第1話

 カサンドラはノヴァリス王国でも有数の力を持つ、エクリプス子爵家の令嬢だ。その未来は輝かしくあるべきで、破滅するなど想像も出来ない。

 なのに――


(この人達は、わたくしが破滅することを疑っていない)


「わたくしが破滅するというのはどういうことですか?」


『なるほど、自分の未来は知らないということか』

『設定がしっかりしてるな』

『流行の転生とか憑依でもなければ、未来を知るはずがないからなw』


 次々に流れるコメントはけれど、カサンドラの望んでいるものではなかった。


「わたくしの質問に答えてくださいまし!」

『おぉ、迫真の演技力』

『もしかして、新鋭の役者を売り出す企画も兼ねてるのか?』


 やはり質問には答えてもらえない。焦燥感に駆られたカサンドラが拳を握り締めた直後、一つのコメントが目に飛び込んできた。


『マジレスすると、カサンドラ・エクリプスは乙女ゲームの登場人物だ』

「その乙女ゲームというのはなんなんですか?」

『乙女ゲームも分からない設定かw』

『たしかに、異世界には乙女ゲームなんてないだろうしな』

『乙女ゲームっていうのは、まぁ……そっちで言う、娯楽小説みたいなものだな。たしか、登場人物の中に読んでいた奴がいるから分かるよな?』

「娯楽小説? わたくしが小説の登場人物だとおっしゃるの?」

『そうそう。それも、嫉妬に駆られて破滅するお嬢様だ。たしか、密かに慕う第二王子と婚約するも、第二王子はヒロインのヘレナに想いを寄せていて……って設定だったかな』


 その言葉にカサンドラは息を呑んだ。

 家柄を考えれば、カサンドラが王族と婚約する可能性は零じゃない。だが、誰も知り得ない秘密、第二王子が想い人であることを言い当てられたからだ。


(わたくしが第二王子に憧れていることは誰にも話していないはずですわ)


 それほどの接点がある訳でもなく、気取られるような行動も取っていない。たとえエクリプス子爵家に間者が忍び込んでいたとしても、指摘されるはずのない事実だ。


(まさか……本当に? うぅん、判断するのはまだ早いですわ)


「そのヘレナというのは何処のどなたなんですの?」

『エメラルドローズ子爵家の令嬢だったかと』

「……エメラルドローズ子爵家? あらあら、化けの皮が剥がれましたわね。エメラルドローズ家に、ヘレナなどという年頃の娘はおりませんわっ!」

『このお嬢様、貴族の家族構成を全部覚えているのかよw』

『いやいや、さすがにそういう設定だろ。俺らの言うことを信じない、みたいな』

『と言うことは、‘そんなこと、あり得ませんわーっ!’ とか言いながら破滅まっしぐらのお嬢様をこれから見せられるってこと?』

『悪役令嬢の破滅配信だな』

『破滅配信ワロタw』


 好き勝手にコメントが流れていく。


「よく分かりませんが、馬鹿にされていることだけは分かりますわよ! エメラルドローズ家にヘレナという令嬢がいない以上、間違っているのはあなた方ですわっ!」

『たしかに、本当にエメラルドローズ子爵家にヒロインがいないならおかしいな』

『実は、乙女ゲームに似た、別の世界という設定とか?』

『いや、ヘレナはたしか、庶民の娘が聖女の力に目覚め、十五歳の誕生日にエメラルドローズ家の養女になったとか、そんな設定だったはずだ』

「苦しい言い訳ですわね。聖女なんて伝説上の存在ではありませんか。それに、その話がもし事実だとしても、養女になったばかりで教養もない娘が、ローレンス様に見初められるはずがありませんわっ!」


 高笑いをして勝ち誇る。

 それに対してコメントも加速するが、カサンドラはそれをもう気にしなかった。



 その後、カサンドラはカメラを捨てようとしたが、何度試しても壁を透過して戻ってきてしまう。やがて諦めたカサンドラは、カメラを壁に向けて侍女を呼んだ。


「お呼びですか、お嬢様」

「来たわね、リズ。朝食を採るから、着替えの手伝いをお願い」

「かしこまりました」


 専属の侍女であるリズを筆頭に、侍女達がカサンドラの着替えを手伝い始める。そうして朝の準備を終え、食堂に向かおうと部屋を出る。

 その直後、リズが不意に口を開いた。


「ところで、カサンドラお嬢様はもう耳になさいましたか?」

「なんのことかしら?」

「最近、この国に聖女が現れたという噂です」


 ひゅっと、カサンドラの喉から息が漏れた。


「……せ、聖女? ほんとに聖女なの?」

「にわかには信じられませんわよね。ですが、ある貴族が養女に迎える手続きをしているそうで、かなり信憑性の高い話、ということですわよ」

「……そう。ちなみに、その貴族というのは……」

「そこまでは……申し訳ありません」


 カサンドラは黙考する。


(リズも詳細を知らない噂。つまり、比較的最近流れ始めた噂に違いありませんわ。では、あのコメントの言葉は、事実……ということですの?)


 もちろん、事前にその情報を仕入れての仕込みという可能性もある。

 けれど――


「やはり朝食はもう少し後でいただきますわ」

「え、カサンドラお嬢様?」

「後で呼びますわ」


 リズ達を廊下に残して、カサンドラはそそくさと部屋へと戻った。そうして、ベッドの上へと上がり、カメラを手に取って覗き込んだ。


「さきほどのやりとり、聞こえていましたわよね? どういう、ことですの?」

『高速フラグ回収お疲れw』

『まるでタイミングを計ったかのような情報公開だったな』

「茶化さないでくださいまし。あなた方は……神かなにかなのですか?」

『いやいや、ただのリスナーだって』

「リスナーという神様なのですか?」


 カサンドラが首を傾げれば、再びコメントが加速する。


『リスナーは神様ですってか?』

『おい馬鹿止めろ、絶対勘違いして調子に乗る奴らが出てくるから』

『取り敢えず、コメントを書いている人の総称がリスナーだって思っておけばいいよ』


 似たようなコメントが数多く流れているが、要約すればいまの三種類だった。ひとまず、コメントを書いている人達はリスナーと言うらしい、とカサンドラは納得する。


「ではリスナーの皆さん、わたくしが破滅するというのは事実なのですか?」

『そう言っただろ?』

「ですが、未来予知なんて……」

『さっきの話、聞いただろ?』

「事前入手した情報を使っての仕込みもある、とわたくしは思っています」

『疑り深い。だが、嫌いじゃない』

『つっても、他に証明する方法なんてあったっけ?』


 再びコメントが流れ、カサンドラはそのうちの一つに目を留めた。


「侍女のリズが裏切る? それはなんの冗談ですの?」

『たしかカサンドラお嬢様が十五歳になったその日、パーティー客の一人に買収されて、夜這いの手引きをして罪に問われる、とか、そんな話だったはずだ』

「十五歳の誕生日? 今日ではありませんか!」

『なら、すぐにその侍女を断罪した方がいい。悪役令嬢――カサンドラお嬢様が人間不信になり、破滅へ向かう最初のイベント、みたいなモノだからな』

『タイミングがご都合主義w』

『いや、だからこその今日スタートなのかもしれないぞ』


 好き勝手なコメントは流し、重要そうなコメントについて考える。リズはカサンドラに何年もまえから仕える専属の侍女だ。そして侍女になれるのは貴族の生まれだけ。


(なのに、リズがわたくしを裏切る? とても信じられません。でも、信じられないからこそ、もしも本当にわたくしを裏切ったのなら……)


 彼らの予言は真実なのかもしれない。そう思ったカサンドラは、リスナー達から詳細を聞き、一計を講じることにした。

 まずはいつも通り朝食を取り、リズに用事を言付けて席を離れさせた隙に、他の侍女に指示を出す。そうして、リズが本当に裏切っているかどうか試すことにしたのだ。


 カサンドラの誕生日パーティーは恙無く開始された。

 親しい友人はもちろん、普段はあまり合わない友人やもお祝いに駆けつけてくれる。その人々と挨拶を交わし、世間話の中で聖女の噂についても確認する。


 そうして集めた情報を纏めると、聖女が現れたのは事実で、その聖女を最初に保護し、養女へと迎え入れた貴族はエメラルドローズ子爵だということだった。


(リスナー達の予言が真実味を帯びてきましたわね)


 そんなことを考えながらパーティーでの役割を果たしていく。

 ほどなくして、リズがカサンドラの元へと近付いてきた。


「カサンドラお嬢様、休憩室でお客様がお待ちです。なんでも重要な話がある、と」

「……あら、何処のどなたかしら?」

「エメルダ様でございます」


 カサンドラと交流がある令嬢の名前。だが、おそらく嘘なのだろう。カサンドラは唇をきゅっと結び、分かったわ――と、休憩室へと向かった。

 そして、そこからはカサンドラの筋書き通りだった。


 カサンドラが部屋に入った直後、外から扉の鍵を掛けられる。そうして驚くカサンドラを出迎えたのは、以前カサンドラに言い寄ってきたことのある令息だった。


「これは……どういうことかしら?」

「カサンドラがいつまでも恥ずかしがって、俺の思いに答えてくれないのが悪いんだ。だから、キミの侍女にお願いして、この場を設けてもらったという訳さ」

『カサンドラお嬢様、早く護衛の騎士を!』

『放送できない展開に!?』

『カサンドラちゃん、逃げて!』


 コメントが流れるが、カサンドラはまだだと自分に言い聞かせた。


「なにか言ってくれよ」

「そうですわね。では一言だけ。気持ち悪いですわよ?」

「――なっ!?」


『気持ち悪いw ストレートに辛辣』

『もっと罵ってください!』


 流れるコメントを横目に、カサンドラは令息に侮蔑の視線を向ける。


「こ、この、下手に出てたらつけあがりやがって!」


 令息が掴みかかってくる。カサンドラはその腕を摑み、あえて後ろに倒れ込んだ。腕を摑まれていた令息は、為す術もなく一緒に倒れ、カサンドラの上へと覆い被さった。


「――来なさい!」


 カサンドラが声を上げる。次の瞬間、ドアが激しい音を立てて開かれ、そこから護衛の騎士達が流れ込んできた。そうして彼らが目にしたのは、カサンドラに覆い被さる令息の姿。


「貴様、お嬢様になにを!」

「ち、違う。俺はただ――」

「引っ捕らえよ!」


 護衛の騎士隊長が指示を出し、他の騎士が令息を連行して行く。それを横目に、カサンドラは他の侍女達に囲まれて項垂れるリズの姿を目の当たりにした。


「……さて、貴方の話を聞かせてもらおうかしら」

「申し訳ございません!」


 リズはその場に平伏した。重苦しい雰囲気が場を支配するが、コメント欄は『リアル断罪劇きちゃー』と、何やら盛り上がっている。


「リズ、なぜこんなことをしたの?」


 それは、本来のカサンドラが取らなかった行動だ。

 リスナーによると、未遂とはいえ男性に襲われ掛けたカサンドラはショックを受けて部屋に引き籠もり、そのあいだに両親がリズを断罪してしまったからだ。


「申し訳ありません、お嬢様」

「わたくしは、理由を訊いているのよ」

「申し訳ありません。申し訳ありません」


 ひたすら平伏する姿をまえに溜め息を吐く。どうしたものかと考え込んでいると、侍女の一人が発言の許可を求めて手を上げた。


「なにかしら?」

「実はリズの実家は領地経営が思わしくなく、その上に弟が病気になったそうで……」

「……そう」


『これは、弟の薬代と引き換えに裏切られたパターン』

『カサンドラちゃん可哀想』

『リズも可哀想じゃね?』

『だとしても、主を裏切ったらダメだろ』


 コメントにも様々な意見が流れている。それを眺めながらカサンドラが考えていたのは、いままでリズと過ごした時間だった。

 かれこれ数年。リズはよくカサンドラに仕えてくれた。歳の近い彼女は、カサンドラにとっては姉のような存在だった。そんな相手に裏切られたことに傷付いている。

 だけど、カサンドラはこうも思うのだ。もしも自分がもう少し、侍女達の様子を気に掛けていたら、裏切られることはなかっただろう、と。


「リズ、貴方を今日付で解雇します」

「……解雇、ですか?」


 重い罰を下されると思っていたのだろう。実質的な無罪放免にリズが困惑する。


「貴方に罰を下せば、わたくしが殿方に押し倒されたなんて醜聞を明かさなくてはならないでしょう? それは貴族令嬢であるわたくしに致命的な噂になりかねない。だから解雇に留めるのよ。その代わり、今日のことを口外することは許しません」


『あえて押し倒されるまで待ってたくせに』

『カサンドラお嬢様、まさかそこまで読んで、押し倒された?』

『悪役令嬢なのに優しいw』


(ぶっとばしますわよ)


 心の中でリスナーを罵って、リズにはすぐに屋敷を出て行くようにと命じた。そうしてリズが退出するのをまったカサンドラは、侍女の一人に視線を向ける。


「リズの弟の病気について調べ、匿名で支援なさい」

『悪役令嬢(笑)』

『むしろ聖女やん』

『いやいや、甘過ぎでしょ。罪を犯したんだからちゃんと断罪しないと』

『リズ自体には罰を与え、その家族には慈悲を与えた感じじゃない?』

『それにしたって甘過ぎでしょ』


 様々なコメントが流れる。

 優しいという意見もあるが、甘いという意見が目立つ。そしてそんな感想を抱いたのは侍女達も同じようで、カサンドラに命じられた侍女が「よろしいのですか?」と口にした。


「いいのよ。その弟に罪はないでしょう?」

「かしこまりました」


 そんなやりとりを経て、侍女達を部屋の外へと下がらせた。そうして一人になったカサンドラは、その瞳から一筋の涙をこぼした。

 カサンドラにとって、リズは姉のように慕っていた存在だった。


「……リズ、どうして私を裏切ったのよ」

『カサンドラちゃん可哀想』

『泣いてるかサンドラちゃん可愛い』

「うるさいですわね、ぶっとばしますわよ!」


 涙を拭ったカサンドラが声を荒らげるが、むしろ『ぜひお願いします』といったコメントが大量に流れてくる。泣いているのがバカらしくなったカサンドラは溜め息を吐く。


『ってか、この件でカサンドラが心に傷を負うって結末、変わってなくないか?』

『たしかにw』


 そのコメントを目にしたカサンドラは我に返った。リスナーは聖女の誕生に加え、後見人となる貴族を言い当て、今日リズが裏切ることまで予言して見せた。


(……わたくしが破滅するというのは本当なのですね)


 だとしても、そんな未来を受け入れる訳にはいかない。


「教えてください、リスナーの皆さん。どうすれば、わたくしは破滅を回避できますか?」


 カサンドラはその強い意志を秘めた瞳でカメラをまっすぐに見つめた。

 

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