卒業式

口羽龍

卒業式

 秋山和希(あきやまかずき)は小学校6年生。都内に住んでいる。普通の男の子だ、小児がんであ事を除いては。


 和希が小児がんに侵されたのは小学校2年の頃だった。体育の授業中に倒れ、そのまま救急車で運ばれたという。それからしばらくは入院生活だった。その中で、様々な薬を飲まされ、髪が抜けた。毎日のように点滴を打ち、時には手術もした。


 小児がんであることは、入院した直後に告げられた。だが、本人には言わされなかった。強く生きてほしかったからだ。だが、長引く入院生活の中、和希は感じていた。自分は難病じゃないだろうか? そして、助からないまま、学校に戻れないまま、死んでしまうのでは?


 だが、和希がそれからずっと病院にいたわけではない。帰宅できたり、学校に行けた事もあった。だが、それは短期間で、すぐにまた長い入院生活に入ったという。その度に、同級生は温かい目で出迎えた。和希はそれがとても嬉しかった。


 今日は3月17日、明日は小学校の卒業式だ。だが、和希が出られるかどうかはわからない。だが、席は空けてあるという。もし来れたら、そこに来るように。先生たちは、希望を捨てていなかった。


 病室に1人の少年がやって来た。岡本幸弘(おかもとゆきひろ)だ。和希の幼馴染で、元気な頃はよく近所の公園で遊んだという。だが、和希が小児がんになって以降、まったく遊んでいない。また遊びたいのに。


「大丈夫かい?」


 入って来た幸弘を見て、和希は笑みを浮かべた。


「うん。みんな、どうしてるかな? 心配だよ」


 和希は窓の外を見た。長い入院生活の間、こんな景色を見るのがほとんどだ。もっと他の景色を見たいな。でも、それはいつになるんだろう。早く病気を治さないと。


「元気にしてるよ」


 それを聞いて、和希はほっとした。自分が来れなくて、どう思っているか、心配だ。早く治して学校に行きたいと思っている。だけど、いつになるんだろう。


「そう。なかなか来れなくて、ごめんね」

「いいよ」


 和希はみんなと行った遠足の写真を見ている。もう何年も遠足や社会見学に行っていない。遠足や社会見学に行ける彼らがうらやましい。去年の春にあった修学旅行もそうだ。あんなに楽しい思い出を作れたのに、自分は病院だ。もっと色んな所に行きたいのに。


「元気になって、みんなに会いたいな」

「みんなも心配してるよ」


 幸弘は涙を流している。どうして和希だけこんな目に遭わなければならないんだろう。和希は全く悪い事をしていない。ただ普通に生きてきただけなのに。


「そっか。じゃあ、早く元気になれるように頑張らないと」


 幸弘はカレンダーを見た。明日は卒業式だ。リハーサルはしっかりやった。いつ本番が来ても大丈夫だ。


「明日は卒業式だね」

「うん」


 和希は寂しそうな表情を見せた。なかなか学校に行けなかったけど、卒業式には行けるんだろうか? その手で卒業証書を受け取りたい。自分もこの学校の一員で、卒業生なのだから。


「行けるといいな」


 和希は卒業証書を受け取る自分を思い浮かべた。だけど、本当にもらえるんだろうか?


「そうだね。欲しいよね」

「あんまり行けなかったけど、僕は6年生の1人だから」


 幸弘は、和希が小児がんとわかった時の事を思い出した。今思い出しても、涙が出てくる。




 それは小学校2年生の頃だった。和希が入院している病院には、和希の両親と幸弘が来ている。担当医から重大な事を知らせると言われて、病院に来たという。


「し、小児がん?」


 母は絶句した。まさか、和希が小児がんを患っているなんて。どうしてそんな事になったんだろう。和希は何にも悪い事をしていないのに。


「はい。助かるかどうかはわからないですし、助かったとしても再発の可能性があります」


 担当医は肩を落としている。最善は尽くすが、再発が多い。果たして何回の再発まで持つだろうか? とても不安だ。


「そんな・・・」


 母は泣き崩れた。今まであんなに愛情をもって育ててきたのに、こんな事になるなんて。




 それ以後、和希は病院での生活が主になった。実家の部屋に置かれていたおもちゃや本が病室にある。まるでここは部屋のようだ。だが、ここは病室だ。


 幸弘は学校が終わると、よく病院に行き、和希に会いに来る事が多い。和希といる事が、何よりも励みになる。そして、生きる力になる。


「大丈夫かい?」

「うん。みんな、どうしてるのかな?」


 夕焼け空を見て、和希は考えた。今日も下校時刻だ。みんなはどんな表情で帰っているんだろう。今日の学校も、楽しかっただろうな。だけど、僕は今日も学校に行けなかった。


「心配なの?」

「うん」


 和希は下を向いた。みんなと学校に行きたいのに。それはいつになるんだろう。いつ出れるかわからない。そして、今度学校に行く時には、僕の事を覚えているだろうか? とても不安だ。


「またみんなと学校に行きたい。そして、遊びたい」

「そっか。そのためには早く病気を治さないとな」


 幸弘は和希の肩を叩いた。和希は少し笑みを浮かべた。


「和希、大丈夫か?」

「うん」


 和希は元気がない。和希は感じていた。このままずっと病院にいるままで、助からないまま死んでいくんじゃないだろうか?


「まさかこんなに長く学校に来れなくなるとは。寂しい?」

「うん。早くみんなに会いたいよ」


 和希は涙を見せた。学校に行きたいのに、行く事ができない。学校に行く事がどれだけ楽しいか、和希は知っている。


「そうだよな。早く元気になって、帰って来てくれよ。和希も仲間なんだから」

「ありがとう」


 幸弘は病室を去っていった。和希は後姿をじっと見ている。




 幸弘は病室の窓から外を見ている。さくらは咲き始めた頃だ。4月の初めには見ごろを迎えるだろう。そしてその頃、僕らは中学生になる。


「色々あったけど、卒業か。来月から中学生だね」

「うん。中学校はもっと行けたらいいな」


 和希はこれからの中学校生活を思い浮かべた。中学生ではどんな事があるんだろう。どんな出会いがあるんだろう。楽しみだな。


「そうだね」

「早く元気になって、その先の高校にも行くんだ」


 和希はその先の高校生活も思い浮かべている。その頃には、病気を克服して、普通に学校に行けるようになりたいな。


「行きたいよね」

「うん」


 幸弘は病室を去っていった。和希は窓から外を見ている。明日はもう卒業式なのか。是非とも、自分も卒業式に行きたいな。




 そして翌日、今日は卒業式だ。両親は今日にふさわしい礼服できている。みんなとても幸せそうな表情だ。


 幸弘は友達と共に小学校にやって来た。小学校に登校するのは今日が最後だ。だけど、寂しくない。来月からは同じ中学校に行くのだから。全く寂しいと思っていない。


「今日は卒業式か」

「そうだね」


 と、幸弘は和希の事を思い出した。和希は今頃、何をしているんだろう。病院にいるんだろうか? それとも、小学校に来ているんだろうか?


「和希くん、来るのかな?」

「来てくれるといいね」


 と、後ろから、車いすに乗った1人の少年がやって来た。和希だ。まさか、来てくれるとは。


「あれっ、和希くん!」


 友達は振り向いた。そこには和希がいる。


「来てくれたんだ」

「うん。卒業式だからね」


 和希は満面の笑みを浮かべた。その後ろには母がいる。母は美しい着物を着ている。今日のために買った着物だ。


「ありがとう。そして、和希くんも卒業式、おめでとう!」

「ありがとう」


 幸弘と和希は、笑顔で学校に向かった。一緒に学校に行く事ほど、楽しい事はない。こんな事が中学校ではもっとあったらいいな。




 そして、卒業式が始まった。卒業式には、中学年や5年生の他に、保護者も来ている。みんな、卒業生を待っている。


「卒業生、入場!」


 その声とともに、卒業生がやって来た。歩けない和希は後ろを歩く生徒に押してもらって入場している。体育館からは割れんばかりの拍手が沸き起こっている。みんな、卒業を祝福しているようだ。


 卒業生が着席すると、卒業証書の授与が始まった。出席番号が1組の1番の和希は、一番最初に授与される。


「秋山和希!」

「はい!」


 他の卒業生のように立てない和希は、声を出す事しかできない。だけど、力強い。生きようとする力が伝わってくるようだった。


 和希が校長の元に向かうと、割れんばかりの拍手が起きる。みんな祝福している。なかなか学校に行けなかったけど、和希も大切な仲間だ。


「卒業証書、秋山和希」


 そして、和希は卒業証書を受け取った。すると、再び割れんばかりの拍手が起きる。戻っていく間、和希はいつの間にか涙を流していた。この光景が見たかった。この光景を見るために6年間、頑張ってきたんだ。


 卒業式の後、和希は教室にやって来た。久しぶりに来て、本当に嬉しかった。階段での段差は、みんなで担いでくれた。みんな待ってくれた。それだけで嬉しい。


「どうだった?」


 その横には、幸弘がいる。あまり遊べなかったけど、学校に行けなかったけど、和希は大切な僕らの仲間だ。だから一緒に卒業証書をもらえたんだ。


「本当に嬉しいよ。卒業証書もらって、最高だよ」

「1人でもらったんじゃないんだ、みんなでもらったんだよ!」


 幸弘は和希の頭を撫でた。とても素晴らしい事を言ったからだ。それを聞いて、みんなは拍手をした。みんなもいい事を言った和希をほめているようだ。


「いい事言ったな! 中学校でも、頑張れよ!」

「うん!」


 みんな笑顔で見ている。その笑顔は自分が卒業できたからではない。和希と一緒に卒業式を迎えられたからだ。




 それからしばらく経った頃だ。小学校では春休みに入った。だけど、幸弘は全く実感がない。もう卒業して、春休みに入ったからだ。来月からはいよいよ入学式だ。どんな日々を送るんだろう。3年生になったら高校受験も控えている。どんな高校に行こうか? まだ決まっていないけど、いずれは決めないといけない。


「もうすぐ中学生か。和希も楽しみにしているだろうな」


 その時、自宅にいた幸弘の元に電話がかかってきた。朝から何だろう。ひょっとして、和希の身に何かあったんだろうか? 幸弘は恐る恐る受話器を取った。


「もしもし。えっ、危篤?」


 何と、和希が危篤状態になったとの知らせだ。早く行かなければ。幸弘は慌てて家を飛び出し、病院に向かった。どうにか僕が来る時は生きているように。そして何より、また元気になれるように。


 それを見て、母は何があったんだろうと驚いた。


「どうしたの?」

「和希くんが危篤だって!」


 幸弘は焦っている。早く行かなければ。


「そんな!」


 それを聞いて、母は慌てた。それは早く病院に行かないと。


 約10分かけて、幸弘は病院にやって来た。病院はいつものように静かだ。だが、和希の病室は騒然としているだろう。果たして、和希は無事なんだろうか?


 幸弘と母は5階の病室の前にやって来た。だが、中からは何も聞こえない。安静になったんだろうか? それとも、死んだんだろうか?


 すぐに、担当医が出てきた。担当医は下を向いている。


「先生! 和希君は無事なんですか?」


 だが、担当医は首を横に振った。それを見て、幸弘は肩を落とした。和希は死んだようだ。


「そ、そんな・・・」


 幸弘と母は病室に入った。そこには白い布をかけられた和希がいる。信じられない。卒業式であんなに元気な表情を見せたのに。


「一緒に入学式、迎えたかったよな! それがかなわないまま逝っちゃうなんて・・・」


 幸弘はその場に泣き崩れた。目を閉じると、和希と過ごした日々が走馬灯のようによみがえる。それらの日々はもう帰ってこない。


「つらいよな・・・。だけど、乗り越えていかないと」


 幸弘は誰かに肩を叩かれて、横を向いた。そこには和希の父がいる。父も泣いている。


「うん・・・」


 幸弘は決意した。その別れを乗り越えて、中学校生活を頑張っていこう。きっと天国の和希も見ているだろう。




 4月7日、入学式を終えた幸弘は、和希の家の2階にある和希の部屋やって来た。幸弘は、今日もらった中学校の教科書を持っている。


「和希、元気にしてるか?」


 和希の部屋には、小さな仏壇がある。そこには、和希の遺影がある。元気だったころの姿だ。


 幸弘は、仏壇の前に教科書を置いた。そして、手を合わせた。


「これが中学校の教科書だ。天国でも勉強してるといいな」


 幸弘は立ち上がり、和希の部屋を去っていった。幸弘には見えないが、その様子を、和希の幽霊が見ていた。和希は嬉しそうにその様子を見ている。僕が生きられなかった分も、生き抜いてね。そして、人生を全うしたら、また会おうね。

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