第二章 ラングバートの赤目

逃げ出した翌朝

「それで逃げてきたのか!」


 黒騎士団、団長室に朝から笑い声が響く。地鳴りでもしそうな豪快ごうかいな声の主は、ギイス・キルステン団長。よわい四十の大男である。

 細かな傷のあるあごをさすり、刈り込んだ明るい焦げ茶の頭を掻いて、ギイスはおかしそうに目を細めた。萌黄もえぎの瞳はアイクラント南方に多い特徴だ。


 今朝のクウィルはくように朝食を口に放り込み、どたばたと身支度を整えて宿舎に逃げ帰った。それでも、もやもやとしたものは振り切れず、まだ早いが修練場で剣でも振っておくかと宿舎を飛び出したところでギイスに捕まった。


「そう頭から疑ってかかるもんじゃない。かの聖女様は興味本位でおまえに近づくほど、物事に興味を抱けるかたじゃあるまいよ」

「しかし。そうでなければ、私を指名した理由がわかりません」

かたくなだな、相変わらず」


 呆れ声のギイスに、肩をすくめて応じる。

 クウィルに剣を与え騎士団に拾い上げたのはこの男だ。クウィルを十二の頃から知っていて、もうひとりの親のようなものと自称する。クウィルもそう思わなくもないが、業腹ごうはらなので面と向かって同意したことは無い。


 クウィルは窓の外、修練場の一角を見下ろしてため息をついた。


「で、あの人だかりは何です?」

「おまえのつらをひと目見てやろうと集まった見物客だ」

「こちらは闘技場ではなく修練場ですよ?」

「白騎士が独断で通しよった。連中、聖女の婚約がかなり不満らしいなぁ」


 クウィルとリネッタの婚約は、昨日リネッタが聖堂を出たことで正式なものとなり、王家から公表された。

 聖女の婚約者が王族どころか貴族の嫡男でもない。たちまち王都を駆け巡ったこの話題に、朝から都中が沸いているらしい。


 二年もの間旅の護衛にあたった白騎士からでなく、関わりのなかったはずの黒騎士が選ばれた。これが名門貴族の子息が集まる白騎士団の矜持きょうじを傷つけた。今日の訓練は、向こうからの申し入れで白黒合同の模擬戦もぎせんに変更された。決まったのは昨日、クウィルが屋敷に向かった後のことだ。

 黒騎士団の面々は実に愉快とこれを快諾かいだくした。断ってくれる思いやりの心は無い。むしろ、降って湧いた仲間のとんでもない縁談を、祭りか何かのように思っているふしがある。


「こんな状況で、私にも模擬戦に出ろとおっしゃる?」

「喜べ、クラッセンきょう直々じきじきのお誘いだ」

「ぐ……」


 クウィルの喉が、つぶされたかえるのような音を立てる。

 よりによって、マリウス・クラッセン。クウィルの同期入団者にして、白騎士団の第二隊長を務める男。彼はまさに聖女の護衛を務めた隊長である。模擬戦の発案者は彼なのではあるまいか。


「セリエス嬢も、素直にクラッセン卿を指名すればよかったものを。侯爵夫人で安泰あんたい、世間も納得の人選だったはずなのに」

「俺に言われてもなぁ。聖女様のお気持ちは聖女様にしかわからんよ」


 団長のギイスにも、同僚たちにも、白騎士にも国民にも同じだ。

 おそらく現状、誰もが思っている。

 なぜ、クウィル・ラングバートなのかと。


 結果、修練場には観客が詰めかけ、ただでさえ手狭なところがさらに狭く。白騎士は異議ありの姿勢で、同僚は祭りなのである。

 眼下の修練場には、こんな騒がしい状況でも剣を振る同僚たちの姿がある。


「ご迷惑をおかけします」


 口を突いて出た謝罪は、仲間たちすべてに向けたもの。クウィルという異物を団に迎え入れてくれた皆に対して、こんな状況を招いたことが申し訳なかった。


「自分のめでたい話を、そんな風に扱うな」


 これは、めでたいと言えるのだろうか。クウィルにとっては厄介ごとでしかない。


「それで模擬戦は公開、ということになってしまったわけですね」


 本来の公開戦は年に一度。王と王太子も顔を見せる秋の御前ごぜん試合だ。だが、今回は白騎士団からの提案で臨時公開。名目は聖女の婚約記念。どんな記念試合だ。クウィルはひたすらに頭が痛い。

 自分がキリキリと晩餐をこなしている間に、騎士団では今日の組み合わせ表がせっせと組まれていたのだろう。はた迷惑な婚約だ。


 また盛大なため息をついたところに、団長室の扉が叩かれる。黒騎士団第一隊長のザシャ・バルヒェットが息をあららげて飛び込んできた。


「クウィル! おま、ちょっ……下!」

「あぁ、すまない。皆を騒がせて」


 こちらは明るい栗色の髪に緑眼。どこかで移民の血が混ざっていると本人は言うが、アイクラントにはよくある外見である。


 ザシャもクウィルの同期のひとりで、彼が第一隊、クウィルが第二隊を任されている。同僚であり、気の置けない友だ。

 その友は、クウィルの謝罪にぶんぶんと手を振って、だはっと息を吐いた。


「違う! 聖女様がっ、ここに!」


 息切れしながらの言葉に、クウィルはぎょっとして走り出した。


 下は今、見物人が殺到してお祭り騒ぎのはずだ。なんだってこんな時にと、つい悪態をついてしまう。

 

 昨夜あんな形でクウィルが話を切り上げたのだ。今朝も話したいそぶりのリネッタを取り合わなかった。

 だからといって、まさかここに乗り込んでくるとは。

 

 修練場に出る。

 見物人から距離を取り、日傘片手に木陰こかげにたたずむ婚約者の姿がそこにあった。

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