第10話 印象派

 また、集中できなくなってしまった。

 木漏れ日を写生する。

 どうして?

 それにどんな意味があるのだろう?

 やっぱり、そうやってできあがるのは、シュールっぽい作品になるしかなく、そして、大家が描いた絵ならばともかく、高校生が描いたそんな絵が認められるはずがない。

 ふまじめな子だ。

 いや、違う。

 中野なかの絵美えみは、どこからどう見てもふまじめではない。

 ふまじめならば、もっと取っつきやすいはずだ。

 木漏れ日。

 ずっとずっと遠い太陽から、ずっと近くの、でも、手も届かないし、ジャンプしても飛びつけないぐらいには遠くの木の葉の陰が作ったまだら模様。

 遠い遠い太陽の光の線。

 そうだ。だったら、線を描いてみよう。

 太陽の光の射す線に沿って、同じ色を置いてみよう。

 あの五大ごだい先生は言っていた。

 印象派というのは、色の印象を塗ったのではありません。光の印象を色にしたのです。だから、どんなに普通に考えておかしな色であっても、印象派の絵にとっては、それは真実の色なのです、と。

 だったら、写生に光の線を載せてみよう。

 悠海ゆみは絵の具を細い絵筆に含ませると、日の高さを見きわめ、その線に沿って色を置いてみた。

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