第4話 天空の塔基部

 天空の塔の基部は巨大な重量を誇る錘となっている。岩盤に直接埋め込まれた基部は天空遥か先の展望台の重量と綱引きをしているのだ。

 五百年前には大いに賑わっていたこの場所は今は人気がない。言ってしまえばこれは廃墟ですらない。どちらかと言えば雄大な大自然の奇跡というのが正解だ。大きな滝や砂漠の中のオアシスといった位置づけだ。

 地球のほぼ半分から見ることができる偉大なる人類が残したモニュメント。それが天空の塔だ。いつの日か、他の太陽系から訪れた者が最初に見るのがこの塔であることは間違いがない。

 俺は長い間これを登るのを夢見ていた。そのために登山のトレーニングまで積んでいたんだぜ。でもこの夢はきっと一生叶えることなく終わるのだとも思っていた。日々の探検に明け暮れ、夢を見るもそれに進むことなく、やがて衰え、今度は長老と呼ばれる身分になる。そして死ぬときにああ、あの夢を叶えておけば良かったと、そう呟くのだと、なかば諦めかけていた。

 それがこんな形で実現することとなろうとは。神様は慈悲に溢れていて、そして同時に限りなく残酷だ。空を飛びたいと願ったものを、大砲で打ち上げるような無茶なことを成さる。


 塔の基部はなだらかな丘となっている。丘は永久素材でできていてその上に土が積もって木が生えている形だ。高価な永久素材をふんだんと使っていることで、この天空の塔の当時の価値が分かる。さすがに人類の夢と希望のシンボルである。

 その木々の中心を抜けてようやく天空の塔の外壁にたどり着いた。壁にそって馬を走らせるとやがて本来の塔への入口が見えて来た。入口には設計段階から扉は設けられてはいない。

 俺はそこで馬から降りると馬の装備を剥がした。

「ここでお前は自由だ。これからは好きに生きろ」

 実際にはこの馬はどこか人間のいる場所を探し出してそこで面倒を見てもらうことになるだろう。人間と共存するように遺伝子が組まれているので基本的に野生には戻らない。

 馬の尻に一鞭くれて走り去るその後ろ姿を見送る。手近の村にたどり着くまでは何日もある。ブランガ・ウイルスは人間の体外に出て一日で消滅する。この馬からウイルスが広がることはない。


 俺は入口をくぐり、塔の中へと足を踏み入れた。

 永久ペンライトは持っていたが、それでも用意してきた松明を使った。使い慣れたものの方が安心感がある。


 塔の中心を通っているのは塔本体とも言える超単分子で構成されたロープだ。これらは全部で五本のロープで構成されている。一本のロープは蜘蛛の糸よりも細い繊維が千本合わさって作られている。この全長五万キロある繊維は一本まるごとが一つの分子として構成されている。全体を作り上げる原子の最外殻電子がすべて振動共有状態にあり、繊維を切るためにはこの巨大単分子全体を破壊するだけのエネルギーが必要になる。結果としてその細い一本で数百トンの加重に耐える能力がある。

 これらはすべて知識球から得た知識だ。もっとも知識だけあってもそれを再現できるだけの資源も技術力も人口も無いのが今の人類の現状なのだが。言ってしまえば知識球の知識は魔法みたいなもので、魔法の存在は知っていても、それを使える肝心の魔法使いがいないようなものだ。


 その超単分子のロープの周囲を軌道エレベータが上下するための空間があり、そのさらに外側を永久素材で作り上げた円筒が覆っている。

 電力が無いので軌道エレベータは使えない。だがこの円筒外殻のすぐ内側を螺旋階段が通っている。これは軌道エレベータの保守用であるが、もともとの設計にこれが取り入れられたのはあくまでも当時の法律的な問題だと何かで読んだ記憶がある。

 俺がこれから登らないといけないのはこの階段だ。高さは五万キロメートル。螺旋階段の全長はどのぐらいあるのだろう。

 そこまで考えて少しだけ後悔した。もっと楽な死に場所があったはずなのだが。

 それでも俺はこれを登るのだ。

 覚悟と共に俺は最初の一段に足をかけた。


 一度螺旋階段を登り始めると松明は不要だということが分かった。外殻のところどころが透明になっていて、外部から光が入るのだ。透明な永久素材なんて初めて見たと白状しよう。

 螺旋階段を一定の高さ登ると天井に突き当たった。

 螺旋階段の突き当りがドアになっていてそこで各階が分離されている。ドアは自動では開かなかったが、しばらく調べて、手動で動かせることが分かった。過去の技術者たちは塔の電力が消失したときのことまで考えていたようであり、そのことに俺は感謝した。

 ハンドルを回して扉を少しづつ開ける。開いた扉から風が吹き出し、一瞬過去の記憶が蘇って、俺は慌てて息を止めた。手首のチェッカーを覗きこみ、ごく普通の大気成分であることを確認してから溜めていた息を大きく吐いた。

 何のことはない。天空の塔の各階は気密ブロックになっているのだ。

 扉を抜け、次の階に進む。


 気密ブロックを五つ抜けた所で夜になった。小さな焚火を焚いて夜を過ごす。

 この大きさの円筒空間ならば内部で火を焚いても大した問題にはならないとの判断だ。

 小さな永久ペンライトを点けて口に加え、手元を照らす。これはあの遺跡から持って来た遺物の一つだ。この種の遺物は持ち運びが簡単でしかも結構な値で売れるので真っ先に回収される対象となる。

 日記帳に発熱ペンで今日の出来事を記す。これらも遺物の類で、結構な値がした代物だ。日記をつけるのは冒険者になって以来の習慣で、日記帳はすでに八割ほどが小さな字と絵で埋まっている。最後は自分の死を記すことでこの冒険日記は終わるのだと理解していた。誰が読むというわけではないが、それでも自分の人生の全てがこれに詰まっていると思うと、この習慣を止める気は無かった。

 携帯食を齧り、水を飲む。この塔の中に水があってくれれば良いがと思った。水は重い。だからあまり大量に持ち運べない。そして食料は二週間は無くても何とかなるが、水が無ければ三日で死ぬことになる。だがここから先は賭けだ。賭けることを恐れていては何も進みはしない。


 朝と共に次の工程が始まった。各ブロックはほぼ百メートルの高さ毎に区切られている。

 その内、新しいブロックのドアを開けるたびに、吹き出す風が強く長くなることに気づき、しばらく考えた後にその理由に気づいた。

 気圧だ。各ブロックは一気圧に与圧して封鎖されている。そのブロックの扉を総て開いてここまで来ている以上、空気はそれ自体の重さで下の階へと流れ続け、高度にあった本来の気圧に戻る。高い位置にあるブロックほどその傾向は強くなる。つまりこのままでは塔の中の気圧は塔の外の気圧と等しくなってしまう。これはまずい。

 それが分かって以来、ブロックを抜けた後は扉を必ず閉め直すようにした。

 下手をすれば塔の上に到達する前に真空の中に飛び込む羽目になっただろうと思うと、ぞっとした。


 そして俺はついに高度八千メートルに達した。

 そこでは塔の壁に大穴が開いて螺旋階段が完全に崩壊していた。

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