第6話 五月二日‐登校
その理由は、平野を形作る土砂の源である山にあったらしい。山岳地域が一般的な三角州よりだいぶ近くにあることで、大都市を築くには向かない、と判断されたからなんだとか。海と山の恵みが豊かで、水田から収穫できる米も良質なものを生産できたこともその傾向に拍車をかけた。港と、水田と、山に囲まれた、ほどほどの大きさの街。県庁所在地なのにそういう在り方をずっとよしとしてきたんだとか。
それが変わったのが五十年代の農業大改革。工場による農産物の大量生産が本格化したことにより、農地の面積はぐぐっと減らされ、ブランド化に成功した一部が『一から十まで人の手で作った米』というのをほそぼそと生産するだけになった(でもそこのお米って本気でめっちゃくちゃおいしいんだけど)。雲居市は特に農産工場の展開に大成功した例として取り上げられるほどだったようで、全国から研修や働き口を求めて人がやってくるようになったんだそうだ。
人が集まれば街も広がる。街が広がれば産業も増える。実は雲居市は第二次産業もそれなりに盛んで、大会社がいろんな工場を郊外に誘致してくれたあとに倒産してしまった時に、宙に浮いたその工場を買い取って雲居市に腰を据えてくれた会社がいくつかあったんで、世界最先端の集積回路(に必要な部品の一部)やら、雲居市のご家庭で使う家電製品やら、あれこれ作れるようになったんだとか。
山と海と平野を有し、地産地消が当然のこととして根付くことができるほどの生産力を有する都市。僕は生まれてからの十四年間を、そこでずっと暮らしている。
当たり前のことだけど、星見寮は月枕塾の本校舎からはさほど離れておらず、毎日徒歩で楽に登校できる。一応神形県でも有数の進学校なので寮があるわけだけど、全寮制というわけでもないので、寮生は全校生徒の半分くらいだ。
しかも女子寮や高等部寮もそれぞれ別方向に配置されているので、細い通学路でもさほど窮屈にはなったことがない。通い始めてからまだ一ヶ月の、それでもそれなりに身体に馴染み始めた道を、僕はおっきーとのんびり歩いた。
「っつかさー、ゴールデンウィークの登校日って学校滅びろとか思うよなー。しかもレベレンとアヘドの発売日の翌日とかさぁ。いっくらなんでもタイミング悪すぎじゃね!?」
「そうだねぇ……まぁ、暦の上でも間違いなく平日だから、登校するしかないわけだけど」
「しかもうちのガッコって、授業休むとてきめんについてくの難しくなるしなー。補習とかはきっちりしてくれっけどさ、その分の時間はしっかり削られっし。容赦ねぇっつーか、教育機関としてどうなんそれ、鬼すぎじゃね、とか思わね?」
「うん、まぁ、そうだけど……」
僕としてはおっきーのおかげで、学校に行くのがすごく楽になったんだけどな……なんてことはさすがに言えないので。
「でもまぁ、寮生以外の人たちともアヘドの対戦で盛り上がれると思えば。僕、こういう風にみんなで新発売のゲームで盛り上がれる機会とか初めてだから、けっこう楽しみにしてるんだけどな」
と、それはそれで本音である言葉を漏らすと、おっきーはにやっ、と面白がるように唇の端を吊り上げてみせた。
「ま、それは同意だけどさ、むっくん。俺以外の奴の前で、そんなピュア発言しない方がいいぜ? 中三男子なんて基本クソガキなんだからさ、よってたかって死ぬほどからかわれっから」
「え、えぇ!?」
そんなことを話しているうちに、さして時間をかけることもなく、月枕塾の本校舎へとたどり着く。それなりに年季は入っているけれど、冷暖房もちゃんと完備している、充分居心地のいい場所だ。僕たちは、まだ七時半なのにある程度人のいる(僕たちと同じように早めに行って勉強しようと考える奴らが多いのだ)下駄箱をくぐり抜け、まずは部室に『レベレイション』を置いたのち(部室の方がはるかにセキュリティがしっかりしているのだ)、中等部三年四組の教室へと入って、机をくっつけて勉強を始めた。
僕は以前通っていた学校ではそれなりに勉強できる方だったけど、月枕塾では下から数えた方がはるかに早い。なので勉強しながらうんうん唸ることがたびたびなんだけど、そういう時はおっきーがわかりやすく何度も教えてくれるので、一人でやるよりはるかにスムーズに勉強は進む。
じわじわと人が増え、教室が生徒たちで満ちてきた頃、新しく教室に入ってきた女子生徒が、きっとこちらを睨みつけてきた。
「ちょっと。そこ、あたしの席なんだけど」
と言われても、僕とおっきーの席は前後に隣り合っていて、前にいるおっきーが机ごと後ろを向く形で机をくっつけて勉強していたので、『あたしの席』というのが介入してくる余地がない。僕が戸惑っていると、おっきーはなぜかにやっと笑って、その女子生徒にからかい口調で答えだした。
「えー、あたしの席っつわれてもなー。これ俺の机だし? んでこれ、俺の椅子だし? むっくんの机と椅子も言わずもがなだし? 『あたしの席』って、どこのこと?」
「忘れてんの? あたしの席、あんたの隣なんだけど。それなのに隣でごそごそされるとか、もうすっごい迷惑。とっととあたしが席に着く前に、席戻しなさいっつってんの」
その威圧的な態度に僕は気圧されて、というか緊張と恐怖で頭と体が固まり、口を開くこともできないままうつむいてしまったのだが、おっきーの舌の回りはあくまで軽やかだった。
「いやいや、それフツーに理不尽だから。国境線問題じゃあるまいし、同じ教室で勉強してる以上、ある程度迷惑をかけてかけられて、ってなんのは当然のことっつーのが常識だから、慣習法的に。そーいう判例もうできてっから、センセーだろーが教育委員会だろーが似たようなこと言うから、真面目に」
「なにその言い方……私のこと、そんなにいじめたいの? ひどい……」
唐突に身を引き、胸に手を当てて泣きそうな顔になる女子生徒に、おっきーは軽い態度を崩さずに続ける。
「いじめたかねーけど、君の言うこと誰がどう聞いてもいちゃもんつけてるだけだから。迷惑以外の何物でもねーから。そーいうことやってくる奴に被害者ぶられてもうっとーしーだけだから。っつか、正気の頭持ってたらんな台詞吐けねーから、どー考えても。とっとと行きてーとこに行ってきてくんねー?」
「ひどい……!」
泣きそうな顔でそう言うと、その女子生徒は小走りに、教室右下、廊下から教室に入ってすぐの一番うしろにある僕の席の辺りから、教室左上、窓際の黒板近く辺りに、数人で集まって笑顔でおしゃべりしている女子生徒たちのところへ向かった。そこでなにを話しているか、詳しく聞こえるわけじゃないけど、泣きそうな顔で訴える女子生徒に、集まっていた女子生徒たちがいかにも同情している、という顔であれこれ声をかけているところからすると、たぶんそれほど僕の想像から外れたことを話してはいないんだろう。
そちらをちらりと見て、女子生徒の中心にいた、普通の中学生とは呼びにくいというか、モデルかなにかにしか見えないような並外れた美少女(僕が昨日見た少女とはさすがに比べ物にならないけど)がこちらをじっと見つめてきていること、そしてその周りの女子生徒たちも揃ってこちらに無言のまま視線を向けてきていることを確認すると、おっきーはやれやれと言いたげに伸びをしてみせた。
「めんどっくせーよなー、あいつら。まー別に今んとこなんかしてくるってわけでもねーけどさー」
「……しょっちゅうあんな風に喧嘩腰で話しかけられてくるっていうのは、充分『なんかしてくる』の範疇に入る気がするけど……」
「いや、ま、喧嘩腰で話しかけてくるっつっても、ほとんどは単に澤口に慰められたくてやってるだけだかんな。女同士で感情同調し合って、俺を敵に祭り上げて、仲間内の結束固めてるだけだろ。スルーしとくのが吉だって。相手すんのとかめんどっちーじゃん」
「うん……」
おっきーにうなずきながらも、僕はついつい、できるだけ目立たないように女子生徒の中心人物の姿をうかがってしまう。澤口夕加里。僕たちと同じ、月枕塾中等部の三年四組に所属する女子生徒。月枕塾でも随一の美少女という評判を取る彼女は、おっきーと入学してからずっと同じクラスで、ずっとおっきーを不倶戴天の敵としてみなしているのだという。
「……おっきーの方は、別に心当たりとかないんだよね?」
「んーまぁ、なんかしたって覚えはねーかな。大して喋ったことがあるわけでもねーし。まー俺としては、単に俺がいるとクラス全体に自分の支配力が行き届かねーから目障りってことなんじゃねーのかな、って思ってっけど」
「うん……」
おっきーは普段そんなにリーダーシップとか取る方じゃないけど、頭がよくて口も回って物おじせずに学校や先生ともやり合うんで、同じクラスになってからまだ一ヶ月なのに、『いざという時に頼りになる奴』とクラス全員から一目置かれている。澤口さんとの暗闘についても、学校一の美少女と敵対する形になってしまうのにもかかわらず、おっきーの方に味方する生徒の方が多いくらいだ。そんな関係が入学してからずっと続いているとしたら、澤口さんとしてはそりゃあおっきーが目障りで仕方ないに違いない。
「でも、その……なんかされたり、されそうになったら言ってね。僕じゃ役に立たないかもしれないけど……」
「気にすることないない。隙見せなきゃどーってことないって。まー嫌がらせとか犯罪行為とかしてきたら、むっくんにも言うわ。先生とかにも報告すっけどな」
「うん、ホントに、なんでも言ってね」
僕なりに懸命に言った言葉に、おっきーはにかっと屈託のない笑みを浮かべたのち、ちらりと視線を腕装備端末に向けて手を叩いた。
「あ、そろそろ先生くんじゃん。とりあえずおべんきょーはこのへんで終わりだな」
「あ、うん。ありがとう、何度も教えてもらっちゃって」
「いやいや、人に教えるのもフツーに復習になるし。むっくんもやったとこの復習、ちゃんとやっといてくれよな」
「うん」
そんな言葉を交わしながら、がたがたと机を動かして前を向く。昼休みまで約四時間、補習回避のためにもきっちり集中して授業を受けなくてはならない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます