木漏れ日の水彩画

清瀬 六朗

第1話 午後の独り言

 「なんでこんなことに!」

 大築おおつき悠海ゆみは思わずそう言って、慌ててまわりを見回した。

 ひとごとを言うのはみっともない。ましてこんな吐き捨てるような言いかたをするなんて。

 でも、だいじょうぶ。

 だれも聞いていない。

 悠海はほっと息をついた。

 土曜日の午後、宰領さいりょうの街からは少し離れた聖厳しょうごんいんにも観光客がちらほらとやってくる時間帯だ。

 けれども、その観光客は、たいてい、国宝の薬師やくし三尊さんぞん像をまつってある本堂に行くだけで帰ってしまう。

 せっかく本堂まで来たのならば、石段を登って敬愛きょうあいどうまで行けば、晴れた日ならば岩破いわばから向かいの行馬ぎょうばだけまで見渡せて、とてもきれいなのに。

 そこまで行かないのは、観光ガイドブックとかに載っていないからだし、観光バスのツアーのコースにも入っていないからだ。

 まして、聖厳院本堂の下、灌頂かんじょうだにと呼ばれているあたりにはだれも来ない。

 だから、参道をはずれて、灌頂谷へ続く道を下り始めたあたりで何を言っても、だれに聞きとがめられるはずもなかった。

 坂道は険しくはない。しかし、中途半端に大きい石を置いて石段のようにしてあるのがかえって歩きにくい。

 坂道を下りる揺れで肩に提げた画板が肩からはずれそうになるのを、右手でぐいと引っぱる。

 画板と、その木の折りたたみ椅子と、画板を立てるイーゼルと、絵の具やパレットの一式。

 そんなかさばるものを持って歩くのは、たとえ学校から写生の場所まですぐ近くだといっても、骨が折れる。

 灌頂谷は薄暗い。この初夏の昼過ぎの空の下でも。

 聖厳寺本堂の裏から小さな川が滝になってしたたり落ちている。その水を聖厳院で「灌頂かんじょう」という儀式に使っていたので、この湿地を灌頂谷というのだそうだ。

 谷というほどでもない。「小さな渓谷」とでもいうのだろう。

 その両側に木立ちが並び、岩にはこけがむしている。昔から踏み固められた道を下手にはずれると、一歩はずれただけで湿地に足を取られてふくらはぎのまん中あたりまで沈む。

 そんなところをスケッチの場所に選んだのは、本堂や、敬愛堂や、敬愛堂から見た岩破湖の景色なんかの絵ではありきたりだからだ。

 去年は本堂の前でスケッチしていて観光客に何度も絵をのぞかれた。三‐四人連れの観光客のおばさんたちに口々に

「うまいわねぇ」

などと言われ、はずかしい思いをした。しかも集中できなくて時間がかかった。

 それだったら、だれも来ないに決まっているところを写生ポイントにすればいいじゃないかと考えたのだ。

 そして、これまでの美術の時間には、こんなところにはだれも来なかった。

 何度か聖厳院のお坊さんが後ろを通り過ぎただけだった。

 お坊さんたちにとっては、生徒が境内けいだいで絵を描いていても何の珍しいこともないのか、それとも女子高校生に目をやると修行の妨げになるのか、何の関心も示さずに通り過ぎる。

 下絵はもう仕上げてある。色も半分以上は塗ってある。その色塗りを進めて、画用紙の白いところをなくせばいいだけだ。

 そう思って、悠海は、道の道幅が少し広がっているところに布張りの折りたたみ椅子を開くことにした。

 その場所に目をやって、そこに、先に来ているだれかがいるのに気づいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る