第42話


「いや、まあいいやもうこの際! お兄にとってはそのリヨンって人は、あそこにいるアイドルじゃなくてリヨンって人だったってことでしょ?」

「それは、そうだな」

「じゃあもうそれでいいから」


 ポスターを指さして寧々が言う。

 寧々のこういうところには助けられるな。


「デートで何かあったってわけじゃないんだよね」

「ああ。むしろ……」

「むしろ?」


 あの日のことを思い出す。

 夢と言われても自信がないほどには前のことのように思えてしまうが……。


「うまく行った……と思う」


 そう。

 そのはずだった。

 デートの成否を何で判断するかなんてわからないけど、それでも間違いなくあの日、リヨンは俺にそういう表情を見せてくれていたはずだ。

 それが作りものだったとは思いたくないし、思えない。


「それでお兄、どうしたい?」


 寧々が問いかけてくる。


「どうしたい……どうしようもない気がしてる」


 どうしたいかは何度も何度も自問自答した。

でもそのたび、どうしようもないという気持ちが先行するせいで身動きが取れない。

 リヨンがリヨンの存在を消した以上、相手はあのアイドル、前川理世なのだ。

 文字通り住む世界が違う。

 リヨンに戻ってくる意志がない限り、そうだ。

 だったら何が出来るのか……。


「忘れさせてあげよっか?」

「忘れる……?」

「うん。寧々がもっと夢中にさせてあげてあげる。そんな女の子なんていなかったくらい」

「それは……」


 気付けば寧々に、再び押し倒される。

 いつの間にか服に手をかけていたようで、上は下着姿だ。

 下から見上げる巨大なそれが、下着からはみ出そうなほど存在を主張してくる。


「ま、待った」

「いいの? このまま私に甘えたっていいんだよ?」


 寧々は真剣だ。

 でも、だからこそ……。


「気持ちだけ受け取っておく」

「……はぁ」


 ため息を吐きながら服を戻す寧々。


「こうなるとは思って誘ったとはいえ、いざそうなるとなんか、自信無くすなー。寧々、ここまで身体張ったことないんだよ?」

「ごめん。でも……」

「はぁ……わかってるって」


 改めて、服をちゃんと着直して寧々が俺と向き合う。


「あーあ。寧々も最近振り回されてる感じするなー」

「そうか……?」

「お兄は悪くないんだけど……結局あれから七人も試したのに全部ときめかなかったのに、お兄にならあのまま寧々に甘えてこられたら受け入れたと思うんだよね」


 寧々が他人事のように言う。

 これが何を意味しているか、わからないのは鈍感だろうと思う一方で、寧々だからこそわからないところがある。

 案の定といった言葉が寧々の口から追加された。


「まあお兄にときめいたことは一度もないんだけど」

「おい」

「あはは。でもね、受け入れたくはなるんだよ?」


 こうなるともう、わからないのも仕方ないんじゃないかと思う。

 少なくとも俺にはお手上げだった。


「ま、それでも寧々はお兄に尽くしてあげるし、それは多分、寧々だけじゃないから」

「え?」

「お兄はどうしようもないって言ってたけど、お兄以外は諦めてなさそうだよ?」


 寧々がそう告げると同時に、携帯が震える。


『え……?』

『アキ殿! 一週間後までに準備を整えておくでござる!』


 唐突に飛んできたメッセージにはそれだけが書かれていた。

 差出人は言うまでもなく、焼き魚定食氏だ。


「これ、どういう……」

「皆それぞれお兄のために動くみたいだよ」


 ニコッと笑った寧々に有耶無耶にされる。

とはいえ、この一週間止まっていたような時間が、ようやく動き出したのだった。

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