第5話 ゴブリン野郎と呼んでくれ
園長は大事なことを説明しない節がある。
実は初出勤日のオリエンテーションでも、最も大事なことを伝え忘れていた。それをわたしが知ったのは、その翌日のことだった。
異世界のブリタニカからやってきたユニコーン様は、触ったら棘がささりそうなほどツンツンした気性をしている。けれど、それには理由があった。
ユニコーン様は故郷であるブリタニカから同意なく連れてこられた。そのせいで到着した時点でかなり不機嫌だったという。
普通の馬のように輸送され、飼育舎に閉じ込められ、高貴なるユニコーン様は怒りを募らせていた。そしてガラス張りの展示室を見て怒りが頂点に達したらしい。
<手前ら……我を見世物にでもする気か!?>
そして、大暴れ。ユニコーン様の美しさに見惚れていて気づかなかったが、よく見てみるとユニコーン様の飼育舎の壁には深々と抉られた傷跡がある。それが、その名残りなのだそうだ。
気にくわないことがあると暴れるユニコーン様は一般公開ができず、展示室は立入禁止の非公開になっている。入り口のトラロープは苦肉の策の結果だったらしい。
そのため、ユニコーンの飼育員の第一目標は「上手いことご機嫌を取って、展示に同意してもらうこと」なのだという。
「……そんなこと、聞いてないよぉ」
持っていた書類を投げ出して、事務所のデスクに突っ伏す。その拍子に積んでいたものが崩れてきて「わあっ」と目をつぶる。痛い。
目を開けると、中央図書館から借りた異世界の本が目前にあった。タイトルは「幻の生き物とその生息地」。希少本を研究目的で借りたものなので、破損したらなかなかの額の賠償金が……慌てて本を元に戻す。
「かなりまいってるな、メイ=リン」
目を向けるとコーヒーカップを持ったカルさんがいた。初めて目が合った時から変わらず悲しい表情でわたしを見てくる。なんだか惨めになるのでやめて欲しい。
「これから休憩ですか? カルさん」
「ヒッ! や、やめてくれ、そんな親しげに呼ぶのは! あのバケモッ……ユニコーンに聞かれてたら一体どうするんだ? 俺のことは『このゴブリン野郎』と呼んでくれって、何度も言ってるだろ」
「イヤですよ、そんなの……」
おかしなことを言うこの人、カルさんことカル=パスはユニコーン係の前任者だ。
大暴れをきっかけにユニコーン様を見るとひどく怯えるようになって、たった一週間で解任されたらしい。今も名前を口にしただけで、コーヒーをこぼすほど震えている。
最近はわたしと親しくするとユニコーン様が怒ると思い込んでいて、自分を蔑むように要求してくる。どうしてこうなったのか謎だけど、とんでもない被害妄想だと思う。
蔑んで欲しがるのは、カルさんの性癖が歪んでいるからではないと信じたい。それはもう園長だけでお腹いっぱいなので。
「こぼしてるわよぉ〜、このゴブリン野郎」
「あっ、リリアさん!」
思わず弾んだ声を上げると、濃いピンク色の目が優しく細められる。カルさんが「お前は普通に呼べよ、リリア」と口を尖らせるのを無視して、リリアさんはわたしの顔を覗き込んだ。
「か〜わいそうに、やつれちゃって。来る日も来る日も調べ物じゃあ、こうなっちゃうわよねぇ」
「あ、いえ、わたし勉強は好きなので調べ物はそこまで苦ではないんですけど……」
「あの悪魔……ユニコーンは、わがままだからな」
そう言ったと同時にカルさんは身体を小刻みに震わす。
そんな風に怯えるほどではないけど、ユニコーン様は結構わがままではある。必ず定時に顔を見せないと不機嫌になり、ブラッシングは満足するまで何時間も続けさせ、散歩では全力の追いかけっこを求められ、帰りはなかなか解放してもらえない。
今は貴重なお昼寝タイムに飼育舎を抜け出して、お昼休憩を取っていたところだ。
「ブリタニカ大使館に問い合わせてみるって言ってたじゃない、アレはどうだったの~?」
「それが……」
さっき放り投げてしまった書類を拾う。
本日届いたそれは、羊の皮をなめしてつくられた紙に立派な蝋印が押されている。ブリタニカ大使が発行した正式な書面だ。
「あら、外界語表記じゃな~い」
「なんて書いてあるんだ?」
覗き込んできた二人は内容が気になるようで、わたしに問うような視線を向けてくる。
そんな期待に満ちた目を向けられたら、読まずにはいられない。沸き上がる恥ずかしさを堪えて、わたしは翻訳した内容を読み上げる。
「嗚呼、我らがユニコーン!
君の頭上はいつも太陽が輝き、雲の
黄金の蹄は枯れた大地に精霊の息吹を誘い、豊かな緑を
一角の煌きを悪しきものどもは畏れ、一突きで永久の闇に溶けるであろう。
神より我らに遣わされし使徒よ、母なる女王から離れて真珠の涙を零す君よ。
どうか“純潔の乙女”の清廉な腕に抱かれ、束の間の安息が得られんことを……」
読み終えて顔を上げると、リリアさんもカルさんもポカンとした顔をしていた。言いたいことは痛いほど分かる。
「ポエム?」
「ポエムだな」
「ポエム、ですよねぇ」
この手紙が理解できなかったのは、わたしの読解力不足のせいではないみたいだ。
わたしも二人とまったく同じ感想だった。なにも伝わってこない装飾過多な言葉の羅列に見える。こういう婉曲な文章を理解するのはちょっと苦手だ。
書類にもう一度目をやってから肩を落とすと、リリアさんが背中をさすってくれる。
「これ、飼育法を問い合わせたのよねぇ?」
「はい……恐らくですが、開示したくないのだと思います。園長が言うには、ブリタニカを実質的に支配している国の王権を象徴するのがユニコーンらしく。飼育法の漏洩を恐れているのかも知れません」
飼育法を伝えずに希少生物を貸与するなんて、まるで相手界との軋轢を望んでいるような対応だ。外交についての下手な憶測は避けた方がいいが、これでは邪推もしたくなる。
いずれにしてもユニコーン様が人間の政治に巻き込まれているのは間違いない。リリアさんは「なにそれ、最低じゃな〜い!」と憤慨した。カルさんも難しい顔で腕組みをする。
「だとしても、ポエムで誤魔化すのが一世界の大使館がやることかよ。やっぱ上から下までイカれてるな、ブリタニカは」
「コラァ〜、異世界の悪口言わないの〜!」
「自分だって悪態ついてただろ!」
言い合いをはじめた二人の間には遠慮がない。二人は同期入社らしく、リリアさんは「アイツが新入社員時代にゴブリンに脅されて泣いたのは傑作だったわ〜」と楽しげにカルさんの話をしていた。それに引きかえ、今月入社したのはわたしだけ。
(こんな風に言い合いができる相手、わたしも職場に欲しかったな)
二人を羨ましく見つめていると、その先にある壁にかかっている時計の針の位置に気付く。そろそろユニコーン様が目を覚ます時間だ。
「あっ! わたし、もう行きますね」
「死ぬなよ、メイ=リン……俺には無事を祈るしかできない」
「カルあんたねぇ、メイちゃんに不吉なこと言わないの~!」
戦地にでも送り出すようなことを言うカルさんの頭を声を荒げたリリアさんが引っ叩いた。また言い合いをはじめた二人に、わたしはフフッと笑う。
カルさんも、リリアさんも、言い方は違ってもわたしを心配してくれている。仲良くできる同期はいなくても、いい先輩に恵まれたことに感謝して頑張ろう。
「それじゃあ、行ってきます!」
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