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 すでにチームメイトは整列していた。アリーナの選手もオレンジ色の戦闘服で我々の横に並んでいる。共に入場する子供の手を握ると、後ろから肩を突付かれた。肩越しに振り返ると、ライオンのように波打つアッシュブラウンの髪に、暗黒街のボスのような強面男が片手をあげていた。ローランだった。


「ボンジュール、我らの将軍閣下。今日のご機嫌はどうだ?」

「最高だよ。だが君は最低になるだろう。この試合は我々が勝つからね」

「はん、早速ゲームをしかけてきたな」


 私とローランはフランス語で言いあった。


「俺がどうして、お前に話しかけたかわかるか?」

「フランス語の練習のためだろう?」

「違う、今日の試合に勝つってことを伝えるためだ」


 それだけ言うと、野良犬を追い払うように手を振った。私は犬ではない。初めて出会ったのはフランス代表チームに召集された時だが、その不遜さは相変わらずだ。だが私はヴィクトール・ヴュレルだ。


「君の妄想は、いつもながらドラマチックだ。しかし親愛なるローラン、弱い犬はいつでも吠えるものだ」


 試合開始時刻になり、審判に続いて入場した。スタジアム中が真紅に燃えあがり、ノーザンプール! の嵐が巻き起こる。スタジアム中を覆っているサポーターの熱い魂を膚で感じながら、私たちは円陣を組み、勝利を叫んだ。


「ヴィクトリー!!!」

「ヴィクトリー!!!」

「ウィーアーノーザンプール!!!」

「ウィーアーノーザンプール!!!」


 ゴー! という掛け声と共に、我々はピッチに散らばった。センターサークルには、ゲイリーとレインが立ち、中盤とゴール前にはいつもの四人が並ぶ。開幕戦と同じメンバーだ。左サイドはペレイラが風邪をこじらせたため、ケリーが久しぶりに復帰した。

 ホイッスルが高らかに鳴った。

 ノーザンプール! という大合唱を背に、レインがゲイリーへボールを転がし、ゲイリーは後方にいる私へパスをする。そのボールをゆっくりと転がして、周囲を確かめた。アリーナのフォワードは三人、中盤のミッドフィルダーも三人、ディフェンダーは四人。ランドンコーチの説明どおり、四―三―三のシステムだ。早速、中央にいるセンターフォワードが、私へ向かってくる。試合は始まったのだ。

 私はケリーにパスをした。「スピード」は健在だろうか。ボールを受け取ると、左サイドをドリブルで駆けあがる。アリーナの選手が二人、ケリーに襲いかかるが、その速さと俊敏さを遺憾なく発揮し、一人をフェイントで交わし、もう一人を素早く突き放した。ケリーの意気込みがドリブルに火をつけている。私もピッチを走った。

 ゴール近くで、ケリーは相手のタックルを交わし、跳びあがった隙にパスをした。

 私はそのボールを足の裏で蹴って、後ろへまわす。目の前にはローランがいた。そして背後にはゲイリーがいた。

 ゲイリーはそのボールを蹴った。

 シュートは私の横を流星のように飛んでゆく。しかしローランの体にぶつかり、流星の軌道は外れ、白いラインの外へ消えた。

 サポーターの拍手が聞こえた。試合開始の立ちあがりで、先にシュートを打ったことに喜んでいるのだ。もちろん、決まればさらに嬉しいだろう。だが幸先良いスタートである。


「あいつ、ほんとに倒れねえなあ」


 ゲイリーが顎をしゃくった。ローランはボールがぶつかった左肩を手で払っている。わざと自分の体をぶつけて、ボールの方向を変えたのだ。痛みなど存在しないようだ。

 ピッチ外に出たボールは、ギルがスローインをした。ボールはバートンへと渡り、再びギルへ戻る。

 ギルは攻めかかるディフェンダーを小気味よく交わし、ゴール右端から高いクロスをあげた。走りこんだのはレインである。だが相手のゴールキーパーの反応が早く、ボールを奪われてしまった。

 サラセン人のように濃い髯が印象的なゴールキーパーのオコーナーは、手早くボールを蹴った。

 ボールは我々の頭上を飛び越え、私たちの陣営にいた相手選手に渡る。三トップの一人、ナイジェリア人のライーだ。アフリカ出身らしい躍動感あふれるドリブルで、私たちのゴールまで切り込んでゆく。

 ポーティロが全身でタックルをした。ライーは大げさに倒れこむが、笛は鳴らない。彼は時々ハリウッド俳優にでもなったかのような演技をする癖があるが、今のはカットされる拙いシーンだ。

 転がったボールを獲得したのは、アリーナのオランダ人ストライカーヤムセンである。故国の英雄マルコ・ファンバステンの再来と呼ばれている選手だ。

 ヤムセンはエリア外から弾力のある脚を振りあげて、シュートを放った。勢いが強い。スターンとエヴァレットも止められない。

 だがゴール前にはヴァレッティがいた。反応素早く、横に身を投げて、ボールに当たる。

 ヴァレッティの拳がボールの起動を変え、跳ねあがった。ハッセルベイクがジャンプをし、ヘディングでボールをクリアする。そのボールを奪いあうのは、ポーティロと三トップの三人目ウェールズ代表のショーンズだ。

 ショーンズは長身を武器にして、ポーティロを突き放そうとする。ポーティロも負けずに体をぶつける。ファウルぎりぎりのプレッシングでボールを奪おうとしているので、ショーンズはシュートの体勢に入れずにいる。

 そこへエヴァレットが割って入り、スライディングのお手本とも言うべき華麗さで、ボールを奪った。こぼれたボールを拾ったのは私だ。

 私は一気にドリブルでピッチを駆けあがった。中盤の底にいる相手チームのヴェールが私を潰そうと走ってくる。袖にキャプテンマークをつけた小柄なイングランド人だが、小さな巨人と呼ばれている。散々にプレミアの肉弾戦で鍛えられたからだろう。 

 ヴェールの姿がどんどん近づいてくるのを確認して、パスの体勢に入った。左右にはギルとバートンがいる。

 私はわざと視線を右へ向けた。サイドを走っているギルは、いつでもパスを受ける準備ができている。

 ヴェールが足下に飛び込んできた。私はすかさずボールを蹴る足首を、角度をつけて切り返し、瞬時に体勢を変えて、再びドリブルに入った。ヴェールの舌打ちが背中で聞こえたが、騙された方が悪い。

 ゴール前にはゲイリーとレインがいる。だがディフェンダーのマークがきつそうだ。

 私は大きく足を振りあげた。クロスと見せかけて、ロングシュートを放った。ちょうどいい感じでスペースが空いていた。だがオコーナーにキャッチされた。

 スタジアム中でため息が洩れたが、試合は始まったばかりだ。しかし攻守の切り替えが非常に速い。今日の試合はタフなものになるだろう。


「ヴィク」


 急いで中盤に下がる私に、ギルが走り寄ってきた。


「今日の左サイドのディフェンダーは、調子がいまいちのようだ」 


 アリーナの左サイドバックは、イングランド人のローレンだ。金髪碧眼の典型的なアングロサクソンの若者である。


「どうして分かるんだい?」

「反応が鈍い。さっき、ちらっとボールの奪いあいをしたが、どうも試合に集中しきれていないようだ」

「まだ始まったばかりだろう?」 

「だからさ。他の連中は俺たちを蹴散らそうといわんばかりのプレーをしているぜ。なのに、あいつはどうも大人しい」


 ギルの言いたいことは分かった。


「彼が穴かい?」

「そうだ。だからボールを俺に回せ」


 私は遠くにいるローレンとギルを見比べた。


「それはいいが、確か君の後輩だろう? 同じユース組織にいたんじゃなかったのかい?」

「この試合に関係があることか?」


 彼お得意の冷ややか口調だった。私は両手をあげた。ギルをからかいたかったが、またの機会にする。


「わかった。君にボールを回す。先制点をあげるんだ」


 私はセンターサークルの後方に立った。ほんの僅かだが、ベンチにいるアイを見た。アイは立っている。なぜ誰も彼を座らせようとしないんだ。隣にいるヒューズは、無理やりにでもアイをベンチに縛りつけるべきなのに。

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