第3話 自分のことを信じる

 アラーム悪夢が鳴って、6時に目が覚める。昨日は長時間寝てしまったから、寝れないと思っていたが、いざベットに入ってみるとすんなりと夢の世界へと入国することは出来た。

 しかし、やって来て欲しくはない悪夢という名の彼はやってきて、雪乃下の心はまたしてもすり減る。


 朝食を食べ終わった雪乃下はベットの上に寝転がり、学校へ行くか迷っていた。昨日、学校を飛び出してサボったので先生に呼び出しを食らうのは目に見えていた。父親は忠告程度で終わったが、学校はそうはいかないだろう。指導室に呼ばれ、なぜ飛び出したのかとか取調べのように詳しく足の先から手の先まで聞かれることだろう。


 考えれば考えるほど行くのが億劫になってる。一歩を踏み出すのが重たくなっていく、まるで一トンの重りを両足に付けられているかのように。


 チクタクチクタクと時計の針は進んでいき、普段通りだったら家を出ている時間になる。雪乃下はカーテンから漏れている太陽の光に一瞬だけ、視線を移し学校に行くことにする。家の扉を開けて、学校への道を歩き始めるが世界最高の山を踏破しているような気分に包まれる。


 校門の前に立っている先生に軽く会釈をして靴箱に入り、上靴に履き替える。四階にある教室に入ると、視線がこちら側に一瞬だけ集まった気がしたがすぐにそれは消えた。窓際にある自分の机に座り、鞄を机の横にあるフックにかける。


 呆然と窓の外を見ていたら、担任の先生がホームルームが始まる15分前だというのに教室へ上がってきた。いつもはホームルームが始まる5分前に上がってくるというのに、今日はそれより早く来たということ、それが意味していることを雪乃下はすぐに理解した。


「雪乃下いるか〜?」


 出席簿を片手に持ちながら先生が雪乃下の名前を呼ぶ。やっぱり呼ばれたと思いながら、重たい腰を上げて返事もせずに先生の元へ向かう。教室にいたクラスメイトの無言の視線を集めているのが痛いほどに分かった。


「ちょっと場所変えるか」


 教室を出ていく先生の後を無言のまま着いていく。今から怒られるんだと分かっているから、とてもじゃないが心が重たい。重力が地球では無いほどに体もズシンとけだるい。窓の外の太陽の日差しはあんなにも煌々としているというのに、対称的な心情は曇天に包まれ大雨が今すぐにでも降りそうだ。指導室につくと、先生は扉を開けて中に入るよう指で指示する。


 指導室の真ん中に置かれている横長い机に2人は向かい合うように座る。開口一番先生の口から出てきた言葉は予想通りだった。


「なんで昨日学校を飛び出した?」


「……何となくと言ったら、当然怒りますよね?」


「そりゃ怒るとも。まともな理由があって抜け出したなら何も言わないつもりでいるが、どうなんだ?」


 まともな理由があって学校を抜け出したのかと問われたなら、答えは否と言うしかない。廊下から聞こえた言葉にムカついて飛び出しましたなんて、結局はこちら側の都合でしかなくて先生側からしたらなんの意味もなさない理由だった。素直に言っても怒られる、何を言って怒られる。そう思った雪乃下は、母親についた嘘と同じ言葉を吐いた。


「あまりそういうことするなよ。卒業出来なくなるぞ、今回は初めてということで大目に見てやがるが次やったら駄目だからな。ほら、もうすぐホームルームだから早く帰るぞ」


「はい、すみませんでした」


「分かったなら、よろしい。ほれ、早く行け」


 出席簿で頭を軽く叩かれ、話は終わった。正直のところ、雪乃下は声を荒げられて怒られると踏んでいたが、そんなことはなくて優しい注意喚起程度で終わって拍子抜けであった。


 廊下をとぼとぼと歩いていると、前の方から佐々木が歩いて来るのが視界に入った。無言で通り過ぎようと雪乃下は視線を少し落とす。しかし、佐々木は歩いていた足を止めて雪乃下の肩をがっちりと掴む。急なストップに足がほつれ、転けそうになるが何とか体制を立て直して、佐々木を見る。


「雪乃下、今日こそは飯食いにいくぞ」


 あんなに冷たく断られたのに佐々木の心はまだ折れていなかった。というか、燃え上がっていた。



 この佐々木という男は無理なものが目の前に立ち塞がるとそれを越えなければ気が済まない男だった。その対象は動物、人間、物、ゲーム、とにかくこの世に存在している全てが対象といってもおおげさでは無いだろう。

 だから、いまこうやって雪乃下の前に立ち塞がり食事の誘いという無理なものに立ち向かっていた。もちろん、それは当の本人だけの得で相手側からしたら迷惑極まりないものである。


「今日も一人で食べたい気分だから」


「俺は二人で食べたい気分だ」


「どういう理論だよ。とにかく一人で食べたいの。それにお前も昨日聞いたろ、俺はそういう奴なんだよ」


「聞いたけど、どうでもいい。俺は俺の目で見たものしか信じない。他人の言葉で知らんやつの性格を形成して決めつけるなんて馬鹿らしいだろ」


 雪乃下はこの言葉に懐かしさを覚えた。かつての恋人、佐倉も同じようなことを言っていた。


『私は私の感性を信じます。人から言われたからあの人はああいう人なんだ、と決めつけるのは好きじゃありません。そんなの馬鹿らしくありませんか?』


 頭の中で佐倉が喋る。ふふ、と笑い声が溢れる。佐々木も似たやつなんだ、とそう思ったら、自然と食事に行きたいと思うようになり誘いを受けることにする。


「いいよ、一緒に食べよう」


「おっ、まじか!雪乃下、やっぱ良い奴だな!じゃあ、教室行くか、もうすぐチャイム鳴りそうだし走るぞ!お前が指導室に連れて行かれたと聞いて来たからもう時間ギリギリだ!」


「なんで来たんだよ!時間はもっとあっただろに!」


「俺は思い立ってすぐに行動する派なんだよ、早く走れ!遅れるぞー!」


 佐々木が走るぞと言った時には、もうチャイムは鳴ってしまっていたが二人の耳には聞こえていなかった。ホームルームの開始を告げる音が鳴り響く中に二つの足音が混じって聞こえる。

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