第6話 第9レース・S級準決勝④

 一瞬の出来事だった。落車の瞬間、選手が宙を舞う。それを目にした成行は、心臓の激しい鼓動が未だに収まらない。ふと、見事に視線を向けると、彼女も驚きと動揺で目を丸くしている。無言で目が合う二人。

 成行は後ろの席を見た。そこでは絶叫して、うつ伏せになっている雷鳴。そして、強張った表情で競走路バンクを見つめる幸がいた。


 最後の直線で落車が起きた。

 そのタイミングで競走路バンクの外側にいた④伊万里。そして、最内さいうちにいた⑧青澤。その2人の間に入った岡山コンビ⑦②の2人。

 最内にいた⑧青澤。彼から見て右隣(つまり、外側)に②来生。さらに、その右隣(外側)に⑦大野。この右隣(外側)に④伊万里がいて、4人並走になっていた。


 このとき、並んだ4人が互いに互いをブロックしつつ、最後の死力を尽くした。

 しかし、②来生、⑦大野、④伊万里が接触して、④伊万里は落車した。最後の直線での落車。後続や付近の選手も巻き込まれた。

 ④伊万里以外にも、①飴谷、③遠増、⑨寿の3人も巻き込まれた。合計4人の選手が落車した。伊万里の落車に巻き込まれた3人は、空中で一回転するような激しい転び方をしたのだ。


 落車の瞬間、観客から悲痛な嘆き声が湧き上がった。成行や雷鳴たちもその中に含まれている。場内のどよめきは、まだ収まっていない。

 ゴール線は⑧青澤-②来生-⑦大野の順番で通過していた。落車しなかった選手達は、2センターの大型映像装置に目を向けながら、ゴール後のバンクを進む。


 一方、競走路に倒れたままの4人の選手。落車した選手に係員が近づき、救護やレース続行の有無を確認している。

 すると、③遠増が起き上がった。競輪選手・最高ランクのS級S班に属し、このレースでは③番車の遠増。S班の選手は他の選手とは異なり、レース用のパンツが赤を基調とした生地になっている。その上、③番車だと上着のユニホームも赤が基調。上下、赤が基調の姿で一際目立つ。

 そんな遠増のユニホームが落車でズタズタに裂けていた。落車の影響で意識が朦朧としているのだろうか、遠増はゆっくりと自身の自転車の確認した。彼が立ち上がると、観客から声援と拍手が起きる。

「頑張れ、遠増!」

「トーマスさん、頑張って!」

「もう少しでゴールだよ!」

「トーマス!トーマス!」


 遠増が自転車に再乗する。傷ついた体と自転車が痛々しい。係員が彼に付き添うようにゴールへ向かって移動する。

 残る3人は競走路に横たわったまま。3人の側にいた係員が、『バツ印』のジェスチャーをした。残る3人は競走棄権となった合図だ。

 残り3人の選手は、直ちに係員に救護され、担架に乗せられた。


 一方、ひとりゴールを目指す遠増。

『頑張れ、トーマス!』、『遠増さん!』という声援が彼へ届けられる。


 ヨロヨロと自転車に乗る遠増も、確実にゴールへ近づく。


 遠増が乗った自転車が、ゴール線を通過した。

 ここで彼は自転車を降りる。すると、係員と担架を乗せた救護車が近づいてくる。


「ありがとうございました!」

 ゴールした遠増は、お客さんに向かって一礼。救護車に乗り込んだ。観客からは割れんばかりの拍手と歓声が沸いた。


 遠増がゴールしたタイミングで、審判のホイッスルが響く。4コーナー審判が赤い手旗を掲げる。その様子が中継映像に映し出された。


 その直後、チャイムが場内に響き、審判放送が流れる。

『お知らせします。只今より第4コーナー付近の事象について審議します。審議対象選手は②番、及び⑦番です。審議の結果と決定は、暫くお待ち下さい』


 審判放送の後、場内の中継映像はリプレイに変わった。残り半周のタイミングからの映像だ。そして、落車のシーンになり、場内には再び溜息が溢れる。


「マジか・・・」

 うつ伏せのまま呟いたのは雷鳴だ。彼女は顔を上げる。

「東日本が逃げるのかよ・・・」

 想定外の展開と結末に雷鳴もショックを隠せない。

「東の混成ラインは無いと思ってたからなぁ・・・」

 力無く、購入した車券を一枚一枚丁寧に確認する雷鳴。


 このアクシデントには、成行も見事もしばらく沈黙した。落車でも、かなり激しく、そして危険な落車だった。


 すると、再び審判放送が流れる。

『お知らせします。只今のレースの審議対象選手は、2着到達の②番と、3着到達の⑦番です。審議の結果と決定は暫くお待ち下さい』


 それを聞いた周囲の客が口々にいう。

「暫く時間がかかりそうだな?」

「2人で審議ならセーフか?」

「いや、②来生が悪いでしょ?」

「みんなで押し合い、し合いだったでしょう?」

「一瞬、キタと思ったのに・・・。④⑧の立川の師弟コンビは、折返しで持ってたのよ」


 審議結果を待つ間に、競走路バンクには次の第10レースの選手たちが現れる。レース前、出走選手たちがラインの並びや、脚色あしいろを披露する。所謂、『脚見せ』だ。


 第10レース出走選手たちがラインを作り、客の目の前を駆け抜ける。それに応えるように、客たちは選手へ叱咤激励をする。

智弥ともや君、頑張って!」

けいちゃん、頑張ってや!頼んだで!」

「はやみん、はやみん!!」

早見はやみ君、八雲やくもとワン・ツー!」

「や・く・もさーん!!」

「智弥!ダービー連覇ね!」

早見はやみあに、頑張れよ!マジで頼むわ!!」


 客たちの声を遮るようにチャイムが鳴る。審判放送だ。それに合わせて、客たちの声のボリュームが下がった。皆が固唾を呑んで審判放送に耳を傾ける。

『大変お待たせしました。審議の結果をお知らせします。2②番選手は、失格と判定します』

 その瞬間、客たちからはまたも溜息が溢れた。審判放送は続ける。

『②番選手は最終周回、第4コーナー付近において⑦番選手を押圧おうあつし、①番、③番、④番、及び⑨番選手を落車させましたので、失格と判定します。なお、⑦番選手は失格とはなりません。決定─!』

 審判が第9レースの確定放送をする。

『1着、⑧番!2着、⑦番!3着、⑥番!』


 中継映像に上位3人の選手が映し出された後、払い戻し機から自動音声で、『静岡競輪、第9レースの払い戻しを開始しました』と流れた。


 中継映像には払戻金が映し出される。三度みたび、客からどよめきや溜息が起きる。場内には淡々と払戻金を伝える自動音声が流れる。

『第9レースの払戻金をお知らせします。枠番2連勝複式⑤⑥、1120円。枠番2連勝単式⑥⑤、1230円。車番2連勝複式⑦⑧、7950円。車番2連勝単式⑧⑦、2万9580円。車番3連勝複式⑥⑦⑧、4万830円。車番3連勝単式⑧⑦⑥、24万5610円。ワイド⑥⑦、2490円。⑥⑧、2330円。⑦⑧1850円。以上でございました』



 ※※※※※



 雷鳴の隣席では、福岡の魔女・稲盾幸が払戻金を確認している。それを渋い顔をして見つめるしかない雷鳴。


 幸は穴目で買っていた2車単のBOX車券が的中していた。③⑦⑧⑨のBOX車券だ。これを一口1000円で買っていた。払戻金は29万5800円だ。しかし、幸は特に大喜びもせず、あくまで冷静に払戻金を確認していた。

 一方、雷鳴はハズレ。払戻金はゼロである。結果、マイナス4万2000円だ。


「いきなりママが負けそうな雰囲気ね・・・」

 雷鳴を気にしつつ、成行に囁いた見事。

「まあ、東日本の混成ラインは僕もいらないと思ってたからね。でも、⑧の青澤を入れていたのは流石だよ。幸さんは─」

 成行も小声で話す。


「私はまだ負けてないぞ」

 成行と見事に言う雷鳴。彼女はとてもわかり易く、『悔しいです』と言いたげな表情だ。

『それは死亡フラグだろうに』と、成行は思った。


「あっ、ユッキー!死亡フラグだと思っただろう?」と、透かさず言ってくる雷鳴。

「いや、そんなことは考えてませんから─」

 冷や汗をかいた成行。


「ママ。まだ2レース残っているから、大丈夫だよ」

「そうだな。まだ勝負は決していない─」

 見事の気休めに再度、気合を入れ直した雷鳴。


 しかし、次の第10レースも簡単な話では済みそうもない雰囲気だった。







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