22
「アイ!」
私は息が止まりそうになった。駆け足で近寄り、アイの体を抱きかかえる。アイは頭を振りながら立ちあがった。
「ローラン! 君はレインにつづいて、アイも潰す気か!」
私は怒りのあまり、ローランに迫った。
「今のプレーは退場ものだ!!」
「おいおい」
ローランは額の汗を手でぬぐいながら、珍しく困惑したように言った。
「だから、こんなの日常茶飯事だろう? お前らこそ何なんだ、さっきから俺にケチばかりつけて。そんなに大切な奴らだったら、ショウケースにでも入れて保管しとけよ」
「君こそ猛獣の檻がお似合いだ!」
誰かが私のユニフォームに手を添えた。アイだった。
「俺は大丈夫です」
アイはしっかりとした口調で言い、ローランを見上げた。アイとローランの身長差は、子供と大人ほどにある。年齢はわずかにローランが上なのだが、背格好はまるでライオンとウサギだ。
「今日は仲間とプロレスしないのか?」
ローランが揶揄を込めてアイへ言った。私の頭に血がのぼった。だがユニフォームを触る手が、正気に返らせた。
「ええ、俺はプロレスラーではありませんから」
アイはゆっくりと頭を振った。
「俺はサッカー選手です」
それだけ言うと、私たちに背を向けた。私は背後から肩を叩かれた。
「試合は終わってないぜ」
ゲイリーが親指でコーナーを示す。我々のコーナーキックだ。
「アイはお子様じゃないんだ、ヴィク」
ゲイリーは汗を垂らして、私の胸を軽く押していった。
コーナーにいたケリーと交代し、私はボールを置いた。アリーナのペナルティエリアには、赤とオレンジのユニフォームが華やかなに入り乱れている。ハッセルベイクとヴァレッティ以外のチームメイトが全員あがっている。アリーナもだ。三トップもゴール前を固めている。ヤムセン、ライー、そしてショーンズの顔が見えた。
私はアイを探したが、恐らくローランの後ろに隠れてしまっているのだろう。姿が見当たらない。敵味方の選手がめまぐるしくポジションを変えるので、サイモン主審が苦労している。選手の立つ位置を審判の権利で制御し、ようやく合図の笛を鳴らした。
「ノーザンプール!! ノーザンプール!!」
サポーターの大合唱の下、私はペナルティエリアをざっと見回し、コーナーから少し離れた。ボールに対し角度をつけて、助走に入る。ペナルティエリアの人波が動く。巨人の群れから飛び出る小さな人影が見えた。アイだ。
私は息を整えて、バランスに気をつけながら強く踏み込んだ。
ボールは私の足先から飛び出し、綺麗なラインで空を高くまわる。私の思い通りだ。ボールに向かって、いくつもの頭が飛んだ。だが私が合わせたのは、ペナルティエリアの左側前方にいる選手だ。そう、アイだ。
アイがピッチを蹴って飛びあがった。私たちはセットプレーの練習もしていた。練習通りにやれば、必ず入る。
ボールに、アイの頭が当たった。アイのジャンプは高さがある。背は低いが、周囲の選手たちを頭一つ分飛び越えていた。練習で私はアイの特性を熟知していた。キーパーのオコーナーも飛びあがって腕を伸ばすが、間に合わない。ゴールだ。
しかしボールはポストバーに当たり、跳ね返ってしまった。
アイは体勢を崩してピッチに落ちた。だが急いで立ちあがり、ボールの行方を追う。私も走った。ボールが落ちた先はライーだ。ライーは素早く切り返し、ドリブルに入る。
サポーターの悲鳴が起きた。我々のほとんどがペナルティエリアにあがっていた。中盤もゴール前にも、選手がいない。ライーのドリブルは速く、あっというまにセンターサークルを越え、中盤を駆けあがってゆく。
私は全力で走った。ライーを止めなくてはいけない。このまま行けば、ゴールされるのは間違いない。ハッセルベイクとヴァレッティだけでは無理だ。
誰かが私の傍らを走り抜けて行った。風のように速い。前方を行くライーの前に回りこんでドリブルをとめた。アイだ。
アイとライーが対峙する。ライーは巧みにボールを操り、アイを突破しようとするが、アイはがむしゃらに動き回り、ライーを邪魔する。私は荒い息を呑み込んだ。
「アイ!!」
ライーが振り返った。その隙を逃さず、アイがスライディングでボールを奪う。転がったボールの先には私がいた。
「来るんだ! アイ!」
私は向きを変え、ボールを蹴った。今走ってきた道のりを、今度はドリブルで戻る。疲れなど吹き飛ばした。ヴェールが阻んできたが、細かなターンで翻弄し、その場に置き去りにした。彼らのゴールポストが見えてくる。
「ヴュレルさん!」
アイの声が背中から聞こえる。私はドリブルをしながら、肩越しに振り返った。
アイが走ってきて追いついた。
「そのままゴールへ向かうんだ!!」
アイは首を振って、私を追い抜いた。素晴らしい走りだ。我々は老いた駄馬にように疲弊しているが、アイは若々しい駿馬のように駆けている。
アイの行く手に、髪を乱した男が立っている。ローランだ。もう一人の姿も見える。これはゲイリーだ。
アイとゲイリーが交互にローランへ向かっている。その前にドリブルで走り込むのは私だ。
ローランの顔が見えてきた。苛立ちの色を浮かべて、私を睨みながら、左右にも注意を払っている。挟み撃ちにして、迂闊に動けない状況に追い込んだ。
私はペナルティエリアの直前で、足をとめた。片足でピッチを踏みしめ、もう片方の脚を大きく振りあげる。そのときだ。力強い合唱が聞こえてきた。
前へ走れ、進むんだ
たとえ一人になったとしても、必ず俺たちがそばにいる
お前を勇気づける
お前は王者だ
だから進むんだ
今日は苦しくとも、明日は輝く
やがて光とともに道はひらけるだろう
その時、お前は知るだろう
自分は孤独ではないのだと
さあ、進むんだ
そして、勝利を掴め
我々の歌だ。サポーターがくり返し歌っている。
私はボールを蹴った。
ローランが体を張って向かってくる。ボールをクリアする気だ。だが、この私がそんな単純なパスを出すわけがない。
ボールは急激なカーブを描いて、ローランを迂回する。ローランは髪を乱して、運命を追うように振り返る。
ボールを受け取ったのは、アイだ。
「打つんだ!!」
その時、お前は知るだろう……
自分は孤独ではないのだと……
「アイ!!」
そうだ、君はけして一人じゃない。
「打て!!」
アイは振り返ると同時に、ボールに足をあてた。一見して細身だが、足の筋肉は熱心に鍛えられたものだ。白人にも劣らないキック力を持っている。それは練習でも見せた強力なシュートとなって、アリーナのゴールへ弾丸のように飛んでゆく。
――君がこの地へやって来たのは必然だった。
ボールはスピードをゆるめない。
――君は素晴らしいストライカーだ。その才能と実力を認めようとしなかった我々を許して欲しい。
愚かな私を許して欲しい。
キーパーのオコーナーは左へ飛び、腕を伸ばす。
ボールはオコーナーの手にあたる。かすった。だが、止められなかった。
運命は白いネットに吸い込まれていく。
それはまるで、映画のワンシーンのようだった。
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