狭間の章1
闘う貴人
自然豊かな『人間界』と、死という概念すらあやふやな『虚無』の境目。
切り立った山に囲まれる谷で、王国軍の騎士団は窮地に陥っていた。
約300人の騎士たちと、荘厳な『ベルティア辺境伯領』の旗は、地を埋め尽くすようなマモノの大群と、2体のマゾクに包囲されようとしているのだ。
騎士団の先頭に立つのは、ベルティア辺境伯の娘でありながら、騎士団とともに前線で暴れ、闘う貴人と称される少女――シェノ=フォールベリー。
軽めの鎧に守られた彼女は馬を走らせ、青のマントを揺らし、神器の槍『アヴェルス』を握りしめながら唇を噛む。
「捜索任務とマゾクの侵攻がかぶるなんて、タイミング最悪!」
苛立ちをぶつけるように、シェノは拳でふとももを叩いた。
いつもは明るく、それでいて凛とした彼女も、今では焦りを隠せない。
対照的に冷静さを保っているのが、全速力で走る馬の上にちょこんと座る、シェノの軍師メイティ=ストラーテだ。
「敵の方が足が速いのです。このままだと、完全に包囲されるのです」
「分かってる! メイティ、わたしはどうすればいい!?」
谷を走る騎士団の両翼はマモノに包囲された。当然、背後にもマモノが。
マモノがいないのは前だけだ。それすらも失うのは時間の問題。
だからこそメイティは、無表情を貫き言い放った。
「両翼の騎士たちをマモノにぶつけるのです。そうすれば、包囲される前にシェノ様は窮地を脱出できるのです」
「……それ、部下たちの命を盾にしろってことでしょ?」
「はいなのです」
即答するメイティ。整った顔を歪ませるシェノ。
話を聞いていた騎士たちは、馬を走らせ剣を掲げると、大声で次々に言う。
「シェノ様! 戦は大将が生き延びれば、負けではありません!」
「その通りです! シェノ様、我々に御命令を!」
はっきりとした決意を耳にし、シェノは再び拳でふとももを強く叩いた。
そのとき、低く唸るような声が辺りに響き渡る。
「進化を拒む弱き人間たちよ、喜ぶのだ。貴様らに報いを与えよう。弱き者に相応しき、死という報いを」
これはマゾクの一人、ゲブラーの言葉である。姿は見せずとも、ゲブラーはシェノたちを追い、騎士団の結末を思い浮かべ、愉悦しているのだ。
そんな彼の次の言葉は、この場にもう一人いるマゾクへの命令だった。
「報いの使者ヘットよ! 弱き者たちに、正常な世界の理を見せつけよ!」
命令が響き渡った直後、一人の騎士の首が胴から離れ、宙を舞う。
首から吹き出した鮮血の向こうからは、血に塗れた紫の影が、ゆらりと現れた。
紫の影は、真っ白な裸体に赤く血塗られた長いリボンを巻き付けただけの少女へと姿を変え、首を失った騎士の乗る馬の上でニタリと笑う。
「ねえ~、どこ行くの~?」
絡みつくようにそう言った少女こそ、マゾクの一人であるヘットだ。
ヘットは首をなくした騎士の腕を引きちぎると、その腕をおもちゃで遊ぶように振り回す。
「人間ってさ~、こんな弱弱な体だから~、戦っててつまんないんだよね~」
言いながら、ヘットの異様なまでに白い左腕はリボンと一体化し、最も近くにいた騎士の四肢と首を強く締め付けた。
締め付けられた騎士の四肢と首は、すぐに胴からバラバラと千切り落とされる。
大量の血を地面に垂らす騎士を見て、ヘットは腹を抱えながら笑った。
「アッハハハハ! ほら~、また壊れちゃったよ~!」
あまりに凄惨な光景に、シェノは目を逸らす。
するとヘットは、今度は嘲笑を浮かべた。
「ねえねえ~、戦いもせず逃げる気~? ホント、つまんないよね~」
紫の長い髪をかきあげ、シェノを挑発するヘット。
対するシェノは、またも拳でふとももを叩き、唇を噛む。もうシェノのふとももは真っ赤、唇からは血が滲んでいた。
「あいつ……!」
「感情的になってはダメなのです。相手の思うツボなのです」
「分かってる……全部分かってる! 分かってるけど、でも……!」
――二度と、あのような悲劇は起こさせない。二度と、マゾクに大切な人を奪わせはしない。
シェノは右手で神器の槍『アヴェルス』を強く握り、左手で手綱を引いた。
彼女の乗る馬は進路を変え、ヘットに向かって走り出す。
アヴェルスの槍先を向けられたヘットは頬を歪ませ、楽しそう。
「あれ~? アッハハ! マジ~? 面白い人間みっけ~!」
嗜虐的な笑みを浮かべ、ヘットはリボンと一体化させた両腕を振り上げた。
それでも構わずシェノはアヴェルスを握り、突撃していく。
誰が見ても無謀な攻撃だ。メイティたちは手綱を引き、青ざめた表情で叫んだ。
「シェノ様! 危険すぎるのです!」
「急げ! シェノ様を守れ!」
「俺たちが盾になってでも、シェノ様を守るんだ!」
一斉にシェノの後を追うメイティと騎士たち。
騎士たちが自分を追っていることに気づいたシェノは、複雑な気分。
これ以上に騎士たちが死なないことを願って、シェノはヘットに突撃しているのだ。それなのに、騎士たちが自分の後を追ってきては意味がない。
けれども、自分を守ろうとしてくれる騎士たちの思いは、シェノも素直に受け入れたい。
「どいつもこいつも……うおりゃあああ!」
もうヤケクソ。シェノは目の前にまでやってきたヘットめがけてアヴェルスを振り上げた。
一方のヘットも、リボンと一体化した両腕でシェノを襲う。
二人がすれ違う瞬間、シェノは叫んだ。
「アヴェルス! 惑星の加護を! 水の刃を!」
短い詠唱に応え、アヴェルスは青く輝き、凄まじい勢いで回る水の刃をまとう。
水の刃は、シェノに巻きつこうとしたヘットの片腕を容易く斬り落とした。
しかしヘットの残された腕は、シェノの乗る馬の頭を斬り落とす。
頭をなくした馬はその場に倒れ、シェノも地面に落とされた。
地面に落とされ、それでも体勢を立て直し、すれ違ったヘットにアヴェルスの穂先を向けるシェノ。
片腕を落とされたヘットは馬を捨て、ふわりと地面に立ち、笑った。
「アハハ、アッハハハハハ! いいねえ~! それだよ~! そうこないと~! 王国のワンちゃ~ん、もっと噛み付いてきて~! アタシ、久々にイっちゃいたいなぁ〜!」
裏返った声が戦場に響く。
斬り落とされたヘットの腕は宙を舞い、再び彼女の片腕として繋がった。
シェノはアヴェルスを構えたまま吐き捨てる。
「そりゃそうなるよね。じゃなきゃ、100年も戦争なんかできないし」
「100年? ワンちゃんのバ~カ! アタシたちは~、1100年の戦争の最中だよ~!」
旧文明時代を滅ぼした者たちの言葉に、さすがのシェノも苦笑い。
ヘットはリボンしかまとわぬ体を大きく広げ、恍惚とした声を漏らす。
「ねえねえねえ~! もっと遊ぼうよ~! ワンちゃんの体、バラバラにさせて――」
唐突にヘットは黙り込んだ。彼女の視線は、シェノの背後に広がる空に向けられている。
何事かとシェノも振り返ると、ヘットの沈黙の意味が理解できた。山の向こうからは、空を飛ぶ巨大な影が迫っていたのだ。
その巨大な影の正体は、誰もが知っている存在。
巨大な鉄の塊、数多の大砲を搭載した空飛ぶ要塞、伝説の神器、空中戦艦シェパーズクルークである。
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