第03/23話 怪訝
「ここで嘘を言うほど、わたしは意地悪ではないわよ」嬰佐は、ふふ、と楽しそうな笑い声を上げた。
「ありがとうございます!」虎義は思わず大声で言った。近くの通行人が、気持ち悪い物を見るような視線を向けてきたが、少しも気にならなかった。「それで、その……おいくらで売っていただけるのでしょうか?」スタンダード・ハンドレッドは、その性能に負けず劣らず、値段も高い。
(おれたちに買える額ならいいんだが。まあ、こうして、わざわざ連絡してくれる、ということは、とても手が届かない、というような価格ではないんだろうが……)
「その件なんだけど、提案があるの。ほら、この前、臼場くん、『コンパティブル・アンクレット』を持っている、って言っていたでしょう?」
コンパティブル・アンクレットとは、プロセス・フィールドのグッズだ。(そう言えば、嬰佐さん、あの番組の大ファンだったな……おれとは違って、現在進行形で熱狂している、って言っていたっけ)
「あれを譲ってくれないかしら? そうしたら、引き換えに、スタンダード・ハンドレッド、タダであげ──」
「わかりました!」
嬰佐の台詞が終わるよりも前に、虎義は答えた。小学生の頃ならともかく、今となっては、コンパティブル・アンクレットは、それほど大切なグッズではない。なにより、他でもない、スタンダード・ハンドレッドが手に入る機会なのだ。逃すわけにはいかない。
「……それで、ええと……いつ、頂けるのでしょうか? 今日、これから、そちらに伺っても、かまいませんか?」
「いいわよ。店の玄関には、『定休日』のプレートが掛けられているけど、そのまま入ってもらって、かまわないから」
「ありがとうございます。それでは、今から向かいます。失礼します」
そう言うと、虎義は、通話を終了した。ケースの蓋を、ぱたん、と閉じて、スマートフォンを、ズボンのポケットにしまう。瑠子のほうを向いた。「瑠子! 朗報だぞ!」嬰佐と話した内容を伝えた。
「まさしく、朗報ですね!」彼女は、ぱあっ、と顔を綻ばせた。「まさか、スタンダード・ハンドレッドが手に入るとは……夢にも思っていませんでした!」
「おれは、今から、家に戻って、コンパティブル・アンクレットを取った後、レコスタ電商に行こうと思う。もちろん、瑠子も来るだろ?」
「はい、もちろんです」彼女は、こくり、と顎を引いた。
その後、虎義は、瑠子と別れて、家に向かった。到着すると、真っ先に自室へ向かう。クローゼットに乱雑に押し込んでいる、プロセス・フィールドのグッズの中から、コンパティブル・アンクレットを取り出した。それを、丁寧に梱包すると、百貨店の紙袋の中に入れた。
(そうだ、念のため、「エクステンション・ブレスレット」も持って行っておくか……)
エクステンション・ブレスレットとは、プロセス・フィールドのグッズだ。以前、嬰佐と交わした雑談の中で、彼女は、これも欲しがっている、と喋っていた。
ただ、その時は、すぐに別の話題へと移ったため、虎義がエクステンション・ブレスレットを持っている、と言うことはなかった。そのため、今回、嬰佐は、コンパティブル・アンクレットのみを要求してきたのだろう。
(十中八九、ない、とは思うが……店に着いた後、もしかしたら、嬰佐さんに、「気が変わった」「コンパティブル・アンクレットだけでは、スタンダード・ハンドレッドを譲ることはできない」と言われるかもしれないしな。その時、エクステンション・ブレスレットを持っていれば、「コンパティブル・アンクレットに加えて、これも渡しますから、譲ってください」と交渉できる……)
そう心中で呟くと、虎義は、クローゼットの中から、エクステンション・ブレスレットを取り出した。それも、丁寧に梱包して、紙袋の中に入れる。
その後は、家を出て、牟点弐駅に向かった。改札口の前にて、瑠子と合流してから、構内に入る。
急行列車に乗り込んでから十数分で、
虎義たちは、車両中部の乗降口をくぐって、ステップを上がると、通路を進んで、最後部の座席に向かった。今は、彼ら二人以外に、客はいなかった。
虎義は、目当てのシートに到着すると、進行方向に対して右端に腰を下ろした。紙袋を、自分の体の右側、壁との間に置く。ショルダーバッグは、身に着けたままにしておいた。
瑠子は、彼の左隣に座った。トートバッグは、自分の体の左側に置いた。
(さて、どうやって、時間を潰すか……火鉄条、けっこう遠い所にあるからなあ。瑠子との雑談のネタも、電車で、ほとんと消費したし……)
そんなことを考えているうちに、新たな客が二人、車両中部の乗降口をくぐって、ステップを上がってきた。
一人は、若い男性だ。おそらく年上だが、成人してはいないだろう。肩に届くくらいの、黄茶色の髪を、ウルフカットに整えていた。瞳は黒く、目つきからは、軽薄な印象を受ける。身長は、虎義より一頭身ほど高かった。肌は日に焼けており、体は筋肉質である。薄い橙色の半袖シャツを着て、濃い橙色の半ズボンを穿いていた。
もう一人は、若い女性だ。彼女も、おそらく年上だが、成人してはいないだろう。肩に届くくらいの、赤茶色の髪を、蝶々結びにした紫色のリボンを使って、ツインドリルに纏めていた。瞳は黒く、目つきからは、気だるげな印象を受ける。身長は、虎義よりやや高く、胸は、同年代の平均より三回りほど大きかった。薄い紫色のベアトップブラウスを着て、濃い紫色のミニスカートを穿いており、青いリュックサックを背負っていた。
彼らは、車両後部に向かって、通路を進んできた。その様子を、なんとなく、ぼんやり、と眺めながら、虎義は、「ふあ……」と小さく欠伸をした。
直後、ふと、左前腕に、かすかな痒みを感じた。その箇所に右手を伸ばして、ぽり、ぽり、と軽く掻いた。
ぺり、という音がして、ぴり、という、わずかな痛みを覚えた。彼は、顔をやや顰めると、左前腕に視線を遣った。
虎義が掻いていた箇所は、小さな瘡蓋の上だった。それは、今は剥がれてしまっており、傷口からは、ごく微量の血液が垂れていた。
(面倒だなあ……)
虎義は、そう胸内で呟きながら、ショルダーバッグのファスナーを、じーっ、と開けた。それの内部に両手を入れ、がさごそ、と探る。しばらくしてから、小さなポリ袋を取り出した。
その中には、未使用の絆創膏が五枚、入れられていた。虎義は、それらのうち一枚を取り出すと、剥離紙を除いた後、傷口の上に、ぺたり、と貼った。
(これで、よし……)
虎義は、そう心中で呟きながら、ポリ袋をショルダーバッグの中に入れて、ファスナーを閉めた。剥離紙は、小さく丸めて、ズボンのポケットの底に突っ込んだ。視線を、前方に遣る。
虎義たちの目前にある二人掛けの席に、客がいた。それは、さきほど乗車してきた二人組だった。男性は、シートの、進行方向に対して右側に腰かけていた。女性は、左側に座っていて、腿の上にリュックサックを載せていた。
(……?)
空席は、他に、いくらでもあるのに、どうして、自分たちの目の前に座るのだろう。そう考えた虎義は、怪訝な視線を、彼らの後頭部に向けた。
しかし、そんな感情は、三秒も続かなかった。(……ま、どうでもいいか)と脳裏で呟き、視線を窓に移す。
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