6—3 声
シェノがいつもと変わらないように、メイティもまた変わらず無表情なまま、僕に尋ねた。
「で、このタキトゥスの針をどう使うのです? まさか『運命の18時間』を起こすとかじゃないことを願うのです」
尋ねられて、僕は何も答えられない。
よく考えれば、僕はタキトゥスの針の使い方を知らないんだ。
そんな僕に代わって答えたのはイーシアさん。
「レンくんの魔力とタキトゥスの針の魔力を繋げればいいだけよ。ただ――」
一瞬だけ口籠もりながら、イーシアさんは続ける。
「想像もできないよう強大な魔力がレンくんの体に流れ込むわ。タキトゥスの針の魔力と繋がるのは、神羅万象と繋がるようなもの。下手をすれば、タキトゥスの針の魔力に呑み込まれて、レンくんが消滅する可能性もあるわね」
衝撃的な言葉に、シェノとメイティは体を乗り出す。
「ウソ!? そんな危ないことをレンにやらせるの!?」
「さすがに賛成できないのです」
二人の反応は当然の反応だよね。
だけど僕は、二人の言葉を打ち消すように言った。
「僕はやるよ」
何があっても、僕はみんなを守る。そのためなら、なんだってする。
きっと僕の想いをイーシアさんも理解してくれたみたい。イーシアさんは微笑み、タキトゥスの針を手にした。
それを見て、シェノは詰め寄る。
「ちょっとイーシア! なんでいつもみたいにレンを止めないの!?」
詰め寄られて、イーシアさんは微笑んだまま。
「レンくんなら大丈夫よ! だってレンくんは、生まれる前から魔力と一緒なのよ! それ以前に、天才さんだもの! こんなにかわいいんだもの!」
「かわいいは関係ある!?」
「大ありよ! それに、私はレンくんを信じているわ!」
優しくも力強い答えだった。
シェノとメイティは、もう僕とイーシアさんを止めはしない。
やるべきことは決まって、タキトゥスの針を持ったイーシアさんは僕の前に立つ。
ここで、僕は純粋な疑問を口にした。
「ところで、タキトゥスの針の魔力と繋がるにはどう――」
「ちょっと痛いけど、我慢してちょうだい!」
そう叫びながら目をつむり、イーシアさんはタキトゥスの針を振り上げた。
数秒もしないうち、タキトゥスの針の先端が僕の肩に突き刺さる。
全身を巡る激しい痛み。炎で炙られているみたいな苦しさ。
肩に食い込んだタキトゥスの針は紫の煙と化し、大量の魔力となって僕の体に流れ込んだ。
と同時、僕の意識は暗闇の中に吹き飛ぶ。
* * *
――これは?
ただの暗闇じゃない。これはどこかの空間。遠く離れた場所。空を見上げれば、常にそこにある広大な世界。
『力を求めてバランスの扉をこじ開けた人間が、また一人。懲りないねえ』
誰の声?
『これから君には世界の片方がまるごと入り込む。それに君は、耐えられるのかい? ああ、いや、君は純粋な人間じゃないのか。だったら体が崩壊することはないだろうね。精神が保つかどうかは、保証しないけれど』
瞬間、頭の中であらゆる〝イメージ〟が踊りはじめた。
世界を漂う浮遊感。大地の息吹。惑星の向こう側。煌く光の束。反転した生命。うねる次元。跳ねる精神。燃え盛った地平の行方。原始の蠢きと鼓動。混乱による調和。輝きに眠る破壊と希望。闇を掴み闇に掴まれる光。流れ行く万物。
全てが膨大な、人間一人が抱えられる規模を超えた〝イメージ〟の波だ。
膨大すぎる〝イメージ〟から反射的に身を守ろうと、僕の精神は暗闇の裏側に逃げ出した。
逃げ出した先にあったのは、果てしなく蒼い空の下、全てを見下ろすように切り立った岩場だ。
僕を追いかけ回す〝イメージ〟の波は、切り立った岩場にぶつかり四散する。
水飛沫を浴びた岩場は漆黒よりも黒く濡れる。
黒く濡れた岩場を覗けば、その先には無限の空間が広がる。
奥行きすら感じられないほどに何もない空間。いや、ただひとつ、何者かの視線を感じる暗闇。何者かの姿は見えない。姿を見ようとしたところで、再び波が岩場にぶつかり四散するだけだ。
何度も波が岩場にぶつかる。何度も無限の空間を覗き、何度も何者かの視線を浴び、何度も波が岩場にぶつかる。その度、体内に燻る熱が僕の体と心を煮えたぎらせていく。
いつしか熱は僕の体を乗っ取り、そのまま僕の体を〝イメージ〟の波に飛び込ませた。
波に呑まれて、僕は自分すらも失いそう。
いつの間に体は赤く変色している。頭からは角が生え、体の肉は隆起し、感情は昂る。
何より、体内で蠢く魔力が僕の心を歪める。
――これが魔力の本当の力! 小さな人間を捨て、大なる魔力と一体化した、強大な力! この力があれば、マゾクも何かもかもを消せる!
――違う! そんなの僕の願いじゃない!
二人の自分がぶつかり合う。ただでさえ自分を失いそうなこの状況で、体と心がふたつに裂けていく。
鬼と化した片方の僕は、強さを手に波の中へと泳ぎ出した。
変わらぬ片方の僕は、鬼と化した片方の僕に引かれ、今にも波に攫われようとしている。
遠くでは、ゲブラーやヘットに似た無数のシルエットが幸福の頂に立ったような笑みを浮かべたまま、波の中で溺れていた。
本能が叫んだ。波に攫われれば、僕はもう元の場所には帰れないと。
だから僕は必死に耐えた。手に感じる優しいあたたかみを頼って、僕は自分の居場所にしがみついた。
――そうだよ、僕の居場所は決まってる。強大な力とか、そんなものは関係ない。僕はただ、僕に居場所をくれたみんなを守りたいだけなんだ。
瞬間、ふたつに裂けていた体と心は再び融合し、煮えたぎる熱もまた冷めていく。
僕を攫おうとした波は一際高く持ち上がると、僕を岩場の上に連れていってくれた。
視界いっぱいを蒼い空が支配して、岩場の黒く濡れた向こうの空間からは、あの声が聞こえてくる。
『それは強い意志? いいや、誰かへの強い想い? それも違うみたいだね。それは愛してくれた者への恩返しか』
謎の声は興味深そうにしながら、小さく笑った。
『単に力が欲しいわけじゃあないんだね、君は。こういうのは久しぶりだ。いいよ、君はもう帰ってよし』
数万年が一瞬で過ぎ去ったような、そんな岩場の光景は、夢から覚めるように遠くへと離れていくのだった。
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