げられたりはしなかったし、簡素なしかし決して貧相ではないそこそこに広い建物に案内されていたから訓練も継続できた。
テオドーラにもらった本も読むことができた。タードラッド河流域の逸話や小話を集めた短編集のようなもので、内容が多岐に渡り読み飽きなかったし、新しいことを覚えられた。
しかし、七日は長い。何かをしているよりも暇を持て余している時間のほうが長くなってきていた。
街に入りたいだけなのに、必要な準備を進めるといわれてからこんなに時間がかかっているのはなぜなのだろうか。語り手だからと問答無用で始末しにかかってくれたほうが何倍もマシだと思った。
食事はかなり手の込んだものが出てきていたが、一人でもそもそと食べているせいと、ほとんど内容が代り映えしないせいでどうしても味気なく感じてしまう。
ヨーレンと取り留めなく話しながらの食事はもっと質素で、もっと代り映えしなかったが美味しかったし、最近で言えばテオドーラやカージタとの食事は新しいことがどんどんと出てきて話題が尽きるなんてこともなかった。
一人で気ままに火を起こして、保存用のパンに塩を振った肉を挟んで食べるだけよりも、もっともっと自由がなかった。
今は周囲に遊走するホルドを小枝にまとわせて円環を維持する訓練を続けている。
街に入ってから遊走する、感じ取れるホルドが極端に少なかったため、物は試しとやってみたら最初は円環がまともに維持できなかった。これはまずいと訓練をし始めた。
なんとか形になったのは四日目で、六日目に維持し続けられるようになった。カージタさんの知識に感謝しかない。
これは、まともに見て回ったわけではないので断言できないが、街中に林やましてや森なんてものは全くないのだろう。
大地からホルドを吸い上げる根も、果てしない空まで放出する葉も。
春にはにぎやかになる若草色も、夏には大盛況の深緑も、秋には艶やかな色彩も、冬には寂しげな枯れ枝も無い。
石と鋼と人間が住む街なのだろう。
本を読み込み、日課の訓練とホルド操作の訓練を続け、動ける範囲が動こうと思うには狭いため体の節々がどことなく気怠くなってきた頃。
食事を運んでくる兵士の声でも、状況を観察に来る役人の声でも、私を殺しに来る殺気だった声でもない。ひどく丁寧で、耳に触らない、落ち着いた女性の声が聞こえてきた。
「初めまして、ソルト様。ラーフッテンの街を観光したいというご要望にお応えするのにお時間いただいてしまって申し訳ありませんでした。本日着任しました、トジンダイタイ第一テキオウ部隊所属、私はナナサンです」
入口で慇懃にお辞儀をした姿がひどく目に焼き付いた。
真っ白な新雪から掘り出したベリーのような瞳がまっすぐに見つめて来て、ふとはにかんだ笑顔が春に咲く鈴蘭のようだった。
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