第5話 新しい家族
馬車は乗り心地が良かった。前回の公爵家のお迎えの馬車もまあいい馬車ではあったけれど、居心地は悪かった。まるで張りぼてのように見た目は立派な馬車と威圧してくる使用人。公爵邸に着くまでずっと不安で落ち着かない気持ちだった。
それなのに。
「改めてご挨拶いたします。
私はハーベルト侯爵家にて侍女をしております、ミシュリアと申します。
今後はアイリーン様の専属侍女としてお仕えいたしますので、よろしくお願いいたします」
「よ、よろしくお願いします」
「アイリーン様はもう侯爵令嬢なのです。
どうぞ、堂々となさってください」
「あ、はい……」
今回私を養子に取ることになったのは、ハーベルト侯爵様。どうして手を挙げてくださったのかはわからないけれど、すこしでもいい人でありますように。そんな緊張を和らげてくれるかのような、ミシュリアの柔らかい態度はとても嬉しかった。注意をするときだって怒鳴ることなく、ほほ笑んで優しく諭してくれる。ひとまず安心できた。
「侯爵邸までお時間がかかりますので、どうぞリラックスしてくださいね。
休憩時でしたらお茶を淹れることができるのですが……」
「あ、その、お構いなく……」
「まあ、ふふ。
それでは馬車の中で簡単な授業をいたしましょうか。
きっと今までとは常識が異なりますから、わからないことがありましたら、遠慮なくお尋ねください」
「ありが、とう」
いいえ、とミシュリアがほほ笑む。そして、ハーベルト侯爵家のことを教えてくれた。当主一家に始まり、侯爵領の特産、その他もろもろ……、とにかく楽しそうに話してくれた。その様子からもどれだけ侯爵家のことを好きかがうかがえる。憂鬱だった気持ちが少しだけ上向いてくれた。
***
休憩をはさみつつ馬車を走らせること3日。ようやく馬車は侯爵邸へと到着した。お疲れではないですか、と気を使ってくれるミシュリアに笑みを返す。慣れない旅に確かに疲れはしたけれど、それを口にすることはなかった。
最後の宿を出る日、ミシュリアは気合が入った様子で私の支度をしてくれた。初めての長旅だから慣れた服の方がいいだろうと気を使ってくれたけれど、侯爵邸へ着く今日はさすがに服が用意されていた。それでも旅用の着るのが簡単なものだけれど。髪もきれいに整えてくれて、これから貴族様に会うのだという緊張感が一気に増してきた。
今度はどんな人たちなのだろう。せめてシュベルティア公爵家よりもましな人達だったら嬉しいけれど、貴族だから期待できない。侯爵もかなり高い位だもの。ミシュリアは優しかったけれど、その主人も優しいとは限らない。
いろいろと自分に言い聞かせながら馬車に乗る。大丈夫ですよ、とミシュリアは言うけれど、緊張は仕方ない。とうとう馬車は門を抜けて、ゆっくりと止まった。
「どうぞ」
扉横に待機していた騎士が手を差し出す。その手を取って私は馬車を降りた。
目の前に広がる屋敷は広大だった。それは公爵邸にも引けを取らない。馬車から玄関までは使用人が大勢並んで、頭を下げて待っていた。
その圧に固まっていると、中央からお仕着せを着た女性と執事服を着た男性が歩いてきた。
「ようこそいらっしゃいました、アイリーン様。
私は執事長のウルレットと申します。
こちらは侍女長のリーフェン。
あなた様のお越しを使用人一同、お待ちしておりました。
長旅でお疲れかと思いますが、まずはご主人様にお会いしていただきたいと思います」
「あ、よろしく、ウルレット……。
それにリーフェンも」
「よろしくお願いいたします、アイリーン様。
どうぞこちらへ」
ウルレットとリーフェンは一礼すると、先導して屋敷の中を歩きだす。それに慌ててついていくと、たどり着いたのは一室の前だった。ウルレットがノックをすると中からどうぞ、と返ってくる。それを受けてウルレットが扉を開けた。
その部屋は日差しが程よく入る、明るい部屋だった。広い窓からは庭園の様子がよく見える。そんな部屋の中には女性が1人と男性が2人待っていた。おそらく侯爵夫妻とそのご子息だろう。
中に入るとすぐに3人に向かって頭を下げた。
「アイリーンと申します。
この度は私を養子にしてくださり、ありがとうございます。
よろしくお願いいたします」
平民だと見下してくる目を見るのが怖くて、ろくに顔を見ないままそこまで言い切る。平民が無礼だと手を挙げられたあの初対面は私の体に確かな恐怖を刻んでいた。
きっとそうしていたのは時間にしてわずかだっただろう。でも、体感としては長い時間が過ぎ去った時、私の肩に優しく手が置かれた。
「頭を上げて、アイリーン。
私たちは君が来るのを待ちわびていたよ」
その穏やかな優しい声音に恐る恐る顔を上げる。そこには声と同じ穏やかなまなざしをした男性がいた。
「改めてよろしくね、アイリーン。
私が君の父親になるドミナルトだ」
「ドミナルト、様」
「そうじゃないよ。
どうか父と、そう呼んでくれないか?
今日から君は私の娘なのだから。
ああ、もちろん本当の家族を忘れてほしいという意味ではない。
我々を君の新しい、もう一つの家族にしてもらいたいんだ」
「家族、ですか?」
「ああ、もちろん。
さあこちらへおいで」
手を引かれるままに部屋の中央へとやってくる。そして、そのまま椅子へと座らされた。その対面には女性が、そして横には男性が座っていた。
「初めまして、アイリーン。
私はエファラよ」
「僕はドフィアート。
かわいい妹ができて嬉しいよ。
よろしくね」
「あ、その……」
思ってもみなかった反応に、思わず変な反応をしてしまう。まさかこんな風に受け入れてもらえるなんて思わなかった。ハーベルト家の人々は皆、優しい目で私を見てくる。こんなの、信じられない。本当にこんな人たちが私の新しい家族なの?
「さ、挨拶も済んだことだし、気を抜いて。
おいしいお菓子を用意させたのよ。
ぜひ食べてね」
エファラ様、がそう朗らかに言う。目の前には確かにおいしそうなお菓子。本当に私が食べてもいいものなの?
「ほら、遠慮せず」
ためらっているとドフィアート様、がお菓子を口に持ってきてくれる。えいっとかぶりついてみると、口の中に甘さが広がっていく。本当においしい。
「ドフィー、困らせるようなことをするんじゃない!」
「はいはい、すみませんでした」
「ドフィー!
はあ、すまないねアイリーン」
「え、いいえ」
まるで貴族らしくない気軽にやり取りをして、笑う人たち。それが私の新しい家族だった。
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