第二章 ラングバートの赤目
逃げ出した翌朝
「それで逃げてきたのか!」
黒騎士団、団長室に朝から笑い声が響く。地鳴りでもしそうな
細かな傷のあるあごをさすり、刈り込んだ明るい焦げ茶の頭を掻いて、ギイスはおかしそうに目を細めた。
今朝のクウィルは
「そう頭から疑ってかかるもんじゃない。かの聖女様は興味本位でおまえに近づくほど、物事に興味を抱けるかたじゃあるまいよ」
「しかし。そうでなければ、私を指名した理由がわかりません」
「
呆れ声のギイスに、肩をすくめて応じる。
クウィルに剣を与え騎士団に拾い上げたのはこの男だ。クウィルを十二の頃から知っていて、もうひとりの親のようなものと自称する。クウィルもそう思わなくもないが、
クウィルは窓の外、修練場の一角を見下ろしてため息をついた。
「で、あの人だかりは何です?」
「おまえの
「こちらは闘技場ではなく修練場ですよ?」
「白騎士が独断で通しよった。連中、聖女の婚約がかなり不満らしいなぁ」
クウィルとリネッタの婚約は、昨日リネッタが聖堂を出たことで正式なものとなり、王家から公表された。
聖女の婚約者が王族どころか貴族の嫡男でもない。たちまち王都を駆け巡ったこの話題に、朝から都中が沸いているらしい。
二年もの間旅の護衛にあたった白騎士からでなく、関わりのなかったはずの黒騎士が選ばれた。これが名門貴族の子息が集まる白騎士団の
黒騎士団の面々は実に愉快とこれを
「こんな状況で、私にも模擬戦に出ろとおっしゃる?」
「喜べ、クラッセン
「ぐ……」
クウィルの喉が、つぶされた
よりによって、マリウス・クラッセン。クウィルの同期入団者にして、白騎士団の第二隊長を務める男。彼はまさに聖女の護衛を務めた隊長である。模擬戦の発案者は彼なのではあるまいか。
「セリエス嬢も、素直にクラッセン卿を指名すればよかったものを。侯爵夫人で
「俺に言われてもなぁ。聖女様のお気持ちは聖女様にしかわからんよ」
団長のギイスにも、同僚たちにも、白騎士にも国民にも同じだ。
おそらく現状、誰もが思っている。
なぜ、クウィル・ラングバートなのかと。
結果、修練場には観客が詰めかけ、ただでさえ手狭なところがさらに狭く。白騎士は異議ありの姿勢で、同僚は祭りなのである。
眼下の修練場には、こんな騒がしい状況でも剣を振る同僚たちの姿がある。
「ご迷惑をおかけします」
口を突いて出た謝罪は、仲間たちすべてに向けたもの。クウィルという異物を団に迎え入れてくれた皆に対して、こんな状況を招いたことが申し訳なかった。
「自分のめでたい話を、そんな風に扱うな」
これは、めでたいと言えるのだろうか。クウィルにとっては厄介ごとでしかない。
「それで模擬戦は公開、ということになってしまったわけですね」
本来の公開戦は年に一度。王と王太子も顔を見せる秋の
自分がキリキリと晩餐をこなしている間に、騎士団では今日の組み合わせ表がせっせと組まれていたのだろう。はた迷惑な婚約だ。
また盛大なため息をついたところに、団長室の扉が叩かれる。黒騎士団第一隊長のザシャ・バルヒェットが息を
「クウィル! おま、ちょっ……下!」
「あぁ、すまない。皆を騒がせて」
こちらは明るい栗色の髪に緑眼。どこかで移民の血が混ざっていると本人は言うが、アイクラントにはよくある外見である。
ザシャもクウィルの同期のひとりで、彼が第一隊、クウィルが第二隊を任されている。同僚であり、気の置けない友だ。
その友は、クウィルの謝罪にぶんぶんと手を振って、だはっと息を吐いた。
「違う! 聖女様がっ、ここに!」
息切れしながらの言葉に、クウィルはぎょっとして走り出した。
下は今、見物人が殺到してお祭り騒ぎのはずだ。なんだってこんな時にと、つい悪態をついてしまう。
昨夜あんな形でクウィルが話を切り上げたのだ。今朝も話したいそぶりのリネッタを取り合わなかった。
だからといって、まさかここに乗り込んでくるとは。
修練場に出る。
見物人から距離を取り、日傘片手に
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