7話:胸板をまな板にするという発想

 ふと、俺は目を覚ました。

 ぼやけた視界には夕暮れ色に染まる切り株ハウスの天井が見える。

 いつの間にかリビングのソファーで眠ってしまっていたようだ。


 「ふあ~」という欠伸と共に起き上がろうとして――。

 

 ガチャンッ。

 

 ――手足が“鎖”で封じられ、俺は起き上がることが出来ない。


「あれ? 思ったよりも起きるの早かったね」


 すぐ横から女の声が聞こえてくる。

 一瞬「誰だ?」と思ったが、ストーカー娘:タンたんだ。


 天国の神兵ながら、異世界『ヴァルハバラ』に10年間も通って俺を覗き見していた女。

 そのタンたんが「よいしょ」と俺の腹部に跨り、相変わらずヘビの様な「ニタァ~」とした笑みを浮かべる。



 か細い右手に、夕日を受けてギラりと輝く“包丁”を握りしめて。



 ……え? え、何?

 ちょっと何ですか?

 普通に怖いんですけど?


「おい、その包丁は何だ?」


「あ、まだ起き上がっちゃ駄目。これから、お肉を解体バラすんだから」


「ふぁッ!?」



 ■



 トントントンッ♪ ふんふんふ~ん♪

 トントントンッ♪ ふんふんふ~ん♪


 小気味よい包丁の刻まれる音と、タンたんの鼻歌が聞こえてくる。

 一体何処から聞こえて来るかと言えば……それは、俺の“胸板の上”からだ。

 俺はジロリと半ば呆れと諦めの目で、俺の上に跨り俺を見下ろすタンたんを見た。


「……おい、どうして俺の胸板で魔獣の肉を切り始めた?」


「え? だってもうすぐ夜だし、私の手料理を食べて貰おうと思って。……何かおかしい? 魔獣のお肉、大好きでしょ?」


「そりゃ大好きだけど、何もかもおかしいだろ? キッチンなら奥にちゃんとしたのがあるのに、どうして“俺の胸板をまな板代わり”にするんだ?」


「え? だってそこに、愛する人の強そうな胸板があったから」


「………………」


 タンたん……こいつマジでぶっ飛んでやがるぜ……ッ!!

 俺じゃなかったら死んでるところだぞ?

 お前の脳ミソにはジェットエンジンでも積んでるのか?

 そして多分、そのジェットエンジンの設計者は幼稚園児だろう。


「私、タツヲちゃんと二人で料理するの夢だったの。ほら、新婚さんって二人でイチャイチャしながら料理するのが普通でしょ?」


「それが普通かどうかは知らんが、恐らくこんなイチャイチャの仕方はしねぇよ。あと、茶に睡眠薬も混ぜねぇ」


「……さてと、次は玉ねぎを切らなくちゃ。あー忙しい忙しい」


「………………」


 ――別に、今すぐにでも無理やり鎖を引きちぎって、この状況から脱する事も出来るだろう。

 ちょっと手足に力を入れれば、簡単に引きちぎれそうな感覚はある。


 しかし、それを“暴力”と判定されてしまうと最悪だ。 

 俺が授かった2つのチートスキル『お前の物は俺の物ジャイアニズム』と『幸運の助兵衛な雨ハレンチレイン』の使用制限として、“女性に決して暴力を振るわないこと”がある。

 女性に暴力を振るうつもりなど毛頭無いが、暴力の線引きが明確でない為に、下手な手出しが出来なくなってしまっている。


 情けない……余りのも情けない……。

 これはアレだ。小学校のトイレでB☆I☆Gをして、それがクラスメイトにバレてしまった時くらい情けない。

 あ、玉ねぎで目が染みてきた……微塵切りは辞めてくれませんか?


 ともあれ。

 『ヴァルハバラ』で最強の俺が、こんな情けない姿を晒していいのだろうか?

 答えは否、いい訳が無い。


「おいタンたん。流石にこの格好は、俺の威厳というモノが――」


「タツヲちゃん。魔獣のお肉つまみ食いする? はい、あ~ん」


「ふんッ」俺は忌々し気に鼻を鳴らす。

「何が“はい、あ~ん”だ。言っておくがな、俺はお前が切った魔獣の肉など絶対に口にはしないい香りだなぁモグモグごっくん、うん美味い。生でも下味だけでもイケるドラ」


「でしょ? タツヲちゃんが好きな柚子胡椒を混ぜてるからね。出来上がりまでそれで我慢しててね」


「むっ、それは……仕方ないな。待つのは大嫌いな俺だが、仕方ないから待ってやろう」


 俺がギロリと睨みながら返すと、タンたんは「ニタァ~」とヘビの様な笑みを浮かべる。


 ……ふんッ、せいぜい笑うがいいさ。

 お前が笑っていられるのも今の内だけだ。


 今はたまたま、ここで食べないと魔獣のお肉が勿体ないかなぁと思って、致し方なく食しただけ。

 もし、次に同じことをされたら、勿体ないのは覚悟の上で俺は断固拒否するだろう。


 それが俺、この『ヴァルハバラ』で最強を自負するドラゴンの生き様だ!!


「タツヲちゃん。もう一枚食べる?」


「食べるドラ!!」



 ――で。



「「いただきます」」


 食べた。

 美味かった。


「ご馳走様でした」


「どういたしまして」


 テーブルでの食事が終わり(鎖は普通に外して貰えた)、俺は久々に満足感のある満腹感に満ち溢れていた。

 ぶっちゃけ、酒場の飯より美味い。

 これは酒場の飯がマズい訳では無く、十分に美味い酒場の飯よりも更に美味しかったのだ。

 

 パパとママが居なくなって以降、俺はだいたいの食事を酒場で済ませていたのだが……これは、ちょっと心も動く。

 実際問題、食事をしながらタンたんへ色々と質問するつもりでいたのだが、夢中になって食してしまったせいで、ゆっくり話すことも出来なかった程だ。


 タンたん、恐ろしい女だぜ……!!

 

 しかし、流石にもうそろそろ真面目に話さなければならないだろう。

 え、何を話すって?

 それは決まっている。

 俺達の今後――より正確を期せば、今夜のタンたんの動きについてだ。


「なぁタンたん。お前、今夜どうするつもりだ?」


「どうするって何が? ……もしかしてナニを? タツヲちゃんの……ナニをッ、はぁはぁ、私がどうかしていいの!?」


「おい、よくわからんが期待に満ち溢れた目で俺を見るな。多分違う、いや絶対に違うからな」

 ナニというのが何を指しているのかは知らないが、十中十一くらいで違うだろう。

「そうじゃなくて、今夜はちゃんと天国に帰るのかって話だ」


 俺が問うと、タンたんはキョトンとした目で見返す。

 何言ってんだコイツ? とでも言わんばかりの顔だ。


「帰る? 私が? 天国に? まさか」

 あり得ないとばかりに、タンたんは「ニタァ~」と笑みを浮かべる。

「今日から私達、ずぅ~~~~っと一緒に暮らせるんだよ?」


「……何となく、そう言うんじゃねぇかと思ってたよ」



 ――――――――――――――――

*あとがき

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