第5話 五月二日‐朝食
月枕塾中高等学校中等部男子寮――通称星見寮は、起床・就寝時刻は特に決まってないけど、食事が可能な時間はきっちり決まっている。それ以外の時間に食事がしたい奴は、あらかじめ寮監にその旨を伝えた上で、『自分はその時間に食事をする必要があるのだ』と寮監に納得させるための交渉に打ち勝たなくちゃならない。
これは月枕塾中高等学校が、そもそも社会人・大学生向けの資格試験・就職試験対策学校を母体として生まれたからなんだそうで、『社会人として働けるようになるため』という理由で、『教師や学校職員と交渉してなんとかしなきゃどうにもしてくれない』というシチュエーションを生み出すための規則がやたら多い。進級や成績の仕組みも他の学校とはちょっと違ってて、成績が百点満点の点数制だったり、試験成績と授業成績が別扱いだったり、試験と授業両方の成績が六十点未満だったら即落第だったりする。
まぁ、そんな風にちゃんと勉強してないと絶対卒業できない学校なので、部活動はどこも不熱心というか、せいぜいが『遊び半分で身体を動かそう』というぐらいのレベルなため、朝練をするような部はひとつもなく、食事の時間をずらしてもらおうなんて考える生徒はめったにいない。
つまり、寮生はみんな朝は六時半から七時半、昼は十一時半から十二時、夜は六時半から七時半の間に朝食を取らないと食いはぐれる羽目になるので、食事時間は毎日戦争なわけだ。
朝六時に目が覚めてしまったので仕方なく、しっかり登校するための準備をして、あとは制服に着替えるだけという状態で、六時半になるや否や食堂に向かった僕だけど、それでも食堂にはもう人が溢れていた。怒濤の勢いで朝食のトレイを配りまくるおばさんの怒鳴り声が響く中、わいわいぎゃあぎゃあ喚く男子生徒たちで満ち満ちた食堂の中を見回し、また食堂の外で立ち食いする羽目になるのかなぁと半ばあきらめつつ空いた席を探していると、背後から声をかけられる。
「むっくん! こっち空いてるぜ!」
「! おっきー、ありがと、助かる!」
慌てて振り向いた視線の向こうに、手を挙げたおっきーの姿――黒縁眼鏡で僕とそれほど身長が違うわけでもないのになぜか不思議にこなれ感があるというか、学校指定のジャージなのに服とかにちゃんと気を使ってる感じがする、一ヶ月前からクラスメイトになった友達の姿を見つけ、ほっとして朝食の入ったトレイを揺らさないように足早に歩み寄る。
「俺むっくんはてっきり今日遅れるかと思ってたわ。アヘド買ったばっかだし。アヘドのキャラ作成ってそれなりに時間かかんじゃん? まぁアバター作成にこだわりまくる人よりはマシだろーけど、アバターの見かけとかは基本自分のリアルのカッコからいじれねーし」
「おすすめ通りAIガイド使ったら、わりとさくさく決まっちゃって……っていうかアバターの見た目って、基本自分以外は顔も体型もよくわからないようになってるんだよね?」
「ま、安全のためにはやむなしじゃね? 課金して見た目いじれば誰にでも見せられるようになっけどさ、いじっても基本見た目リアルっつーか、三次元の人間なのは変わんねーし。リアルで洒落っ気出したりコスプレしたりすんのと似たよーなもんだしさ、ユーザーとしては好み分かれるだろ、その扱い」
同じ席に着きながら、『Another Head』の話をする。おっきーは同じゲーム研究部……というか、転校してきた僕をゲー研に誘ってくれたのがおっきーなので、他の話もするけどやっぱり基本話題はゲームのことになってしまうのだ。ゲームのことならどんなジャンルの話だろうと、まず間違いなくおっきーは僕より詳しい。
なので、ちょっと逡巡はしたものの、すぐに覚悟を決めて、話題が途切れて一瞬場に沈黙が降りた時を見計らい、僕はおっきーに声をかけた。
「あのさ、おっきー。その……『Another Head』でさ。起動してすぐにイベントって……起きたりする?」
「イベント?」
「その……なんていうか。美少女と会って、世界を救ってくれ、って頼まれる、みたいな……」
実際に起きたはずのことを話しているだけなのに、なんだかすごく恥ずかしい話をしている気がして、最後の方は勢いを減じ口の中でもごもごとしか言えなかった僕の言葉を、おっきーは味噌汁をすすりながらも真面目な顔で聞いてくれた。飲み終えた味噌汁の椀を置き、今度はお茶を一口すすってから聞いてくる。
「アヘド起動した時に、そーいうイベントと出くわした、ってことでいいんだよな?」
「うん、まぁ、その、うん」
「その美少女って、どんな感じの顔?」
「……髪と目とか、肌の感じとか、特徴は日本人なのに日本人に見えない、みたいな……だけど外国人って感じでもなくて、なんていうかこう……人間とは思えないくらいのすごい美少女、みたいな……」
言いながらも恥ずかしくて顔をうつむけてしまう僕に、おっきーは真面目な顔でうんうんとうなずきつつ軽く端末にメモを取って、言ってくれた。
「おっけ。ちっと調べてみるわ。俺が起動したときはそんなん起こんなかったから、隠しイベ的ななにかかもしんねーし」
「あっ、ありがとう」
「どいたまー。ま、これも俺のバイトの一環みてーなもんだし、気にすんな」
そう言ってにっと笑ってくれるおっきーに、僕もぎこちない笑みを返す。でも笑みはぎこちなくても、心の中では全力で感謝を捧げまくっていた。いつもいつも、僕はおっきーに世話になりっぱなしだ。
一ヶ月前、初めて月枕の中等部に転校してきた時もそうだった。始業式を終えてすぐに、みんなの前に立たされて、ぎこちない自己紹介を終えた後、お定まりの『なにか質問は?』という先生の問いかけに、真っ先に手を上げて、おっきーは聞いてきてくれたのだ。
「どんな風に呼ばれたい?」
意味がよくわからず、目をぱちぱちさせることしかできなかった僕をよそに、その男子生徒はクラス中の注目を浴びながらも、堂々と話を先に進めていく。
「
「ふむ、まぁ
「うん、だからまぁこうして初っ端から聞いてるわけで。どーよ、転校生くん。俺の提案、受け容れてくれますか?」
笑顔で真正面から僕を見つめて問うてくる相手の、言葉がすぐに全部理解できたわけではないけれど(クラス中の視線を集めたことでテンパっていたため)、その時、僕は思わず感動していた。僕の、というか読みにくかったりからかわれやすかったりする名前の人間に対し、こんな細やかな気遣いを、クラス中から注目されながら言ってのけることができる人間なんて、普通いない。
僕もこれまでの人生で、田舎者とか田舎産とかからかわれるのはしょっちゅうだったし、それが嫌で嫌でしょうがなかったけれども、仕方がないと諦めてきた。その事態をこうも堂々と、そして当たり前のように改善してくれる人がいるなんて、本当に想像したこともなかったのだ。
なので僕の目は今にも潤み出しそうだったんだけど、この人の気遣いを無駄にしちゃいけないという一心で、我ながら情けないほどか細く、頼りなく震えた声で必死に答えた。ほとんど硬直している頭の中の記憶から、死に物狂いで『田舎産と呼ばれないような呼び方』を絞り出して。
「む、むむっ、むっくん、で!」
「おっけ、むっくんね。ちなみに俺は色摩
笑顔で頭を下げたその男子生徒――おっきーに、クラス中から笑声と拍手が浴びせられたのを、僕は英雄の凱旋に憧れの視線を送る子供のように見つめた。……『むっくん』という呼び名が、子供の頃からの知り合いとかに呼ばれるのでもなければ相当恥ずかしい、という自分の感性に基づく失陥を有しているのに、まるで気づかないまま。
まぁ『むっくん』という呼び名は本当に相当気恥ずかしかったんだけど、おっきーに呼ばれるのは(席が近かったこともあり、おっきーの方からしょっちゅう話しかけてくれたんで)三日で慣れた。それにおっきーは社交的というか、誰とでも当たり前のように会話ができるスキルを持っているけど、僕の方は基本ぼっちというか、おっきー以外に友達ができなくて、あまり誰かから話しかけられることもなかったんで、それで問題なかったんだ。
部活を自分の所属するゲー研にするよう誘ってくれたおかげで、普通におしゃべりができる先輩や後輩、別クラスの生徒なんかもできて、これまで経験したことのないほど快適な学校生活を送らせてもらってる。本当に頭が上がらない。
そんなおっきーが『レベレイション』と『Another Head』の購入を勧めてくれたのは、おっきー……というか、ゲー研の先輩たちも参加している、アルバイトにまつわる理由があったりする。
月枕塾の部活の中では珍しく、ゲー研は活発に活動しているというか、まぁ基本みんなで駄弁りながら部室でゲームするだけなんだけど、それでも成績が落ちないよう勉強会を開いたりとか、文化祭では相当人を集められるような趣向を凝らしたイベントを開催したりとかしているんだそうだ。所属する人数も五十人近い。まぁその中には幽霊もいるけど、ゲーム研究部という普通マイナーであろう部活がそこまで部員を集められるのは、高等部三年の現部長に理由があるらしい。
現部長は(これまで何度か話したぐらいでも否応なくわかるほど個性的な人だ。たぶんいい人なんだろうとは思うけど)、『Another Head』のゲーム面での開発を担当したゲーム会社、ザクシスの御曹司なんだそうだ。月枕塾にも相当寄付金を積んでるので、『ザクシスが中高生の生のデータを得る手段を確保するため』というのを名分に学校とやり合った結果、ゲーム研究部に広い部室と、相当数のゲーム機の持ち込み許可をもたらしてくれた、ということなんだそうで。
その名分通りに、ゲー研の半分弱くらいはザクシスでアルバイトして、中高生の生の意見やプレイ状況なんかのデータを還元したり、普通にデバッグとかデータ処理の手伝いとかしてるらしい。月枕塾では中等部でも(学校との交渉に勝てば)アルバイトを認めてくれるんで、おっきーなんかは入学してからずっとやってるんだとか。
なので『Another Head』についてもあれこれ仕事があるらしくって、ゲームについてもあれこれアドバイスできるし、アルバイトじゃない中高生のデータも必要だって理由でザクシスが少し援助してくれるから、『レベレイション』と『Another Head』を買わないか、と勧めてくれたわけだ。
……そのあと『ちなみにこういうこと勧めてくる奴はたとえそれなりに面識があってもほぼ間違いなく詐欺しかけてきてるから気をつけろ』って真顔で言ってくるあたりがおっきーらしいというかなんというか。
そういう詐欺に引っかからないための心得とかあれこれ教えてくれた上で、実際に会社まで案内して、担当の人とも話をさせてもらって、『実際にオフィスまで行った時に詐欺かどうかチェックする方法』まで会社の人の目の前で教えてくれて、改めて下ろしてきたお金と引き換えに即『レベレイション』を渡してもらって、目の前ですぐ起動チェックまでさせてもらった頃には、ザクシスの人も半分苦笑してた。
でもそこまで気配りしてくれる奴だからこそ、僕はおっきーとすぐに友達になれたのだし、正直そういうこまごまとした気遣いも含めて、すごく感謝してるし、ありがたいと思っている。さすがに口に出しては言えないけど。
「つかさー、今日ガッコにレベレン持ってくよな?」
「あ、うん」
月枕塾のゲー研は部室に置いておくゲーム機の他に、一人一日一個まで携帯ゲーム機の持ち込みを認めている。VRマシンはゲーム機なのかとか携帯という扱いは不適格じゃないかというあたりの問題についても、現部長がきっちり学校と交渉してくれてるのだ。
「先輩たちも持ってくるっつってたからさー、いっちょ部室でバトろうぜ。むっくんの左目の疼きがほとばしる系能力がどんなんか、とくと拝見させてもらおーじゃねーの」
「え、えぇ~……うん、まぁ、対戦するんだから見られて当然なんだけど……な、なんか恥ずかしいな……」
「だいじょぶだいじょぶ、一線越えると慣れっから。っつか、実際に動かしてみてどーだった? 操作感覚とかさ」
「いや、ゲーム中ではまだまともに動かせてないんだよね……ゲーム開始するやいなや、って感じでさっき言ったイベントに遭遇して、なんかそのまま寝ちゃったみたいで……」
「はーん。まーレベレンって基本プレイしてる時の脳は夢見てるみたいなもんなわけだから、寝落ちとかしてもおかしくはないらしーぜ。ま、ゲーム機的には問題だから、一応報告はしとくけど、いいよな?」
「あ、うん。……というか、おっきーはもう何度もプレイしてるんだよね? どんな異能にしたかとか、すごく気になるんだけど」
「はっはー、まーアヘドの異能は初っ端ノーデータで対戦した後でないと明かさないっつーのがお約束だから! お互いの異能を知らない状態での探り合い、っつーのはアヘドの中でも相当アツいポイントだし!」
「うわ、おっきーそんなのがわかるくらいもうプレイしてるんだ、いいなぁ! 早く対戦してみたい……! 対戦って昼休みでいいんだよね?」
「ばっきゃろーい、アヘド正式発売の翌日だぜ? 昼休みも放課後も全力で対戦しまくるに決まってんじゃん。ま、それまでの授業はきっちり真面目に受けなきゃなんだけどな~」
「う、そ、そうだよね……真面目に勉強しないと部活どころか、部屋でゲームするのも禁止になるもんな、部内規則で」
「ま、わかんないとこは教えてやっから、頑張ろうぜ? 早めにガッコ行って今日の予習と、昨日の復習のわかんなかったとこの教え合いとかやっとかね?」
「う、うん」
教え合いといっても、僕よりもはるかに勉強ができるおっきーに、僕が教えられるところなんてないだろうけど。わからなかったところを教えてもらえるのはありがたいし、そういうところで遠慮をするなと何度も言われてもいる(僕が授業についていけなかったら部員全員の評価が下がることになりかねないわけだから、早め早めに教えていく方が結局楽なんだそうだ)。
勉強時間をできる限り少なくするためにも頑張ろう、と気合を入れて、僕は味噌汁を最後まですすった。
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