秘められた炎

 * * *


 マリウスのおかげで霧の晴れたクウィルは、王宮図書館に引き返し、ラルスを連れ出した。

 そのまま王城に向かい、ラルスの持つ正式な近衛の肩書にすがって王太子を呼び出す。礼の欠片も無い呼び出しはあっさりかない、王太子専用の応接室に通された。


 豪奢ごうしゃでやたらと尻の沈むソファに座り、待つことしばし。

 現れたレオナルトの姿に、クウィルは顔をしかめた。


「なぜ、殿下おひとりなのですか」

「おまえな……王太子妃というものは、呼び出してほいほい出てくる存在じゃない。俺だって相手がラルスでなければ即座には会わん」


 本命のユリアーナがいないとあっては仕方がない。時間が惜しい。クウィルは別件から片付けることにした。


「では、先に殿下と兄上に。聖剣に触れたときのことを教えていただけますか」


 レオナルトとラルスは顔を見合わせた。ふたりしてあごに手を添え、似たような姿勢で考え込む。


「闇の中にいたのは、なんとなく覚えているかな。うねうねとしたものが、殿下と私を引きずり込もうとした。そこに光が差して。気がついたらもう、オルガ様の腕の中だった」

「あれが、聖剣の内側……なんだろう」


 聖剣にも、転移術を模倣したものがかけられている。だがその術は、内にある魂を外へ導くためのもの。新たな魂を引き込むものではない。記録にはそう書かれていた。

 

 ならば、ふたりの魂を引きずり込んだのは、リングデル王の転移術だ。

 

 そして、母オルガは転移術に囚われたふたりを救った。

 呪術を解くための力――解呪で。


「オルガ様は自分の血を俺たちの口に含ませたらしい。ベツィラフトのまじないだとかでな」

「そうそう! 私はさておき、あとからレオは水責めみたいに口を洗われて!」

「……ラルス、そこは思い出させるな……」


 相変わらず、私的な場でこのふたりが揃うと雰囲気が緩む。そんな緩みに乗って肩の力を抜き、クウィルは冷静に尋ねた。


「やはり転移術は、解呪で破ることができるんですね?」


 隣のラルスが、ぴくりと肩を震わせた。


「クー。それは駄目だ」


 テーブル越しのレオナルトは、前のめりになってクウィルとの距離を詰めた。


「転移術には挑むな。おまえの命が削れる」


 強い言葉に、クウィルは長い吐息を返した。


 最も被害を抑え、リネッタを解放する方法。

 明白だ。呪術で転移術を破ればいい。聖剣にこめられた模倣の術とやらも、おそらく解呪と似たようなものだろう。


 クウィルの解呪で、ベツィラフトの魂を聖剣からすべて引き剥がす。そうすれば、王は魔獣を使役する術を失う。リネッタにかけられた契約を解くのに、何の障害もなくなる。


「他に、道がないでしょう」

「まだ五日だよ。クーが焦る気持ちはわかるけれど、そう結論付けるには早すぎる」


 ラルスはクウィルを引き留めるように、手を強く握ってくる。


「その道は、陛下がオルガ様に強いたものだから。そうなって欲しくなくて、父上はクーを呪術から遠ざけてきた。私も、殿下もそうだよ」

「だからおまえを近衛で預かると決めた。俺の配下となれば、陛下でも簡単には手を出せない」


 ありがたい言葉だ。それが余計に苦い。自分が守られている場合ではないのに。


「クー、わかって欲しい。オルガ様でさえ命がけだったのだから。他に道を探そう」


 クウィルにもわかっている。あまりに分の悪い賭けだ。

 呪術を試す場がない。すでにベツィラフトの命は失われ、教えを乞うことも、他者の呪術に触れることもできない。

 この状況で、オルガを上回る術者になるなど、とんだ夢物語だ。


「ザシャとともにあらゆる秘術を研究してもらう。それが、リネッタ嬢を救う道に繋がるはずだ」


 気の遠くなるような話に、クウィルは拳を握りしめた。


「ですが……セリエス嬢は聖堂に留まっています。このままでは、彼女の心が持ちません」

「わかっている。彼女には、無理にでも巡礼に――」


 ガタンと、荒く扉が開かれる。

 飛び込んで来たのは、王太子妃ユリアーナだった。

 レオナルトが慌てて立ち上がる。ユリアーナは飛び込んできた勢いそのままに、レオナルトの腕に飛び込んだ。


「どういうことです、殿下。リネッタはちゃんと巡礼に出たと、そうわたくしに仰ったではありませんか」

「……伝えれば、リアが心配するだろうと思った」

「わたくしに嘘をついたのですか。では……ではリネッタはずっと聖堂に?」

「そうだ。この五日、リネッタ嬢は聖剣の間にいる」


 ユリアーナが顔色を無くし、その場にへたりこむ。


「止めて、ください」

「リア?」

「止めて。お願いです! リネッタを止めて!!」


 ユリアーナが叫び、レオナルトの身体にしがみつく。クウィルはユリアーナの元に駆け寄った。


「やはり妃殿下はご存知なのですね?」

「クウィル? どういうことだ」


 リネッタがもしも、何か策を秘めているならば。それを誰かに明かすとしたら。

 彼女の最後の望みを託すほどに信頼を置いた、ユリアーナしか考えられない。


「セリエス嬢は何をする気ですか」

「あるのです、ひとつだけ。全てを終わらせるすべが。でもっ!」


 ユリアーナの手は、華奢きゃしゃな身体からは想像もつかない強さでクウィルの腕を掴んだ。


「卿、どうか今すぐ契約を解いて……リネッタが死んでしまう!」


 * * *


 二年の巡礼。四つの神殿。その初めのひとつで全ての感情がぎ落とされた。残る三つの神殿は飾り物だ。聖女がアイクラント各所を巡るのは、聖堂の存在意義を示すためでしかない。

 聖堂にとってか、王家にとってか。都合の良いものとして使われる聖女。正しく自分の立場を理解したのは、何の感慨も抱けなくなってからだった。


 逃げる意思も、壊れるためのなげきもない。人形となったリネッタに、聖剣はここに到るまでのおとぎ話を語った。


 聞けば聞くほど、始まりの娘と自分を同じものと結びつけるのが、どうにもに落ちなかった。


 本当に魂はそのまま巡るのか。巡ったとして、新たに生まれ落ちたときには、別のものに書き換わるのではないか。抱いた疑問をそのまま投げ掛けると、聖剣に眠る王は嗤って答えた。


 ――人形となった今のおまえにならば聞こえよう。おまえの内にいるあわれな娘の声が。


 言われたとおり、自分の内側へと意識を向けた。

 初めはかすかに。しだいにはっきりと。

 アイクレーゼンは臆病だった、信じなかったのだと。湿っぽく、泣いてばかりの声が聞こえてきた。





 この五日間、リネッタは自分の内に眠るその声に、何度も呼びかけてきた。

 優しく、聖女らしく。

 悲嘆ひたんにくれる十六歳の娘を慰め、呼び続けてきた。社交の笑顔で、時に押して、時に引いて。

 だというのに、声はリネッタを無視する。やれ悲しい、やれ寂しい。しまいには、かの王すら哀れなのだと言い出す始末だ。


 人をこれほどに蹂躙じゅうりんしておいて。こんなにも汚しておいて。

 それを哀れとは。


「笑わせないで」

 

 ベツィラフトの解呪の力。そんな奇跡に期待をしたことは無かった。ねだるつもりもなかった。

 けれど彼はくれた。リネッタに、抵抗するための怒りを取り戻してくれた。

 リネッタ・セリエスの英雄。クウィル・ラングバート。


「怒りの心がなければ使えなかったのでしょうね。腹立たしいけれど、そういうものなら仕方がない」


 誰ひとり抵抗もせず、粛々と使い捨てられてきた。上品な人形として王家に引き取られ。死んで、生まれて、また踏みにじられて。

 自分の内にこれほど強大な武器が眠っているというのに、何人もの聖女がそれを使うことなく終わってきた。

 クウィルに出会えなければ、リネッタも彼女らと同じだったかもしれない。

 けれど出会えた。だから、戦える。


「わたしが使います」


 ベツィラフトに呪術があり、リングデルに転移術があるように。アイクレーゼンにもまた、魂に作用する術があった。


 王の娘だけが持っていた力。感情を奪われたために封じられた、名前すらない秘術。 

 いかなる魂をも焼き尽くす、強き炎。


「寄越しなさい」


 リネッタは、内に眠る始まりの聖女に命じる。

 押しても引いても動かないなら、交渉はしない。慈愛の聖女の仮面を捨て、したたかなリネッタとして要求する。

 魂が何者であろうと、ここにいる自分はリネッタ・セリエスなのだから。


「いつまでもわめいていないで、わたしにその秘術を寄越しなさい!」


 * * *


 クウィルは黒騎士団詰所に飛び込み、ギイスの部屋へ走った。

 すれ違う元部下たちが何事かと追いかけてきて、団長室にたどり着く頃には後ろに集団ができていた。


「団長!」


 ノックも挨拶も忘れる、ザシャのような無礼さで扉を蹴破る。古びた扉の蝶番が外れて、扉はおかしな角度で床を削って止まった。


「元気そうだな?」


 目を丸くしながら言うギイスに、クウィルは頭を下げた。


 契約を解呪した瞬間に訪れるだろう絶望的な加護の切れ間。今の騎士団にとって、過去最大規模の総力戦になる。その可能性。

 恐ろしいことを頼もうとしている。自分を受け入れてくれた仲間たちに。


「……騎士団の力を、私にお貸しいただきたく参りました」

「ほお。何がしたい?」


 ギイスが愉快なものを見るように問う。頭を上げたクウィルの眼裏まなうらに、どうしてかリネッタの背中が見えた。雨の中で背筋を伸ばした、一切の迷いを振り切るような凛とした姿を。

 襟を正し両足に力を込めて立つ。背筋を伸ばしギイスを見据えた。


「私の婚約者を迎えに行きます」


 途端、クウィルの背後で歓声が上がった。


「そうこなくちゃ!」

「おい誰か、隊長の騎士服持って来い!」


 熱気に圧倒されるクウィルをよそに、いつもの黒騎士らしいお祭り騒ぎが始まる。


「待ってくれ……私は騎士を辞した身で」

「階級章は外しますって! 防護外套ぐらい着ていかないとお姫様を守れませんよ!」

「いや、しかし――」


 焦るクウィルの前に、見慣れた剣が差し出された。

 にっかりと笑うのは、ザシャだ。


「まぁ、皆お待ちかねってこと」


 そうだそうだと、拍手と歓声がザシャを支持する。ギイスは見逃すと言わんばかりに目を閉じ、クウィルの肩には馴染みの黒い騎士服がばさっとかけられる。


「ほーれ。臨時騎士見習いのクウィル・ラングバート殿。我ら黒騎士、返り血浴びても金銀降らず?」


 ザシャにうながされて。仲間に背を押されて。

 クウィルは剣を手に、苦笑混じりで応えた。


「……ただ絆のみが、永劫のとみ

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