20

 相手キーパーがボールを投げた。受け取ったのはローランである。様子を探りながら、ボールを転がしてきた。

 アリーナのディフェンダー陣が、歩調をあわせるように最終ラインをあげてくる。

 レインが果敢にボールに飛び込んでいった。ローランは赤子の手をひねるように、レインを押しのけて、強烈なロングパスを放つ。

 ボールはしばらく左右の陣営を行き来した。

 先にチャンスが回ってきたのは我々だった。コーナーキックである。蹴るのは、もちろん私だ。

 ところが、ギルが代わりを言い出した。


「私の調子は戻っているよ」

「だから俺が蹴るんだ」


 意味はわからないが、この場は譲ってボールを渡した。私はゴール前に群がる集団に入る。私たちにとっては絶好の得点チャンスだ。

 笛が鳴り、ギルはゴール前の様子を眺めてから、助走をつけて大きく踏み込んだ。勢いよくボールが飛んでくる。

 周りが一斉に横に飛んだ。私もユニフォームを引っ張られながらも、ボールの動きを読みながら走る。

 だがボールは鋭いカーブを描いて、我々の頭上を追い越した。外したのかと思ったが、なんとそのまま急カーブでゴールポストに入ってしまった。

 一瞬の空白の後、セント・ルイーズ・スタジアムが大歓声で沸きあがった。コーナーキックのボールが、シュートとなった。信じられない神業だ。アリーナの選手たちは呆然と立ち尽くしている。

 私たちは英雄に駆け寄った。ギルはその場でひとさし指を一本立たせ、空に向けている。皮肉屋にはぴったりの喜び方だ。


「おい! さすがだな! お前らしい曲がり方のボールだぜ!」


 ゲイリーが正面から抱きつく。だがギルは別段嬉しくもないようで、手を振った。


「まだ試合に勝ったわけじゃないんだ。さっさと持ち場に戻れ」


 そのとおりだ。アリーナは猛然と反撃してくるだろう。我々は一点の喜びを噛み砕いて、気を引き締め直した。


「言われたとおり、先制点はあげたぜ」


 私は足をとめた。ギルは挑むような眼差しをしていた。


「素晴らしかったよ。君の名に恥じないゴールだ。今度は私が決める」


 あいにく、そんな挑発で怯むような私ではない。

 ベンチへ目をやると、みんな飛びあがって喜んでいる。唯一、平静を保っているのはバーン監督だ。ベンチの隅にいるアイは立ったままだ。だが両手は拳を握って、ピッチを食い入るように見つめている。今にも駆け出してきそうだ。

 試合はアリーナのボールで再開された。

 センターサークルから飛び出たボールは、抜群のスピードを誇るアリーナの選手たちの足で、我々のゴールポストまで運ばれる。アリーナの選手は突然地球の重力から解放されたかのように、動きが素早くなった。特に三トップの動きが活発になった。

 前半三十五分過ぎ、我々のゴール前で、ライーがスターンに倒された。私には勝手に転んだように見えたが、サイモン主審はスターンにはファウルを与えて、アリーナにはフリーキックを与えた。スターンは納得がいかないらしく、主審に詰め寄るが、エヴァレットに手で口を塞がれた。残念なことに、審判の判断はめったに覆らない。

 フリーキックの位置は、ペナルティエリアからやや左後方である。

 我々は壁をつくるために集まった。ところが、まだ壁が出来上がっておらず、審判も笛を鳴らしていないのに、なんとライーがボールを蹴った。当然、ヴァレッティも準備の途中だった。ボールは誰にも邪魔されることなく、易々と我々のゴールネットを揺らした。

 ピッチ上が静まりかえった。スタジアムもだ。ライーが一人、飛び跳ねながら投げキッスをしている。ようやく我に返ったサポーターたちが、凄まじいブーイングをライーへ投げつけた。

 我々も猛抗議した。こんな馬鹿なゴールなど聞いたことがない。しかしサイモン主審もペレス副審も、アリーナの得点と認めたのだ。


「プレーを停止する笛を鳴らしてはいません」


 サイモン主審は冷静だった。


「彼にこのまま蹴ってもいいかと聞かれたので、蹴りなさいと答えました。ルールでは、フリーキックのときは笛を吹かなくてもいいんです」


 言葉遣いは穏やかだが、審判の権威を譲る様子はなかった。


「しかし、それでは今までのフリーキックは何だったのです!」


 今度はエヴァレットも当然訴える。


「ルールは、ルールです」

「しかし!」


 サイモン主審が眉をよせた。私は間に割って入った。


「やめよう、無理だ」


 審判がゴールとした以上、たとえ犬が鼻先で転がしただけでもゴールなのだ。

 エヴァレットは首を振った。偉大なる主将が一番わかっている。


「また一点入れればいいだけだろう」


 ギルだけが平然としていた。私も言ってやった。


「楽しみにしているといいよ」


 今度は我々のボールから始まった。スタジアムはまだブーイングに包まれているが、時間はとまらない。試合は再開されたが、我々は勢いづいたアリーナに押され、一対一を覆せないまま、前半を終えてしまった。

 ハーフタイム、ドレッシングルームへ戻り、栄養補給の飲料水やマッサージを受けていると、監督やコーチたちが入ってきた。コーチたちは先程のフリーキックに気分を害しているようだったが、バーン監督は落ち着いていた。


「今期のアリーナは、ディフェンスとオフェンスがずば抜けている分、非常に中盤が劣っている。そこでプレーしていた中心選手の出場停止が、まだ解けていないからね。だからパスの繋がりが悪く、奇抜な形でゴールを決めようとする」


 今期、アリーナの中盤で攻撃的ミッドフィルダーとして活躍していた選手が、暴行容疑で半年間の出場停止を科せられた。その結果が、抜群の攻撃力を誇るにも関わらず、第三位という現状である。


「中盤の中心選手がいないのに、この攻撃力はさすがというべきだ。だが、やはり脆弱な中盤を補うために、フォワードとディフェンダーが範囲を広げている。そのせいで、本来の役目が疎かになる場面が見られる。後半はその点を突くんだ。細かくパスをまわし、前線と後方を分断する。それと、右サイドだ」


 監督はギルを見た。


「相手のサイドバックの選手は、どうも調子が悪いようだ。右サイドを基点にして、ゴールを狙う」 


 ギルはボトルの口を閉めながら頷いた。


「選手は交代しない。このままでゆく」


 私は反対側に座るアイが気になった。ずっと立ちっぱなしで疲れていないだろうか。アイは食い入るように監督の説明に聞き入っている。


「さあ、後半戦だ!」


 バーン監督の檄に、全員が奮い立った。

 後半はアリーナのキックオフで始まった。

 ライーがヤムセンへ流し、ヤムセンは後方にいるチームメイトへパスをした。それから、二人そろって猛然と走り出す。我々の間を一気に駆け抜け、ゴール前へと詰め寄った。

 私は彼らの動きに疑問をもったが、それよりもボールの行方が気になった。

 バートンが走っていった。ボールをもった相手チームのデルレイネはパスをすると見せかけて、内へと切り返し、瞬時に突破した。動きが素早く無駄がない。バートンが急いで追いかける。

 私もケリーもデルレイネの動きを止めるために走った。だがデルレイネは隙をついて、前線へスルーパスを流した。受け取ったのはライーである。

 ライーはドリブルをした。左サイドのスターンが獲物を捕らえようと駆け寄る。ライーは体の向きを変えた。ボールを足の裏で蹴っている。

 後方からアリーナの選手が走ってきた。すかさずスターンが回りこむ。

 ライーはその選手へパスをしようとした。スターンが強いプレッシングで相手の動きを削る。だがライーは怯まずに、足下で曲芸のようなボールの転がし方をした。

 アリーナの選手が二人の脇を走りぬける。スターンがパスを阻止しようとしたが、ライーはボールを切り返し、また体の向きを変え、サイドラインをドリブルで走った。スターンをフェイントで交わしたのだ。悔しそうにスターンが追う。

 ライーはゴールエリア付近で、右へロングパスを放った。そこにはショーンズがいた。

 ショーンズはボールを胸に当て、足下に落ちたところを、大きく蹴った。強力なミドルシュートだった。ポーティロも間にあわない。

 ヴァレッティは左へ横っ飛びをした。しかしグローブを嵌めた手をすりぬけて、我々のゴールポストに入ってしまった。

 アリーナのベンチから歓声が沸き起こる。まだ後半が始まって数分しか経っていない。気をつけなくてはいけない時間帯だと思っていたのに、簡単にゴールを許してしまった。

 サポーターたちの落胆が、スタジアムを覆っている。我々も肩を落とした。

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