子爵令嬢の破滅実況 王子から婚約破棄されると予言されたので、リスナーを信じて破滅を回避してみせますわ!

緋色の雨

プロローグ

 カサンドラ・エクリプス。

 子爵家のご令嬢である彼女は、想い人である第二王子と婚約を果たす。

 しかし、第二王子は別の令嬢に想いを寄せていた。それを知ったカサンドラは嫉妬に狂い、その令嬢に危害を加えようとして破滅してしまう。

 壮絶な最期を迎える彼女は、乙女ゲームの悪役令嬢である。


 しかし、乙女ゲームの世界を生きる彼女が、その設定を知ることは決してない。

 ――本来であれば。


(……これは、なにかしら?)


 十五歳の誕生日を迎えた翌朝。天蓋付きのベッドで身を起こしたカサンドラは目をゴシゴシと擦った。虚空に、光を帯びた半透明の板が浮かんでいたからだ。


『お、目を覚ました』

『おはよう、初実況が睡眠配信とか斬新すぎるだろw』

『ってかこれ、リアルだよな? ヴァーチャルじゃなくて』

『どっかのお城か? セットにしても金を掛けすぎだろ』

『所属を書いてないけど個人勢? 絶対どっかの仕込みだよな?』


(虚空に次々と文字が浮かんでいますわ。……それに、この内容。わたくしのことを言っていますのよね? 一体、なんですの?)


「貴方、何者ですの?」

『声、可愛い!』


 そんな文字がいくつか流れ、続けて『視聴確定』や『チャンネル登録しました』と言った、カサンドラには意味の理解できない言葉が流れていく。


「声を褒められて悪い気はしませんが、わたくしの質問に答えてはいただけませんの?」

『何者かって言われても……あ、リスナーの名称のことか』

『いや、名称って言ったってさ。設定が分からないと答えようがないだろ?』

『だよな? いまのとこ、寝てるところを配信してただけだし』

「……先に名乗れと、そういうことですか?」


 カサンドラはそう答えながら、全力で頭を働かせた。

 けれど、自分の私生活が異世界で配信されており、それを見たリスナー達がコメントをしている。そんな事実、カサンドラに分かるはずもない。

 とはいえ、複数の人間が文章を書いていることはなんとなく察していた。


「仕方ありませんわね。今回だけは特別に、わたくしから名乗って差し上げますわ」


 カサンドラは髪を掻き上げて言い放った。


『ツンデレwww』

『ツンデレお嬢様だったかw』

「ツンデレ? なんですの、それは。というか、人の前口上によく分からないちゃちゃを入れるのは止めていただけるかしら? ぶっとばしますわよ?」

『ぶっとばしますわよw』

『ぜひぶっとばしてください!』

『俺はむしろ踏まれたい!』


 ウィンドウがそんなコメントであふれ、収拾がつかなくなる。

 これが普通の配信者であれば、コメントが流れる中でも自己紹介を進めただろう。だが、自分の状況をまったく理解できていないカサンドラに、そんな対応を求めるのは無理だった。

 驚くべき動体視力でコメントを読んでいたカサンドラは、気になる一文を目にした。


『コメントばっかり見てないで、そろそろカメラを向いてくれよ。なんでコメント欄の斜め後ろにカメラを設置してるんだ?』

「……カメラ?」


 無論、中世のヨーロッパをモデルにしたような世界の住人であるカサンドラに、カメラという名称が分かるはずもない。だが、コメントの内容からなんとなく察して振り返る。

 そこには、レンズが付いた球体が浮かんでいた。


「……これが、カメラですの?」


 虚空に浮かぶそれを摑んで覗き込む。

 そのまま振り返れば、コメント欄が物凄い勢いで流れていた。


『美少女きちゃああああ!』

『やばい、顔のドアップの破壊力が想像以上にヤバイ!』

『ってか、この顔、何処かで見たことないか?』

『え、嘘だ、これ、加工した画像だろ?』

『なに言ってんだ。こんなリアルタイムで加工できる訳ないだろ』

『お嬢様、お胸の谷間が見えそうです!』


 コメントを眺めていたカサンドラは、その一文を目にした瞬間に硬直した。いままでのやりとりから、そのカメラを通して多くの者が自分の姿を見ていることを理解する。


(ちょ、ちょっと待ってください。いまのわたくしは、たしか……)


 恐る恐る視線を落とせば、自分の上半身が目に入る。

 シルクのネグリジェ。決して露出が多いデザインではないけれど、上から覗き込めば胸元がちらりと見える程度には無防備なパジャマ。


「な、なにを見てるんですのよ!?」


 カサンドラはカメラを思いっ切りぶん投げた。だが、カメラは壁に叩き付けられる前に自ら制動を掛けて、部屋の隅で静止した。

 カサンドラは手元にあった掛け布団を引き寄せて上半身を隠す。


『眼福だった』

『可愛い』

『切り抜かれるやつ』

『なんか、イケナイことをしてる気がしてきた』

『通報しました』

『ってか、カメラ投げんなw』

「お、乙女の柔肌をなんだと思っているんですか! あっち向いてなさいよ!」


 カサンドラが理不尽に叫ぶ。この状況を視聴しているリスナーは、配信されている動画を見ているだけなので、見るなと言われてもと言ったところ。

 だが次の瞬間、虚空に浮かぶカメラが後ろを向いた。


『急に視界が壁に(笑)』

『誰がカメラを回したんだよw』


 ひとまずの難は逃れた。それを確認したカサンドラは呼び鈴を鳴らす。ほどなくして、カサンドラの侍女達が部屋に入ってきた。


「カサンドラお嬢様、おはようございます。お着替えですか?」


 侍女の声に『ガタッ』と言ったコメントが流れ始める。そのウィンドウから視線を外し、カサンドラは「そのまえに、あれを片付けなさい」と、虚空に浮かぶカメラを指差した。

 だが、侍女は怪訝な顔をする。


「あれというと、カサンドラお嬢様のお気に入りだった花ビンですか?」

「……花ビン? いえ、その手前に浮かんでいるでしょ?」


 カメラのことを説明するが、侍女達は首を傾げるばかりだ。まさかと思ったカサンドラが、コメントを表示するウィンドウに付いても聞いてみるが、反応は同じようなものだった。


(……どういうこと? まさか、わたくしにしか見えていない?)


 やはり得体の知れないなにかであることは間違いない。そう判断したカサンドラは一度侍女を下がらせる。そうして上着を羽織り、カメラをひっつかんでこちらに向ける。

 だが、コメント欄を目にしたカサンドラはある書き込みを見て瞬いた。


「わたくしの名前ですか? たしかにわたくしはカサンドラですわよ。エクリプス子爵家の息女、カサンドラ・エクリプスですわ」


 カサンドラが答えた瞬間、コメント欄の流れが爆発的に加速した。


『やっぱり乙女ゲームの悪役令嬢だ!』

『ってことは、制作会社の宣材か!?』

『いやいや、それにしては金を掛けすぎだろ』


 と、そのようなコメントが、ものすごい勢いで流れていく。


(乙女ゲーム? 悪役令嬢? なんのことですかしら?)


 困惑するカサンドラ。

 だが、事情を理解できないリスナー達も多くいるようで、『なにそれ?』と言ったコメントも流れている。そしてそのうちの一人が、そんな彼らの質問に答えた。


『カサンドラ・エクリプス。ヒロインに嫉妬して破滅する、乙女ゲームの悪役令嬢だよ』


(……破滅? わたくしが?)


 この日、乙女ゲームの登場人物でしかない彼女が自分の運命を知った。

 

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