砂を食む晩餐会

 * * *


 リネッタ・セリエスはどうやら社交上手らしい。


 両親と兄妹がにこやかにリネッタをもてなす。対するリネッタは、例の上出来じょうできな笑みを浮かべて、こまやかに相づちをうち、うなずきや手振りを適度に使って会話をつなげる。


 この姿を見て彼女に感情がないなど誰も思うまい。夜会にも違和感なく溶け込むだろう。こぞって声をかけられるような立派な令嬢の振舞ふるまいだ。


 かたや、クウィルは。


 フィンガーボールを派手に転がし、ナイフとスプーンを間違え、突然呼び掛けられてむせる。呆れ顔の父が苦笑し、母は「あんまり素敵なお相手で、舞い上がってるのよ」と場を和らげる。

 舞い上がるどころか地に伏しそうだ。


 久しぶりのタウンハウスでの食事というのがまず落ち着かない。そこに、真意のわからない婚約者を添えられて、これで食事を楽しめというのは難題すぎる。


 この場にいる誰もがリネッタに感情がないことを承知している。だというのに、穏やかに時間が過ぎていく。

 まるで夜会を極限まで小さく詰め込んだようなテーブルにつき。砂をむように魚を咀嚼そしゃくしてのどに流し込む。

 騎士宿舎の今夜のメインは鶏の香草こうそう焼きだったなと、れ親しんだ食堂の空気を恋しく思った時だった。


「しばらく屋敷に戻ってはどうだ」


 父の提案に驚いて、水を気管に放り込んでしまった。ごっふと盛大にむせると、隣のリネッタがテーブルナプキンを渡そうとしてくる。それを右手で断って、クウィルは自分のナプキンで口元を整えた。


夜警やけいもありますし、ここから詰所までは移動に時間がかかりますから」

「だが、リネッタ嬢と交流する時間も大切だろう」

「急な討伐とうばつも入ります。討伐後に直接こちらへ来るのはあまり好ましくありませんし、戻る時間もさだまりません」


 黒騎士の仕事は、魔獣相手で予想がつかない。そして、どんなに人の役に立とうが汚れ仕事だ。血を浴び、体液をかぶって、負傷もよくある。黒騎士は圧倒的に宿舎暮らしが多い。

 聖女の加護がかけなおされたことで今後の討伐は減る。屋敷暮らしに切り替える者もいるだろうが、クウィルはこのラングバート家にけがれを持ち込みたくなかった。

 父はクウィルのそういう方針をとうに承知のはずだ。今さら生活拠点きょてんのことで口を出されるとは思わなかった。これも婚約の弊害へいがいか。


「さすがに今日はこちらに泊まるのでしょう?」


 母まで強気で押してくる。騎士としての暮らしが落ち着いてからはあまり引き留められることもなかったから、やんわりと断れる良い言葉が咄嗟とっさに見つからない。窓の外を見ればとっぷりと夜の藍色あいいろに変わった空が見える。


 もっと早く席を立つべきだったかと、腰を浮かしかける。すると、すかさずアデーレのひと言が飛んできた。


「兄さま、今夜はわたくしがデザートをお手伝いしましたの。お口に合うといいのですけれど」


 目ざとい。最後まで席を立つなと妹に釘を刺されてはもう逃走できない。クウィルは肩を落とした。


「明日の朝、宿舎に戻ります」


 向かいでラルスがくっくと肩を震わせた。その隣で、義姉あねのヒルデが口を開く。


「それでは、明日の朝食も皆そろいますね。楽しみです」


 義姉までもがクウィルの敵に回るとは。思わず、すがる思いでヒルデを見ると、なんとも温かな微笑みを返されてしまう。

 相も変わらず高い天井てんじょうを、うーんとあおいだ。この高さがまずもって落ち着かない。もっと低く圧迫するような天井が恋しい。


「皆さま、わたしを案じてクウィル様を引き留めてくださるのでしたら、どうかお気遣いなく。騎士のお仕事を邪魔するために婚約したわけではないのです」


 思わぬところに味方がいた。

 リネッタはテーブルを見回し、そして最後にクウィルに顔を向けた。


「今夜にでも、クウィル様は騎士団の宿舎へお戻りください。お時間をいただいてしまって申し訳ありませんでした」


 とても。

 悪いことをしている気分になる。


 アデーレの冷たい視線がクウィルを責める。婚約者にこんな気を遣わせて、兄さまったら紳士の風上かざかみにも置けないわ。そんな言葉が聞こえる気がする。


「明日の朝で、大丈夫です、から」


 完全に敗色はいしょくの小声だ。リネッタにも届くかどうかの声だが、彼女はしっかりと拾ってくれた。同じく小声で謝罪を返されて、クウィルはますます小さくなった。

 気まずい空気を、ラルスが拾ってくれる。


「こうでもしないと、弟は屋敷に寄りつかないのです。リネッタ嬢を口実こうじつにしている、というのが本当のところです」


 するとリネッタは、驚いたように口元に手を当てた。そしてにっこりと微笑む。


「お役に立ててなによりです」


 そのひと言でダイニングに和やかな空気が戻り、おりよくデザートが運び込まれてくる。

 アデーレが手伝ったといういちごのトルテをめながら胃に押し込んで、キリキリと絞めつけられるような晩餐会が終わるまでをひたすらに耐えた。

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