第1話 巻き戻った時

「はっ、はぁ、はぁ」


「急にどうしたのかしらね……」


「アイリーン姉ちゃん大丈夫かな」


「うーん、お医者様も理由がわからないと仰っていたわね。

 今はとにかく薬を飲ませて元気になるのを待つしかないわ」


 声が、聞こえる。懐かしい声。体がとにかく重いし、寒い。このまま目を覚まさないのかもしれない。そんな思いすら頭をよぎる。目を開けて、顔を見たいのにそれすらできない。そのまま意識はまた沈んでいった。


***

 何度目を空けられないまま意識が浮上したかわからない。一体何日が経過して、今が何日なのかも。それでも今だったら目を空けられるのではないか、ふとそう思えた。


 試してみると、今までが何だったのかというほどすんなりと目が開く。そこでようやく、今が夜だということが分かった。温かみを感じていた横に目を向けると、そこにいたのは……。


「おねえ、ちゃん?」


 働き方を忘れてしまったかのような声帯が、かろうじて音を発する。それはかすれた小さなものではあったけれど、横にいたお姉ちゃんはすぐに目を開けた。


「アイリーン……?

 あなた、気がついたの⁉」


「おねえ、ちゃん」


 本当に、お姉ちゃんだ。傷つき、泣いていた面影などない姉の姿。ああ、それにどこか幼さが残っている。本当に、戻ってきたのだ。ぽろぽろと涙がこぼれていくと、お姉ちゃんが慌ててそれをぬぐってくれる。そして寝ていていいのよ、と頭をなでてくれるその手の温かさにほっとして、私はまた目を閉じた。


***

 次に意識が浮上した時、前回よりもすんなり目を開けることができた。それでもやっぱり体は重いし、声は出しづらい。一体何日が経ったのかな……。そして一体どれほどさかのぼったのか。私がまだこの家にいるということは、魔力判定の前。あの、人生の何もかもが変わってしまった日の……。


 ゆっくりと体を動かしていると、扉が開く音がした。そちらに顔を向けると、ステリ―の姿があった。健康そうなその顔色にほっとする。最後に見たときは顔色を真っ青にしていたから。


「あ、アイリーン姉ちゃん!

 よかった、目を覚ましたんだね」


 泣きそうな顔をしてこちらに近づいてくるステリーもどこか幼い。ずいぶんと心配をかけてしまったようで、手に持っていた桶を置いて、こちらに駆け寄ってきた。そのままぎゅっと抱きしめると、長く触れていなかった太陽の香りがする温かさに包まれる。


「ステリー……。

 心配かけてごめんね」


「ううん。

 いいんだよ……」


 そのままぎゅうぎゅうと抱き合っていると、また扉が開かれる。そこにはお姉ちゃんが立っていた。


「あら、目を覚ましたのね。

 スープだったら飲めるかしら……?

 パンもあるわよ。

 ……ステリー、あなたは早く支度をしてきちゃいなさい」


「はーい」


 お姉ちゃんとステリ―。私の本当の家族。ずっと会いたかった。でもずっと会えなかった。やっと会えたと思ったら、すぐに失ってしまって。それなのに、こうしてまた取り戻せたことが心から嬉しかった。


 お姉ちゃんがつくったスープは具材もあまり入っていなく、味もどこか薄い。公爵邸で口にしていたものとはかけ離れたもの。でも、私にとってはこれが安心できる味だった。そして、一緒に持ってきてくれたパンをスープに浸して食べる。うん、すごくおいしい。

 

 お姉ちゃんがつくるパンは公爵邸の料理人に引けを取らないほど、いや、こちらの方が勝っているほどにおいしい。このパンの味も懐かしい。


 ごはんをしっかりと食べると元気が出てくるもので。いつもよりも時間をかけて少なめのご飯を口にすると、体は少し楽になっていた。それでもそこからしばらくは食べて、寝て、を繰り返す日々だった。


***

「すっかり元気になってよかったわ!

 もう、急に倒れたときはどうなるかと」


「急に倒れたの?」


「そうよ。

 お店に立っているときにね。

 それに青白い顔をして、体も冷たくて……。

 お医者様に診てもらっても原因がわからないって言うんだもの」


 その時のことを思い出したのか、お姉ちゃんはぞっとしたように体を抱きしめていた。おそらく、私は魔力枯渇に陥っていたのだろう。それでもこの町の医者は魔力枯渇に陥った人を見たことがなくて、分からなかったのだと思う。無理もない。魔法を行使できるほどの魔力もちはこの町には基本的にはいないから。


 本当にもう大丈夫? と未だ心配そうなお姉ちゃんに大丈夫、と笑って返す。魔力が少しは戻ってきているから、もう倒れることはないと思う。それにしてもあの秘宝は本当にとんでもない消費量だった。起きてから聞いた話だと、今はあの日から約3年前。3年もの時を巻き戻すには、特級と言われた私の魔力を空にするほどの魔力が必要、ね。


「ステリ―が初めて倒れた日を思い出しちゃったわ。

 本当にもう、どうして私の弟妹達は急に倒れてしまうのかしら」


「もう、ごめんってお姉ちゃん。

 私はもう大丈夫だから」


 ね? と抱き着くと、安心したようにそうね、と微笑みかけてくれる。両親が急になくなってから、この姉には苦労しかかけていない気がする。私たちがこうして一緒に暮らし、食事にありつけているのはお姉ちゃんが必死に両親のパン屋を経営してくれているからなのに。


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