第2話 磨ったばかりの墨の色

 悠海ゆみが運んできたのと同じ布張り椅子を出して座っている。

 同じ学校のセーラー服の制服。

 そして、おかっぱなのかセミロングなのか、肩のあたりまで伸ばした、髪質硬そうなのに癖のない髪。

 「やせっぽち」という表現の似合う、いや、その表現以外はどんな表現も似合わない表情の乏しい体。

 悠海は、服地の色の紺が深いかわりに襟の白いこの制服が嫌いではない。

 でも、この子が着ると、いかにもどんよりと曇った感じがそこに漂うようで、自分が同じ服を着ているのがいやになってしまう。

 その子。

 同じクラスの子。

 中野なかのさん。

 たしか、名まえは絵美えみといった。

 だから、中野絵美。

 見なかったことにして、黙って帰ろう……。

 そう思う。

 だが、それはできなかった。

 中野絵美は、ぱっと顔を上げ、両方の黒目で、じっと悠海を見た。

 すぐに目を伏せたけれども、その黒い目の印象は消えない。

 ったばかりの墨をたたえているような目だ。

 しかも、悠海を見上げたときに、その、小さくはないが薄っぺらそうな肩が、びく、と動いたのが見て取れた。

 「あぁ……」

 ほんとうに!

 ほんとうに、今日はろくでもない一日だ。

 どうして、いままで美術の時間にはいなかった絵美が、いまここにいるわけ?

 しかたがない。

 悠海は、不機嫌にその絵美の体を、もちろん絵美の顔も見ないですっと通り越し、そのすぐ向こう側にイーゼルを置き、椅子を開いて、座った。

 写生画だ。もともとここから描いていたので、場所を変えるわけにはいかない。

 絵美の体の前側にはまだ場所が空いている。しかし、手前に座ると、絵美の視線をさえぎることになる。それでは絵美のじゃまになる。

 ここはこの写生が始まった最初から悠海が使っていた場所なのだから、べつに絵美のじゃまをしてもかまわないようなものだけれど、絵美の前に座ると、絵美のあの磨った墨のような目にずっとさらされていなければいけない。それもいやだった。

 絵美の座っているところの後ろで道が狭くなっている。その狭くなっているところに座ると道が通れなくなる。

 だから、悠海は絵美の後ろに距離を取ることができない。画板とイーゼルは灌頂かんじょうだにの木立ちのほうに向けるから絵美にはぶつからないけど、椅子に座るとしたら絵美の背にぶつかるぐらいの場所しか開いていない。

 でも、しかたがない。

 もちろん絵美はあいさつの一つもして来ない。

 こんな狭いところで二人で前後に並んで絵を描くのに、声をかけもしない。

 ふだんの悠海ならば、相手にそんな態度を取られても、笑顔を見せるところだ。

 そして声をかける。

 「中野さんも、ここで描いてたの?」

とか。返事が来ないとわかっていても。

 それが大築おおつき悠海だ。

 でも、今日はもうそんな「大築悠海」は売り切れって感じだ。

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