第5話 第9レース・S級準決勝③

 9名の選手たちが黙々と周回を重ねる。その9名がホームストレッチ側を通過する度に、客からの絶叫や雄叫びが飛び出る。

 レースの際、自転車レーサーの車輪がまるでのような綺麗な音を出す。それは心地良い音で、目を瞑っていれば本当に波音と間違えそうなほど。

 しかし、今日に限ってはそんな音も聞こえない。代わりに客たちの発する声が無数に響く。

「頑張れ、大吉!!」

「遠増さーん、遠増さーん!」

義厚ヨッシー、頼んだ!1着、お願いしまーす!」

「飴谷くーん!飴谷くーん!」

「勝男!九州男児の意地を見せたれ!」


 特観席でレースを見つめる成行たち。周囲の客も、外で観戦する客同様に声を張り上げる。

 特観席に流れる実況を耳にしながら、成行は隣に座る見事に話しかけた。

「あれだと北日本は逃げる気だ。ここまでは想定通り」

 成行は周回中の選手たちを指さす。

「九州があの位置だと、北日本に合わせる気かしら?」

 見事も周回中の選手たちに視線を向ける。


「仮にそうだとすると、残り2周でどう動くか?九州コンビが前を切るか、岡山や東日本もどう対応するか・・・」

「競輪って本当に推理よね?」

 見事の言葉通り、競輪とは本当に推理なのだ。レース展開を読みながら、その結末を占う。そう考えれば、ミステリー好きには競輪は相性が良いかもしれない。


 レースは残り3周のタイミングに差し掛かる。選手たちには、残り3周を示す周回掲示板が見えていることだろう。残り3周のタイミング、所謂『青板あおばん』周回だ。

 これは残り3周を示す周回掲示板が、に残り3周を示す『3』という数字が表記されているから。


 残り3周に差し掛かった段階で、選手たちに動きが出る。

 ⑥④⑧、⑦②の順番で並んでいた東日本混成ラインと岡山ラインが後方に注意を払い始める。それぞれラインの先頭を務める⑥海野と⑦大野が、⑨⑤の九州ラインと①③の北日本ラインの動きを警戒し始めた。

 残り2周半を過ぎた段階で、各ラインのスピードが心なしか緩くなる。

 すると、隊列の最後尾にいた①③の北日本ラインが動く。と同時に、⑨⑤の九州ラインも北日本ラインに併せて動き始める。


 2センター(3コーナーと4コーナーの間)を抜けるタイミングで、①③が上昇し始めた。

 しかし、⑨⑤の九州ラインも、この内側を並走する形で上昇を開始。残り2周に差し掛かる。

 残り2周を『赤板あかばん』周回という。これは青板あおばんと同じような理由で、残り2周を示す周回掲示板が赤い板に『2』と表記されているから。


 北日本、九州ラインの動きを警戒していた⑥④⑧の東日本混成ラインも動く。先頭誘導員が残り2周を過ぎたタイミングで競走路バンク内側に退避した。ここから先頭誘導員を追い抜いても問題無い。堰を切ったように各ラインの動きが激しくなる。


 競走路の外側を一気に仕掛けようとする北日本の2人。しかし、九州コンビも内側から合わせ続ける。

 1センター(1コーナーと2コーナーの間)に差し掛かるタイミング。ここで北日本勢に先んじて、九州勢が隊列の先頭を行く東日本混成ラインを追い抜こうとした。

 これを目にした成行が、「九州が切る─」と、呟く。

 このとは、隊列先頭にいるライン(又は選手)の前に躍り出て、他のラインの動きを誘う戦術。今のレースで言えば、九州ラインが東日本混成ラインの前に躍り出ることをいう。こうして、さらに他のラインを誘き出そうとしている。


「これで北日本が来る!」

 成行は興奮気味の声で見事を見た。

「えっ?成行君、あれ!」

 見事が驚いた表情で競走路バンクを指差す。

「何っ!?」

 同じくそれを見た成行も驚きを隠せなかった。

 思わぬことが起きた。九州ラインの動きに対して、東日本混成ラインが合わせたのだ。九州ラインに前を切らせなかった。その瞬間、場内がどよめく。東日本混成ラインが


「混成ラインが突っ張ったわ!」

「マジか!逃げるのか、海野!?」

 成行と見事は目を丸くして見つめ合う。想定外の展開に、二人は思わず立ち上がって競走路バンクを眺める。周囲も似たような反応で、思わず席を立ち上がっている客がいた。

「おい。嘘だろ!?今日に限って、何で⑥が突っ張っるんだ!?」

 後ろの席の雷鳴も立ち上がる。それだけ予想外の展開なのだ。

「やめろ、海野!!逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだ!」

 どこか聞き覚えのあるセリフを放つ雷鳴。が、彼女の声も虚しく、⑥海野は引き下がらない。周囲の客も⑥海野が逃げようとする展開に声を張る。みな、⑥海野の逃げを期待していない。むしろ、ここでは余計なことをしているとすら感じている。


 九州ラインは東日本混成ラインに合わされて、そと並走へいそうを強いられる。東日本混成ラインの後ろは岡山の2人が死守している。九州ラインに入り込む余地が無い。

 そして、レースは運命の打鐘ジャンを迎える。競輪では残り1周半のタイミングで鐘が鳴る。これを打鐘だしょうというが、『ジャン』という選手やファンも多い。


 打鐘で場内のボルテージが上がる。観客から絶叫が上がる。まるで暴風雨のような声が場内を包む。

「行けぇ、大吉!地元の意地を見せろ!」

「チャンス、チャンス!大野君!」

「飴谷、はよ行けや!ドアホ!」

「勝男、アホか!早く降ろせ!番手、奪え!」

 打鐘が歓声と怒号で掻き消される。それほど客の熱量が凄まじい。


 2センターで加速する⑥④⑧の東日本混成ライン。この後ろには岡山⑦②の2人。位置を取れなかった九州ラインは、隊列の外側に浮いてしまっている状態。そこを透かさず①③の北日本ラインが捲くって来る。


 最終ホーム(残り1周)に差し掛かる時点で、北日本ラインが九州ラインを追い越した。

 しかし、東日本混成ラインの勢いが良い。スピードが落ちない。しかも、その後ろに入った岡山ラインも隙きを一切みせない。それどころか、北日本の2人の行く手を阻む。これにより北日本ラインは実質5人ラインを相手にしなくてはならない。


 最後の1センターを抜けて、選手たちが最終バックストレッチに差し掛かる。残り半周だ。

 懸命に先頭を走る⑥海野。番手の④伊万里が車間を開けた。これは最後に捲くってくる選手に合わせるため。そうして、他のラインの捲りをブロックするのだ。


 負けるわけにはいかない北日本ライン。渾身の一撃。最後のスパートする。あっという間に東日本混成ラインの横へ来た。

 しかし、この瞬間を待っていたかのように、④伊万里と⑧青澤が北日本ラインをブロックする。勢い良く来た①飴谷の動きが止まった。勢いを削がれて④伊万里を追い越せないのだ。③遠増も⑧青澤のブロックを受けて前へ進めない。


 観客たちの絶叫やが一層大きくなる。特観席の中も外も、客の放つ声で青空が裂けそうだ。

「あああっ!終わったぁ!!」

「大吉が来ちゃうよ!!」

「伊万里くん、伊万里くん!!」

「大野、はよ行けや!!合わせろ、ボケ!!」

「青澤さん、行ける!!」

「まだ行けるで、勝男!!頼む、何とかしてくれ!!」


 最終2センターで北日本ラインをブロックした④伊万里と番手の⑧青澤が動く。が、その2人の内側から岡山の⑦大野と②来生も動く。

 今度は④⑧が、内側から⑦②に競られるような形になった。そして、一旦は位置を失った九州ラインも最後のチャンスを伺い、捲りを仕掛ける。


 2センターを抜けた。もうここまで来れば、最後の直線を突き抜けるだけ。ゴールする瞬間の周回掲示板『決』の文字が表示されている。


 ④伊万里が⑥海野を抜いて先頭になった。僅かな差で⑧青澤が続く。

 が、懸命に走る2人の間に岡山の⑦大野、②来生が捲くってきた。九州の2人も諦めずに僅差で迫っている。

 岡山の2人が、④伊万里と⑧青澤の間に入り込んだ。最後の直線で4人の選手が並走になった。


 その時だ─。


 バチンっ!!!ガシャン!!


「「「「「わあああああっ!!!!」」」」」


 場内の歓声が一瞬で嘆き声に変わった。








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る