第4話 ブルックリン橋を買った娘3

「いい食いっぷりだねぇ」


 ルーシーズダイナー。この食堂にはカーブした長いカウンターに沿って背もたれのない椅子が並んでいる。

 フライドチキン。茹でた青豆。山盛りマッシュポテト。

 が。既に七皿め。


「取り敢えず十ドル」


「一セット三十五セントだから釣りを出さんとね。ほれ。アンタらの分のコーヒーと。お嬢ちゃんにはパイナップルをつけてあげよう」


「すまんね。ところで聞きたいことがあるんだが」


「そのチャイニーズの嬢ちゃんの事だろう?大学では噂になってないのかい?」


 ダイアー教授はウィンゲートに視線を送る。コーヒーを飲みながら。ウィンゲートは砂糖とミルクをぶちこんでからマント付きフードの娘にコーヒーを渡し、自分のコーヒーにも砂糖とミルクを黙って入れる。


「少なくとも学生の間では噂にはなっていないらしい」


 ダイアー教授はウィンゲートの態度を見てそう判断した。


「まぁ無理もないかねぇ。何日か前鉄橋の所でその嬢ちゃんと警官が揉めててね。まんまブルックリン橋だよ」


「アメリカは自由と民主主義。そして希望の国。なけなし財産を持ってユーラシアから船に乗ってアメリカに渡ってくる。誰でも金持ち。政治家。大統領になれるチャンスがある。アメリカはそういう国だ」


「服装からして密航者だろう。有り金全部ブルックリン橋」


「このアーカムの街にある鉄橋を貴方に売って差し上げましょう。料金所を造れば貴方は大金持ちだ」


「ニューヨークタイムズに載った詐欺師の手口だが移民は新聞なんて読んでないからね。見事に引っかかる。金を掠め取った男はその日のうちにアーカム駅から電車に乗ってるよ。それっきりチャイニーズの姿も見かけず噂も聞かなかったからてっきりミスカトニック川に飛び込んだと思ってたんだが」


 食器をフォークとナイフでつつく音が止んでいた。


「教授。この娘寝てますよ」


「久しぶりにゴミ箱以外からまともな食事をして幸せな夢を見ているんだ。死ぬ程疲れているんだろう。起こさないでやってくれ」


 教授は店主に紙とペンを借りるとサイン入りのメモを書いた。


「アーカム農機には私が行こう。君はそのレディを車まで運んで大学のアップマンホール。寮長のローラに頼むといい。それと注意点が一つ」


「アップマンホールは女子寮。入り口の一階ロビーから先には入るな。ですね。知ってますよ。単位以前の常識です」


「解っているならいい」


 ドロシーアップマンホールは千八百七十九年に建てられた女性用の寮である。ドロシーグレースアップマンの晩年となった千八百七十五年にミスカトニック大学に女子大生の入学を初めて許すことを条件に財産を大学に寄付したのだ。その資金を浸かって彼女の名前を冠したこの建物が建てられている。

 女性の学生。学者も含めて家族と共に住まない場合は三十歳までここに住まなければならない。

 建物内はきちんと整頓されており、清潔で家賃も安い。

 ホール一階入り口の待合室の丸テーブルの一つにウィンゲートと眠ったままのフード付きマントの少女。そして成人女性。当然ながら三十歳未満。


「要するにダイアー教授はこのチャイニーズの面倒を私に仰るわけね?わかったわ」


 考古学、人類学、言語学。発掘調査のついでに恐竜の化石分類まで手伝う眼鏡の似合う知的な美人はダイアー教授からの申し出を快諾した。


「宜しくお願いします」


 ウィンゲートはエリザベス・ヴァルヴルギス教授に礼を言った。


「大学生の殆どは白人だけど人種平等な観点からアフリカ、インディアンなどの人種を受け入れる枠が用意されている。まあ私がこうして女性教授なんて立場にいられるのも偉大なる先人達の努力の結果なわけで」


「今年のウィンタークイーンですからねエリザベス教授は」


「にしてもあのじい様どうして私に無断でエントリーシート書いてたのかしらねぇ」


「ん、んん・・・」


「あ、目を覚ましたみたいですよ」


「えっとチャイニーズみたいだから中国語でいいかしら?ニーハオ」


 言語学に理解あるエリザベス教授はフード付きマントの少女に語りかけると。


「なんだここは?貴様は誰だ?」


 少女は『流暢な英語』を話した。

 一方その頃。ダイアー教授はウェストハイストリートに存在するミスカトニッククラブにいた。ジョージ王朝様式のこの館にいるのはアーカムファースト銀行の頭取。宅地造成業を営むロバート・ベックス。ホテルミスカトニックのオーナー。そしてランドール判事がいた。


「嫁入り前の品格ある令嬢達が水着姿を晒すなどど。けがらわらしい。ウィンタークィーンコンテストなどというイベントは存在してはならんのだ」


「ランドール判事ともあろうものが大人気ない。いえ。皆様アーカムの精神(ゼーレ)とも言うべき方々にも関わらず少し取り乱しすぎではありませんか?」


「バカも休み休み言いたまえ教授。知っていたんだろう。あの女教授のスタイルが一番良いことを」


「私は服飾業者はではありません。但し全校生徒と教員の身分証明写真を閲覧できる立場にありました」


「ほれ見ろ!やはり貴様はあの女のスリーサイズを!!」


 長方形のテーブルを力強く叩くと一本一ドル七十五セントのベルモットが倒れた。


「大学の学生及び教員のものです。ミスカトニック大学では学生にアルバイトを紹介しています。しかしその中にメイドはあってもセックスワーカーはありません。真っ当な大学ですので」


 教授は水割りのバーボン六セントをゆっくりと口に運ぶ。


「ならば貴様はどうやって!!?」


「三角測量を用いました」


「三角測量だと?!」


「ギリシャ人がピラミッドの高さを測るのに使った手段です。現在では戦車砲弾の着弾測定にも使われています。着衣状態の写真ならば資料としていくらでも手に入りますので。隠し撮りではなく合法的手段で手にしたものです。裁判で私が訴えられる心配はありません」


「三角測量をそんな方法で!!」


「良かろう。この件は今夜の酒のツマミに充分。そう考えて不問とする」


「だが次は我々のルールの賭けに従って貰うぞ教授」


「大勝ちは赦さん」


「承知しております」

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