21

「世界が終わったわけではないんだ」


 あまりに沈んでいるので、私は手を叩いて士気をあげた。


「時間はまだ四十分以上もあるんだ。あと二点あげたら、すぐに逆転だ」

「ヴィクの言うとおりだ。五分もあれば、二点くらい取れるだろう?」


 ギルも持ち前の毒舌を披露する。下がってきたゲイリーも言った。


「そういうことだ。さっさとあいつらを蹴散らして、俺たちのスタジアムから追い出そうぜ」


 相手のゴール前にいるローランを睨みつけている。遠目では見えないが、おそらくニヤニヤと笑っているに違いない。


「オレは頑張るぜ!」


 レインがガッツポーズをあげて、センターサークルへ向かう。さすがに子供は元気がいい。その明るい声に引きずられるようにして、みんな持ち場へ戻った。

 サイモン主審が試合の再開を告げる。私はハーフタイムでのバーン監督の言葉を思い返していた。細かいパスをくり返し、中盤を支配する。相手の前線へパスを繋げない。その一方で相手ゴールへ詰めかけ、ディフェンスの隙を突いてシュートを放つ。

 監督の言葉を忠実に実行していくと、徐々にだが我々が押していった。それに比例するようにピッチ上もエキサイトしていった。後半中頃には、ファウルや警告が飛び交った。

 荒れた様相を呈してきたなかで、ついに退場者が出た。アリーナの左サイドバックだ。いったい何があったのかは知らないが、サイモン主審の笛で振り返ると、ローレンがギルに掴みかかっていた。我々もアリーナの選手も慌てて駆けつける。サイモン主審は激昂しているローレンへ、レッドカードを示した。即、退場だ。

 ローレンは仲間に抑えられた腕を突っぱねて、主審の判断に従った。二度とギルを見なかった。

 私はギルが気になった。今の展開はどう考えても試合中のプレーだけが原因ではない。アリーナから移籍する際に、選手の間でも色々とあったらしいという噂は聞いている。だがギルは何も話さないだろうし、ローレンが退場になっても別段感じることはないようだった。


「ヴィク」


 スローインをするギルは、何事もなかったかのように私を呼び止めた。


「チャンスだ」


 私はギルを一瞥し、小さく頷いた。

 スタジアムが拍手と大合唱で盛りあがる。サポーターも我々の好機を感じてくれている。

 ギルがラインに立ち、ボールを掲げた。私はアリーナの選手のマークを交わしながら、ベンチにいるアイへ視線を飛ばした。アイは立ったままだ。突きあげる衝動を抑えるかのように、こちらを睨んでいる。隣にいるヒューズやドュートルも、立ちあがっている。いや、チームメイト全員だ。

 ギルがボールを投げた。

 バートンが受け取り、ドリブルで右サイドを駆けあがる。ゲイリーやレイン、私も相手ゴールへ走った。

 デルレイネが空いたスペースを埋めるために、バートンへ立ち向かう。バートンはきっちりと周囲を確認して、ペナルティエリアの右側手前から高いクロスボールをあげた。

 ゲイリーやレインが走りこむ。ローランともう一人のディフェンダーが、スペースを取られないように潰しにかかる。

 ボールはゴール上空を下ってくる。レインが飛んだ。頭を突き出して、ヘディングシュートの体勢に入る。だがローランも地面を蹴って飛びあがった。二人は激しくぶつかる。

 ボールを先にキャッチしたのはローランだ。髪を振り乱して、頭でクリアする。

 ボールは左方向へ落ちてゆく。そこへヴェールとケリーが駆けつける。「スピード」が「小さな巨人」に勝った。ケリーは滑り込むようにシュートを打つ。オコーナーが左へ反応した。しかしケリーはシュートを打ったのではなかった。

 ゴール正面に走りつけた私は、私へパスされたそのボールを爪先で蹴った。ボールは一瞬浮きあがり、ゆるやかな下降線を描いて、キーパーとは反対の方向に入った。ゴールだ。

 審判が笛を鳴らした。スタジアムが大歓喜に包まれる。私は右拳を突きあげた。気持ちが良かった。これで試合が振り出しに戻った。

 しかしすぐに異常に気がついた。

 ゴールポストの手前で、レインが倒れていた。私は喜びを投げ捨てて、急いでレインに駆け寄った。レインは仰向けになり、右脚を抱えながら呻いていた。先程のローランとの空中戦で、乱暴に振り落とされたのだ。落ちどころも悪かったに違いない。私が脚に手をおくと、痛そうに転がった。


「てめえ! どういうプレーしているんだ!!」


 ゲイリーが汗を飛び散らして、ローランに詰め寄っている。ローランは首をすくめて、両手を広げた。


「おい、こんなことで怒るなよ。サッカーじゃ、日常茶飯事だろう?」

「てめえが下手糞なだけだろうが! このくそったれのバカ野郎!!」

「やめろ! 二人とも!」


 両チームのキャプテンが割って入る。サイモン主審も笛を鳴らして駆けつけた。私はレインの様子が心配だった。レインは苦しそうに息を吐き、顔には脂汗をかいている。

 ベンチから監督とチームスタッフが駆けつけた。レイゼンドクターはレインを診断して、首を横に振った。すぐに担架が持ち込まれ、レインはその上に乗せられてピッチの外へ運ばれる。サポーターが拍手でレインを慰めた。

 バーン監督は担架のあとを追いながら、これからのことを思案しているようだった。アリーナとは同点になった。時間は三十分を過ぎている。あと十五分と数分のアディショナルタイムで、試合が終了する。

 監督が審判に伝えている。まもなく、選手交代が告げられた。負傷したレインに代わり、投入されたのは背番号二十一番。アイだ。

 長袖の上着を脱いだアイは、監督の指示を受けて、ピッチへ入った。私は驚きとともに彼に駆け寄った。


「大丈夫かい!」


 通常、試合に入る前は、体を慣らして試合に備えておく。だがアイはずっと立ちっぱなしだったのだ。


「平気です」


 アイは素っ気なかった。


「それより、レインは大丈夫でしたか?」

「ああ……大丈夫だよ。当分、試合には出場できないかもしれないけれどね。でも若いから、すぐに治るよ」


 サッカー選手は負傷と常に隣りあわせだ。怪我が怖い者は、プロのサッカーをする資格はない。

 アイは安心したように、ほっと息をついた。それからアリーナのゴールへ視線を向けた。獲物を狙うハンターのように、鋭く獰猛な眼差し。ああそうだ。私は重要なことを失念していた。彼は国を代表するプロのストライカーなのだ。

 私はアイの両肩に手を添えた。


「いいかい、よく聞いて欲しい。私は必ず君へパスをおくる。君はゴールだけを狙っていておくれ。私の名誉にかけて、必ずボールを送るから。いいね?」


 アイが私を見上げて、無言で頷いた。肩が小刻みに震えている。アイも緊張しているのだ。


「さあ、行こう。試合はこれからだ」


 審判の笛を合図に、センターサークルでショーンズとヤムセンがボールを蹴りだす。アリーナは猛攻を仕掛けてきた。前線、中盤はもとより、最終ラインもあげて、一点を奪取するという気迫で迫ってくる。

 私はボールを蹴るアリーナのミッドフィルダーへタックルを仕掛けた。バートンも走ってきて、二人で挟み撃ちにする。この背番号十二番の選手はプレーが臆病なので、バートンが難なくボールを奪った。

 ケリーやギルへ速いパスをまわし、アリーナの陣営を突く。ディフェンダーが一人欠けたせいで、アリーナの守備ラインが崩れている。中盤の底にいるヴェールが補っているが、強固な壁に穴があいた現実はとめられない。

 相手のゴール前で、ディフェンダーのマークを交わすアイとゲイリーが見える。アイをマークしているのはローランだ。まるでタイタンが人間を襲っているように見える。

 私はバートンから送られたボールで突撃した。ペナルティエリア手前でパスの体勢になる。アイが私に気がついて、素早くローランの背後にまわる。

 ローランは私とアイの動きに警戒している。走り出すゲイリーと近づいてくるケリーが視界の隅にちらついた。

 私はボールをキープしつつ、逆を突いて、左へドリブルをした。目前にいたケリーへパスをする。

 ケリーはクロスを出さずに、エリア内に切り込んでゆく。アイとゲイリーがいるため、ディフェンダーが効果的に動いていない。

 空いたスペースからケリーはシュートを放つ。オコーナーがパンチングで防いだ。だがボールは生きている。

 アイは足を振りあげた。だがローランがスライディングをした。ボールはラインを飛び出たが、アイも仰向けに転倒した。

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